『スタジオ102』(スタジオいちまるに)は、NHK総合テレビジョンにて1965年4月5日[3]から1980年4月5日[4]まで15年間生放送された朝の情報番組である。1971年3月6日までモノクロ放送[1]、同年3月8日からカラー放送[2]。
概要
日本放送協会(NHK)は1965年4月の番組改編で朝の報道番組の重点強化をはかり、日常生活に直結した機動的な報道ワイド番組として当番組がスタートした[5]。国外・国内のニュースに直結した話題を毎日選び、NHK独自のネットワーク網を生かして多彩な構成で興味深く紹介した[6]。特に文化(音楽・美術・演劇・舞踊など)の紹介、著名人とのインタビュー、日本各地の話題などの紹介が特徴であった。このような内容は、後年のこの時間帯の枠にも引き継がれた。当番組はNHKの各放送局及び海外総支局が参加したが、1964年の東京オリンピックの頃までは地方局の機材が不十分だった。東京オリンピックの後、地方局にテレビ取材の機材が行き渡るようになり、ネットワークを生かせるような番組を制作できるようになった[7]。なお、当番組には天気予報は内包されておらず、当番組の終了直後に独立した番組として放送された。
番組タイトルは、この番組を放送するスタジオの呼称である「102スタジオ」からの生放送を毎朝行うことから付けられ、この番組の開始にあたってスタジオ設備の改修が行われた[8][注 1]。
女性キャスターは週6日の放送となることから、2人あるいは3人が交代で担当していた[9][注 2]。
放送時間は、放送開始初年度が『NHKニュース[注 3]』が終了してすぐ、朝の7:25 - 8:00の35分間であった[6]。2年目の1966年以降は、7:20からの15分間をローカル枠に当てたため、7:35 - 8:12の37分間となった[10]。
1980年、それまで朝7時に放送されていた『NHKニュース』やローカル番組と一本化され、『NHKニュースワイド』へ発展解消するという形で終了した。
歴代キャスター
メインキャスター
- 野村泰治(1965年4月5日 - 1968年3月30日)
- 初見弘、大塚利兵衛(1968年4月1日 - 1970年4月4日、隔週交代)
- 川上裕之(1970年4月6日 - 1972年4月1日)
- 井川良久(1972年4月3日 - 1975年4月5日)
- 高梨英一(1975年4月7日 - 1977年4月2日)
- 斎藤季夫(1977年4月4日 - 1980年4月5日)
サブキャスター
- 帖佐美紀子(月・水・金)、大島道子(火・木・土)(1965年4月5日 - 1966年4月2日)
- 志賀靄子(月・水・金)、神崎滋子(火・木・土)(1966年4月4日 - 1967年4月1日)
- 河村陽子(月・水・金)、武内千瑞子(火・木・土)(1967年4月3日 - 1968年3月30日)
- 神崎滋子(月・水・金)、高島多恵子(火・木・土)(1968年4月1日 - 1969年4月5日)
- 橋本潤子(月・木)、高島多恵子(火・金)、後藤美代子(水・土)(1969年4月7日 - 1970年4月4日)
- 室町澄子(月・水・金)、田谷章子(火・木・土)(1970年4月6日 - 1971年4月3日)
- 室町澄子(月・木)、佐藤路子(火・金)、村田幸子(水・土)(1971年4月5日 - 1972年4月1日)
- 佐藤(現・増渕)路子(月・木)、伊藤慶子(火・金)、帰山礼子(水・土)(1972年4月3日 - 1973年3月31日)
- 月・木曜担当の佐藤、火・金曜担当の伊藤は、1972年末より結婚後の姓である「増渕」姓(佐藤)・「久保」姓(伊藤)名義で出演した。
- 井出佳津江(月・木)、加藤洋子(火・金)、帰山礼子(水・土)(1973年4月2日 - 1974年3月30日)
- 火・金曜担当の加藤は、1974年初頭より結婚後の姓である「小宮山」姓名義で出演した。
- 中島牧子(月・木)、井出佳津江(火・金)、長島澄子(水・土)(1974年4月1日 - 1975年4月5日)
- 山根基世(月・木)、遠藤ふき子(火・金)・井出佳津江(水・土)(1975年4月7日 - 1976年4月3日)
- 介川裕子(月・木)、山根基世(火・金)、遠藤ふき子(水・土)(1976年4月5日 - 1977年4月2日)
- 滝沢京子(月・木)、介川裕子(火・金)、安藤恵(水・土)(1977年4月4日 - 1977年8月20日)
- 1977年8月20日放送分で水・土曜担当の安藤がNHK大阪放送局転勤のため途中降板した。8月22日放送からの1週間は残った滝沢・介川の2人が通常とは異なるシフトを組んで(滝沢が月・水・金、介川が火・木・土)担当した[注 4]。
- 滝沢京子(月・木)、福田康子(火・金)、介川裕子(水・土)(1977年8月29日 - 1978年4月1日)
- 吉田敦子(月・木)、桜井洋子(火・金)、上安平洌子(水・土)(1978年4月3日 - 1979年3月31日)
- 桜井洋子(月・水・木)、吉田敦子(火・金・土)(1979年4月2日 - 1980年4月5日)
変遷
期間
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メイン
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サブ
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月曜日
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火曜日
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水曜日
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木曜日
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金曜日
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土曜日
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1965.04.05
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1966.04.02
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野村泰治
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帖佐美紀子
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大島道子
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帖佐美紀子
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大島道子
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帖佐美紀子
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大島道子
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1966.04.04
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1967.04.01
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志賀靄子
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神崎滋子
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志賀靄子
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神崎滋子
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志賀靄子
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神崎滋子
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1967.04.03
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1968.03.30
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河村陽子
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武内千瑞子
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河村陽子
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武内千瑞子
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河村陽子
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武内千瑞子
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1968.04.01
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1969.04.05
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初見弘 大塚利兵衛 (隔週交代)
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神崎滋子
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高島多恵子
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神崎滋子
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高島多恵子
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神崎滋子
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高島多恵子
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1969.04.07
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1970.04.04
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橋本潤子
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後藤美代子
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橋本潤子
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高島多恵子
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後藤美代子
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1970.04.06
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1971.04.03
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川上裕之
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室町澄子
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田谷章子
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室町澄子
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田谷章子
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室町澄子
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田谷章子
