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ノートルダムの傴僂男 (1923年の映画)

ノートルダムの傴僂男
The Hunchback of Notre Dame
劇場ポスター
監督 ウォーレス・ウォースリー
脚本 エドワード・T・ロウ・ジュニア英語版
パーレー・プーア・シーハン英語版
原作 ヴィクトル・ユーゴーノートルダム・ド・パリ
製作 カール・レムリ
ロン・チェイニー(クレジットなし)
アーヴィング・タルバーグ(クレジットなし)
出演者 ロン・チェイニー
パッツィ・ルース・ミラー
製作会社 アメリカ合衆国の旗 ユニバーサル・ピクチャーズ
配給 アメリカ合衆国の旗 ユニバーサル・ピクチャーズ
公開 アメリカ合衆国の旗1923年9月2日
日本の旗1924年10月3日[1]
上映時間 102分
117分(ディレクターズカット)
98分(カット版)
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 サイレント映画(英語インタータイトル)
製作費 推定125万ドル
興行収入 350万ドル[2]
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『ノートルダムの傴僂男』全編、字幕なし

ノートルダムの傴僂男』(ノートルダムのせむしおとこ、The Hunchback of Notre Dame)とは、1923年公開のアメリカ合衆国恋愛映画。近年は『ノートルダムのせむし』と表記されている。ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(1831年)の映画化で、監督はウォーレス・ウォースリー英語版。製作はカール・レムリアーヴィング・タルバーグ。出演はロン・チェイニーで、カジモド英語版のメーキャップとアクションはホラー映画の趣がある。性格俳優として知られていたチェイニーはこの映画でハリウッドのトップスターの仲間入りをし、その後も『オペラの怪人』など多くのホラー映画に主演した。他の出演者は、パッツィ・ルース・ミラーノーマン・ケリー英語版ナイジェル・ド・ブルリエ英語版ブランドン・ハースト。この映画はユニバーサル映画の「Super Jewel」(ユニバーサルは製作費の規模から等級を5つに分けていて、予算が高いものから順にSuper Jewel、Jewel、Bluebird、Butterfly、Red Featherと呼ぶ[3])で、15世紀パリを再現した巨大なセットは見ものである。

この映画は1951年とかなり早い時期にアメリカでパブリックドメインとなった。公開から28年目の著作権登録を更新しなかったからである[4]

あらすじ

カジモドに水を与えるエスメラルダ

1482年、パリ。背中にこぶを持つカジモドはノートルダム大聖堂で働く鐘つき男。ある日、大聖堂の前で祭が開かれ、そこで踊っているエスメラルダ英語版という美しいジプシーの娘を見かける。

カジモドの主人、クロード大僧正英語版にはジェハンという弟がいる。ジェハンはエスメラルダを欲し、カジモドに誘拐させようとする。しかし、たまたま通りかかった禁衛警護の武士フォッビュ英語版がエスメラルダを救い、カジモドは逮捕される。

フォッビュとエスメラルダは恋に落ちる。しかし、エスメラルダの養父で、悪党の巣窟「奇跡御殿英語版」の主クロパン英語版は二人の恋を許さない。

カジモドは公衆の面前で鞭打ちの刑に処せられる。喉が乾いて苦しんでいるカジモドを哀れに思い、エスメラルダは水を与える。カジモドはエスメラルダの優しい心に感謝する。

エスメラルダを得るためにはフォッビュが邪魔と考えたジェハンは、二人が逢引している最中に、背後からフォッビュを刺す。駆け付けた人々はエスメラルダがやったと誤解。エスメラルダは無実を主張するが、拷問に耐えられず、やってもいない罪を認めてしまう。

エスメラルダの絞首刑が大聖堂の前で行われようとしている。しかし、以前に助けられた恩返しからカジモドはエスメラルダを救出、聖域である大聖堂の中にかくまう。

エスメラルダを奪い返そうとクロパンに率いられた群衆が大聖堂に押しかける。ひとり防戦するカジモド。群衆の頭上に溶けた鉛の雨を降らせる。鎮圧のため警護隊も到着する。

この混乱に乗じてジェハンはエスメラルダを連れ去ろうとする。そうはさせじとカジモドはジェハンと争う。ジェハンに刺されながらも、カジモドは城壁からジェハンを投げ落とす。

エスメラルダは怪我から復帰したフォッビュと再会する。二人を祝福するように大聖堂の鐘が鳴り響く。瀕死のカジモドが最後の力を振り絞って鳴らしているのだった。

キャスト

ロビーカード

制作

セットを視察するウォースリー監督(1922年12月)

以前からロン・チェイニーはカジモド役を熱望していて、それは周知の事実だったと『The Film Daily』は伝えている[7]。先にチェイニーが映画化権を取得し、ユニバーサルに持ち込んだことも知られている。ユニバーサルだけでなく、ドイツやChelse Corporationとも交渉した[8]。実際に、1922年4月、Chelse Corporationはロン・チェイニー主演、アラン・クロスランド監督で製作すると発表している[9]。しかしこの企画は立ち消えになってしまった[8]

