シャドウ・DN3
シャドウ・DN3 (Shadow DN3) は、シャドウ・レーシング・カーズが1974年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。1975年シーズン序盤にはアップデートされ、DN3Bとして使用された。BRMのエンジニアであったトニー・サウスゲートが設計したDN3は、ジャン=ピエール・ジャリエが1974年モナコグランプリで記録した3位が最高位であった。 開発サウスゲートが設計したDN3は、彼が前年に設計したDN1の発展型であった。DN1の問題の一つは、過度に振動する点であり、DN3はモノコックの構造を堅牢にすることでその問題をクリアした。DN3はホイールベースが延長され、DN1よちも5kg重かった[2]。 レース戦績1974年シーズンの序盤2戦、新人のジャン=ピエール・ジャリエは前年のDN1を使用したが、いずれもリタイアとなった。第3戦以降はDN3をドライブしている。マクラーレンで優勝経験のあるピーター・レブソンが加入し、開幕戦からDN3をドライブした。レブソンは開幕戦で予選4位、第2戦ブラジルで予選6位となったが、決勝はいずれもリタイアとなっている。レブソンは第3戦南アフリカグランプリ前のテストで事故死し、シャドウは同GPをキャンセルした[3]。 ブライアン・レッドマンがレブソンに代わって第4戦スペイングランプリから3戦に出場した。第7戦スウェーデングランプリでは地元ドライバーのバーティル・ルースが起用された。第8戦オランダグランプリ以降はトム・プライスが起用された。プライスは同年の第5戦ベルギーグランプリでトーケンからF1デビューを果たしている。プライスは第11戦ドイツグランプリで6位入賞、1ポイントを獲得し、チームはこの年合計7ポイントを獲得した。残る6ポイントはジャリエが獲得したが、彼はレブソンの死にも関わらず、シーズンの残りをファーストドライバーとして務めた。ジャリエはモナコで予選6位、決勝3位に入り、続くスウェーデンでも5位に入った[2]。チームは結局ランキング8位でシーズンを終えた[3]。 プライスは翌1975年シーズンの序盤2戦も改良型のDN3Bを使用したが、ポイントを獲得することはできなかった。 F1における全成績
^2 1976年シーズンのポイントはDN5BとDN8によるもの 注参照
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