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1971.04.05
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1972.04.01
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佐藤路子
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村田幸子
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室町澄子
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佐藤路子
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村田幸子
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1972.04.03
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1973.03.31
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佐藤路子
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伊藤慶子
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帰山礼子
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佐藤路子
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伊藤慶子
|
帰山礼子
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1973.04.02
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1974.03.30
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井川良久
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井出佳津江
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加藤洋子
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井出佳津江
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加藤洋子
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1974.04.01
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1975.04.05
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中島牧子
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井出佳津江
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長島澄子
|
中島牧子
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井出佳津江
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長島澄子
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1975.04.07
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1976.04.03
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高梨英一
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山根基世
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遠藤ふき子
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井出佳津江
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山根基世
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遠藤ふき子
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井出佳津江
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1976.04.05
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1977.04.02
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介川裕子
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山根基世
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遠藤ふき子
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介川裕子
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山根基世
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遠藤ふき子
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1977.04.04
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1977.08.20
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斎藤季夫
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滝沢京子
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介川裕子
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安藤恵
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滝沢京子
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介川裕子
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安藤恵
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1977.08.22
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1977.08.27
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滝沢京子
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介川裕子
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滝沢京子
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介川裕子
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1977.08.29
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1978.04.01
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福田康子
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介川裕子
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滝沢京子
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福田康子
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1978.04.03
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1979.03.31
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吉田敦子
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桜井洋子
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上安平洌子
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吉田敦子
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桜井洋子
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上安平洌子
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1979.04.02
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1980.04.05
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桜井洋子
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吉田敦子
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桜井洋子
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桜井洋子
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吉田敦子
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吉田敦子
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テーマ曲
- 初代(番組スタート - ) - 作曲:河江一仁(CD『懐かしのNHKテレビ主題曲集』に収録)
- 2代目( - 番組終了まで) - 作曲:大野雄二
脚注
注釈
- ^ 3桁数字のスタジオ名を冠した番組はほかにも存在する。この名称のスタジオは、1973年までは内幸町の旧東京放送会館、それ以後は渋谷の現放送センターの両方に存在し、各々の時期に各々のスタジオで放送された。
- ^ なお、女性キャスターは冒頭で「アシスタントの○×です」と名乗った。
- ^ 朝7時のNHKニュース・全国は7:00 - 7:15までの15分間であった。各地の放送局からは7:15 - 7:20間での5分間であった。
- ^ なお、同週はメインの斉藤も夏季休暇のため出演しておらず、代役として伊藤鑛二が出演する。
出典
関連文献
外部リンク
NHK総合テレビジョン 朝のニュース・情報番組 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
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NHKニュース(7:00 - 7:15 → 7:00 - 7:20) 各局ローカル(7:15 - 7:20 → 7:20 - 7:35) スタジオ102(7:25 - 8:00 → 7:35 - 8:15)
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