デイヴ・スチュワート (ギタリスト)
デイヴ・スチュワート(Dave Stewart 、David Allan Stewart 、1952年9月9日 - )は、イギリスのミュージシャン、ギタリスト、音楽プロデューサー。ユーリズミックスのメンバー。 略歴12歳の時に、膝の骨折事故を起こし長期入院したことがきっかけでギターを始める[1]。 1960年代の後半には地元に来たロック・ミュージシャンのコンサートに足繁く通い、ブレイクする以前だったジミ・ヘンドリックスのギグを観たり、ティラノザウルス・レックス時代のマーク・ボランと楽屋でのセッションも経験した[1]。15歳の時にはフォーク・ロックバンドのツアーにローディーとしてついて行ってしまったというエピソードもある[1]。 後に友人と共にハリソン&スチュワートというデュオを結成し、地元のインディーズレーベル、マルチレコードからシングル「Deep December」をリリース。自身初のレコードとなった。1971年にはハリソン&スチュワートに新たなメンバーを加え、ロングダンサーというフォーク・ロックのバンドを結成。1972年にはエルトン・ジョンのロケット・レコード・レーベルと契約し2枚のアルバムをリリースするも、バンドは売れずヨーロッパ中をツアーする日々を送る。 1973年から1974年にはプラチナム・ウィアード (Platinum Weird)というバンドで活動。ミック・ジャガーのバースデーパーティーでのデビューギグの機会を得て、前述のロケット・レコード・レーベルとの契約も果たす。しかしデビュープロジェクトが順調に進む最中でボーカリストが突如失踪。バンドは解散してしまい、このことへのショックから以後荒んだ生活を送る。 やがてドラッグ摂取と交通事故で肺を痛め、ロンドンの病院に担ぎ込まれる。ここで同郷サンダーランド出身のピート・クームスと出会い意気投合[1]。1976年にはピートと訪れたレストランにてアニー・レノックスと出会い、3人でザ・キャッチを結成する[1]。程なくしてアニーと恋仲に発展し、同棲生活を始めている。 ザ・キャッチは後にバンドメンバーを揃え、1979年にはザ・ツーリスツへと改名。メジャーデビューを果たしヒット曲も生まれたが、1980年12月にツアー先のオーストラリアにてピートと対立を起こしバンドが分裂[1]。レノックスと共にユーリズミックスを結成。この時に創作活動のため、レノックスとの男女関係を解消した。 1984年のワールドツアー終了後にはロンドン郊外クラウチ・エンドにある古い教会を買い取り、チャーチと名付けたスタジオに改装した。 1987年に、当時バナナラマのメンバーだったシヴォーン・ファーイと結婚。馴れ初めは1983年にリリースしたユーリズミックスの「フーズ・ザット・ガール?」のPVにシヴォーンがゲスト出演したことがきっかけ。彼女との間に2人の子供をもうけるが、1996年に離婚した。2001年にはオランダ人の写真家と再婚し、2人の娘をもうけている。 ユーリズミックスでの成功後はラモーンズ、フィアガール・シャーキー、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、ジョン・ボン・ジョヴィ、t.A.T.u.、スティーヴィー・ニックスなど他アーティストのプロデュースや映画音楽の制作なども手がけている。またダリル・ホール、ミック・ジャガー、ボブ・ディラン、リンゴ・スター、ブライアン・フェリー、キャンディ・ダルファー、マルコム・マクラーレン、ケイティ・ペリーをはじめ、様々なアーティストとのコラボレーションも行っている。 2004年にはサンタナ、ジュエル、ノー・ダウトのグウェン・ステファニー、ブリトニー・スピアーズなどへの楽曲提供で知られる女性アーティスト、カーラ・ディオガルディとプラチナム・ウィアードを結成。これは前述した同名バンドの新生版であり、当時の音源をリアレンジしたアルバム『Make Believe』もリリースしている(国内盤はリリースされていない)。 2011年9月、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、ジョス・ストーン、ダミアン・マーリー、A・R・ラフマーンの5人から成るスーパーグループ「スーパーヘヴィ」を結成した。バンド結成の発端は、デイヴがジャマイカの自宅にミックを招いたことから。その時の会話から新しい音楽のアイデアが芽生え、以後18ヶ月に及ぶ断続的なレコーディング作業が秘密裏に行われ、デビューに至ったという[2]。ミックとデイヴは映画『殺したい女』の主題歌「Ruthless People」やミックのソロ・アルバム『プリミティヴ・クール』でのコラボレーションなど、以前から交流があった。 ディスコグラフィスタジオ・アルバム
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