ドミンゴ・ヘルマン
ドミンゴ・ヘルマン・ポランコ(Domingo Germán Polanco,[注 1] 1992年8月4日 - )は、ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在はフリーエージェント(FA)。 経歴プロ入りとマーリンズ傘下時代2009年8月8日にアマチュア・フリーエージェントでフロリダ・マーリンズと契約してプロ入り。 2010年に傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・マーリンズでプロデビュー。18試合に登板して2勝3敗6セーブ、防御率3.69、43奪三振を記録した。 2011年もルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・マーリンズでプレーし、8試合(先発6試合)に登板して2勝1敗、防御率1.82、40奪三振を記録した。 2012年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・マーリンズでプレーし、13試合に登板して2勝0敗、防御率1.61、29奪三振を記録した。 2013年から先発に転向。まずルーキー級ガルフ・コーストリーグでプレーし、5試合に先発登板して3勝0敗、防御率1.38、27奪三振を記録した。7月にA-級バタビア・マックドッグスへ昇格。A-級バタビアでは8試合に先発登板して2勝3敗、防御率1.76、34奪三振を記録した。 2014年はA級グリーンズボロ・グラスホッパーズでプレーし、25試合に先発登板して9勝3敗、防御率2.48、113奪三振を記録した。7月にはオールスター・フューチャーズゲームに世界選抜として選出された[5]。オフの11月20日にマーリンズとメジャー契約を結び[6]、40人枠入りを果たした。 ヤンキース時代2014年12月19日にデビッド・フェルプス、マーティン・プラドとのトレードで、ネイサン・イオバルディ、ギャレット・ジョーンズと共にニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[7]。 2015年は40人枠には入ったが、マイナー・オプションでA+級タンパ・ヤンキースに配属され、肘を痛めトミー・ジョン手術が必要になることが判明し[8]、マイナー、メジャーともに登板がないまま9月1日に40人枠を空けるため60日間の故障者リスト入りした。オフの12月3日にノンテンダーFAとなった[9]が、11日にマイナー契約で再契約した。 2016年はA級チャールストン・リバードッグスとA+級タンパでプレーし、2球団合計で10試合に先発登板して1勝3敗、防御率3.08、38奪三振を記録した。オフの11月4日に再びメジャー契約を結んで40人枠入りした[10]。 2017年は開幕をAA級トレントン・サンダーで迎えた。AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースを経て、6月11日にメジャー初昇格を果たした。同日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー[11]。 2018年は4月7日にメジャーへ昇格し、ジョーダン・モンゴメリーの離脱に伴って先発ローテーションに入った。6月6日にメジャー初先発し、6回を無安打、無失点、2四球、9奪三振の好投を見せた。6月14日のタンパベイ・レイズ戦で先発して6回3失点10奪三振でメジャー初勝利を挙げた[12]。しかし安定性が無く7月21日にマイナーへ降格。9月18日に再昇格した。最終的に21試合に登板(内14試合先発)し、奪三振率は10.72とポテンシャルを見せたものの、2勝6敗、防御率5.57といまひとつだった。 2019年は開幕から先発ローテーション入りして18勝を記録したが、9月19日にドメスティックバイオレンス(DV)の容疑で出場停止となる処分を受けた[13]。 2020年7月17日、自身のInstagramにて「僕は野球を離れます。みなさんありがとう。」と現役引退を示唆するようなコメントを投稿した[14]。しかし、翌日には同選手のInstagramで「野球は僕の命」と引退示唆を撤回し、謝罪の投稿をした。 2023年6月28日、敵地で行われたオークランド・アスレチックス戦でMLB史上24人目となる完全試合を達成[15]。MLBでは、2012年8月15日に達成したフェリックス・ヘルナンデス以来、11年ぶり史上24人目、ヤンキースでは1999年7月18日に達成したデビッド・コーン以来、24年ぶり史上4人目の記録となった[16][17]。これが評価され、7月3日に自身初となるプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞した[18]。しかし、8月2日にアルコール依存症の治療のため制限リスト入りし、シーズンを終えたことが発表された[19]。オフの11月2日に制限リストから復帰したものの、僅か4日後の6日にFAとなった。 パイレーツ時代2024年3月15日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結び[20]、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。なお、2025年はチームオプションとなる。メジャーに昇格した場合の年俸は1250万ドルで、オプションとして最大225万ドルの出来高が含まれる。 2024年8月9日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[21]。しかし7試合(先発2試合)の登板で防御率7.84と結果を残せず、9月5日にDFAとなり[22]、同月8日に傘下AAA級インディアナポリス・インディアンズに配属された[23]。10月15日にチームオプションを破棄され、FAとなった[24]。 選手としての特徴
最速99.5mph[26](約160.1km/h)の速球にカーブやチェンジアップ、シンカーを投じる。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
表彰
記録
背番号
脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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