ザ・ぼんち
ザ・ぼんちは、日本の漫才コンビ。1980年代前半の「漫才ブーム」で人気を博したのち、長い活動休止をはさみ、2000年代に再始動。吉本興業所属。 メンバー
その他おさむの詳細はぼんちおさむの項参照。 里見 まさと(さとみ まさと、1952年4月25日[1] - )
コンビ略歴おさむとまさとは大阪の興國高校の同級生であった。ともにタイヘイトリオに師事(レツゴー三匹の弟弟子にあたる)。1972年11月[4]にコンビを結成し、翌年の1973年コンビ名を「ザ・ぼんち」として、同年なんば花月中席(3月11日 - 3月20日)で初舞台を踏む。コンビ名は、山崎豊子の小説『ぼんち』に由来。当初は松竹芸能に所属したが、やがて和光プロダクションを経て吉本興業に移籍。1975年に発足した秋田實ら漫才作家による若手養成の会「笑の会」に第1期メンバー(他にチグハグコンビ、ガッツジョージ・アーボー、海原はるか・かなた、森啓二・喜多洋司)として入会し、腕を磨いた[8]。 そのかたわら、ぼんちは毎日放送『ヤングおー!おー!』の番組内ユニット「チンチラチン」のメンバーとして売り出し、同局の『モーレツ!!しごき教室』にも出演して若手タレントの注目株と目された。 やがてザ・ぼんちは1978年10月8日の同会の東京公演「やりまっせ!! 大阪漫才 東京なぐりこみ爆笑大会」において、漫才作家の大池晶が「特にぼんちの漫才の受け方は異常でした」と回想するほどの爆笑を生み、この様子を観客として見ていた東阪企画の澤田隆治に、のちに漫才ブームのきっかけとなる様々な番組(後述)の企画を決意させるきっかけとなった[8]。 1980年、関西テレビの『花王名人劇場』やフジテレビの『THE MANZAI』など、澤田や横澤彪らの仕掛けによる一連の漫才番組に横山やすし・西川きよし、B&B(島田洋七・島田洋八)、島田紳助・松本竜介、西川のりお・上方よしお、太平サブロー・シローらとともに出演。たちまち全国的な人気を獲得するに至る。ぼんちはそれまで関西以外では無名に近いコンビだったが、『THE MANZAI』第1回放送(1980年4月1日)の翌日、長崎大学の学園祭に出演するため飛行機で移動していた2人に客室乗務員がサインを頼んでくる状況に直面し、まさとは「僕の人生は変わった」と感じたという[8]。 1981年、シングルレコード「恋のぼんちシート」を発売し、売上約80万枚に達し[9]、オリコンチャートでは最高位2位を記録する大ヒット曲となり、同年全国7か所縦断コンサートを開催。最終日の7月21日[8]には日本武道館で公演し、武道館でコンサートを開催した初の漫才師となった[5]。このころまさとは「末路は哀れでもええから、人気のあるうちに好きなことしよう」とコンビで話し合ったことをのちに回想している[8]。この時期、テレビ・ラジオのレギュラーが週14本[8]あったのに加え、劇場の出番をこなし、合間に取材を受けるという殺人的な多忙ぶりとなり、静岡と山梨で同日同時間に営業の仕事が重なる状態となり静岡からヘリコプターで山梨に移動した(山梨の方の漫才出番を飛ばし、握手会に切り替えた)[8]、楽屋で点滴を打っていた、などのエピソードが残る。 漫才ブームが沈静化するに従い仕事が減少し、また芸の消耗が激しかったこともあり、ザ・ぼんちは1986年に、一時コンビを解散した[5](各メンバーの活動については上述)。 長い休止期間をはさみ、2002年[6]に再結成した。2014年にはかつての同名の番組にちなんだコンテスト番組『THE MANZAI』に出場、認定漫才師50組に選出された。その予選控え室や会場通路の至る所で熱心に練習に励む若手の熱気と気迫に圧倒され、年数制限がないからと軽い気持ちの参戦を後悔する反面、前向きに漫才に取り組む若者達の姿に感動し、以後レギュラーの劇場出番のほか、若手中心のライブや学園祭にも積極的に参加し、記念ライブの会場に敢えて若手中心プログラムの常設劇場であるルミネtheよしもとや、古い歴史を持つ大須演芸場を選ぶなど、ベテラン、大御所という自覚を持たず若手と同じ目線、立場での芸能活動を展開している。 2024年には芸歴16年以上の漫才師による大会『THE SECOND 〜漫才トーナメント〜』に出場。ベスト32に進出し、開幕戦ノックアウトステージで285点の高得点を出すも、ハンジロウに2点差で敗れ、敗退した[10]。 受賞歴
芸風スマートな男前のまさとが丁寧にネタを振り、そこへ乗って大きくボケるおさむのコンビは異色であった[5][9]。この構図の原点はアメリカのコメディアンのコンビ「底抜けコンビ」(ディーン・マーティン&ジェリー・ルイス)にあるという。おさむはルイスの大ファンであることを公言しており、髪型やダンスなど、芸風が重なる部分も多々ある。 結成当初は秋田實直系の正統派のしゃべくり漫才を志向していたが、ギャグ(後述)と動きが満載の爆笑漫才でブレイクしたため「引っ込みがつかなくなった」(まさと談)[8]。 漫才ブームの時期は通常の背広ではなく、いわゆる「アイビールック」を着用し、トレードマークとなった[5]。 ギャグ
エピソード
出演コンビ揃っての出演作および、まさと個人の出演作。おさむのみの出演作はおさむの項参照。 現在出演中の放送番組
過去に出演した放送番組
テレビCMほか ディスコグラフィシングル
アルバム
映像媒体
タイアップ一覧
著書
弟子いずれもまさとの弟子 脚注
関連項目外部リンク
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