ジョー・ウォルシュ
ジョー・ウォルシュ(Joe Walsh, 1947年11月20日 - 、本名・ジョセフ・ウォルシュ・フィドラー)は、アメリカのカントリー・ロック・バンド、イーグルスのギタリストである。マルチ・ミュージシャンとしても知られている。 2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第54位。 経歴彼は1947年にカンザス州のウィチタで生まれた。父のロバート・ニュートン・フィドラー中尉はアメリカ空軍のパイロットだったが、1949年に沖縄で墜落事故にあい、死亡している。[1] 1965年、オハイオ州のケント州立大学に音楽を学ぶために入学するが、ライブ活動に熱中し1年半で退学。 1969年に、ハードロック・バンド、ジェイムス・ギャングのギタリスト兼ボーカリストとしてデビュー。「ファンク#49」「ウォーク・アウェイ」などの佳曲を残した。その後、バーンストームを結成。ソロ活動にも早くから取りくみ、1973年の「ロッキー・マウンテン・ウェイ」が代表曲となった。彼は1975年、イーグルスに加入した。 イーグルスに加入する前から、ジェイムス・ギャングのメンバーとして、音楽業界ではその名が知られていた。1974年のアルバム『ソー・ホワット』にはグレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナーが参加しており、イーグルスの代表的アルバム『ホテル・カリフォルニア』のプロデューサーを務めたビル・シムジクをイーグルスと引き合わせたのは、ウォルシュである(シムジクとウォルシュはジェイムス・ギャング時代から共に仕事をしていた)。ウォルシュ加入後のイーグルスも、ステージでウォルシュやジェイムス・ギャングの曲を演奏している。1978年にはソロ・アルバム『ロスからの蒼い風』を発表し、このアルバムからカットされたシングル「この人生に賭けて(Life's Been Good)」(全米第12位、アルバムでは8分を超える大作)とともに、自身最大のヒットを収めた。 ウォルシュとドン・フェルダーのエレキ・ギターの掛け合いは、時にはバンドのフロントマンであるドン・ヘンリーとグレン・フライよりも目立つこともあった。また、1980年にはアメリカ大統領選に立候補をしようとした(当時33歳。被選挙権下限の35歳を下回るので実際にはできない)。『イーグルス・ライヴ』において、ティモシー・B・シュミットが「The next president of the United States, Mr. Joe Walsh」と紹介しているのを聴くことができる。 最も影響を受けたギタリストとしてデュアン・オールマンを挙げており、「自分は彼がやり残したことをやっているに過ぎない」と語っている。 ファンの間では、エクストラ級免許を持つアマチュア無線家としても知られている。[2] 2008年にリンゴ・スターの妻であるバーバラ・バックの妹と結婚し、リンゴと姻族関係になった。 ディスコグラフィ→詳細は「en:Joe Walsh discography」を参照
ソロ・アルバム
ジェイムス・ギャング
イーグルス→詳細は「イーグルスの作品」を参照
映画・ドラマ出演
脚注
関連項目外部リンク
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