過去にチェイニー、トッド・ブラウニングと仕事をしていたユニバーサル社のアーヴィング・タルバーグは芸術性の高い映画を製作したいと望んでいた。それでこの作品を「ラブ・ストーリー」として社長のカール・レムリに提案。レムリはチェイニーのこのところの興行成績が好調だったことから企画を承認した[8]

1922年8月、ユニバーサル社は『Universal Weekly』誌を通じて、『ノートルダムの傴僂男』の製作を発表[10]。さらにシナリオの進捗状況、セットの建設についても続報として報じている[11]。9月にはチェイニーが『天罰(The Penalty)』(1920年)に続いて障害者を演じることを明らかにした[12]。映画化権を持っているチェイニーはこれまで以上に発言権を持った。クレジットはされていないが、事実上プロデューサーだった。タルバーグの役割は予算を削られないようレムニと対応することだった[8]

11月下旬にはウォーレス・ウォースリーを監督に起用することでパラマウント映画と交渉中、と発表された[13]。ウォースリーは前述『天罰』など4作品でチェイニーとコンビと組んでいた。

15世紀のノートルダム大聖堂と周辺の町並は正確に再現する意向と報じられた。大聖堂の「王のギャラリー」は完成まで6ヶ月かかる見込みだった。1922年末には脚本が完成[14]

翌1923年1月初旬、「奇跡御殿」のシーンから撮影がスタートした。パリの闇社会の再現には数百人のエキストラを追加しなければならなかった(『Motion Picture News』誌は最終的に300人から500人いたと報じている[15][16])。大聖堂とその周辺のセットはまだ建設中だった。2月初旬にはゴンドローリエ夫人のシーンを撮影。エキストラのために大量の衣装が必要で、ユニバーサル社の衣装部は揃えるのに6週間もかかった[17]

1923年3月、『The Film Daily』はウォースリーがメガホンの代わりに無線とスピーカーでエキストラに指示してることを報じている.[18]

さらに『The Film Daily』は6月8日、クランクアップと、アスター劇場で9月2日に公開することを告げている[19]

1923年初めの段階で製作費は75万ドルから100万ドルの間だったとされている[20]

脚注

  1. ^ 東京朝日新聞 大正13年(1924年)10月2日夕刊の広告(浅草日本館神田日本館目黒キネマ
  2. ^ Biggest Money Pictures”. Variety. p. 1 (June 21, 1932). 2020年1月18日閲覧。
  3. ^ Prince, Stephen (2004). The Horror Film. Rutgers University Press. ISBN 978-0813533636 , p.55
  4. ^ Pierce, David (June 2007). “Forgotten Faces: Why Some of Our Cinema Heritage Is Part of the Public Domain”. Film History: An International Journal 19 (2): 125–43. doi:10.2979/FIL.2007.19.2.125. ISSN 0892-2160. JSTOR 25165419. OCLC 15122313. 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m The Hunchback of Notre Dame (35 mm reel). Universal. 1923.
  6. ^ https://www.springfieldspringfield.co.uk/movie_script.php?movie=hunchback-of-notre-dame-the-1923
  7. ^ “"U" making "Notre Dame"”. The Film Daily 21 (42): 1. https://archive.org/stream/filmdaily2122newy#page/n352/mode/1up/search/hunchback. 
  8. ^ a b c d Soister, John T. (2012). American Silent Horror, Science Fiction and Fantasy Feature Films, 1913-1929. McFarland & Company 
  9. ^ “Chelsea Corporation to Start Production”. Exhibitor's Trade Review 11 (22). https://archive.org/stream/exhibitorstrad00newy#page/1545/mode/1up. 
  10. ^ “Forthcoming Screen Productions Keep Universal City Studios Busy”. Universal Weekly 16 (2): 12. (September 1922). https://archive.org/stream/universal1516univ#page/n543/mode/1up/. 
  11. ^ “Universal to Film "The Hunchback of Notre Dame," Hugo's Great Novel”. Universal Weekly 16 (3): 27. (September 1922). https://archive.org/stream/universal1516univ#page/n602/mode/1up/. 
  12. ^ “Chaney to Play 'The Hunchback of Notre Dame' for Universal”. Universal Weekly 16 (4): 27. (September 1922). https://archive.org/stream/universal1516univ#page/n645/mode/1up. 
  13. ^ “Universal Moviegrams”. Universal Weekly 16 (15): 18. (September 1922). https://archive.org/stream/universal1516univ#page/n903/mode/1up/. 
  14. ^ “Cathedral of Notre Dame to be Built by Universal”. Universal Weekly 16 (17): 15. (September 1922). https://archive.org/stream/universal1516univ#page/n988/mode/1up/. 
  15. ^ “Universal City”. Motion Picture News 27: 373. (1923). https://archive.org/stream/motionpicturenew00moti#page/n95/mode/1up/. 
  16. ^ “Universal Starts Big Spectacle”. Motion Picture News 27: 175. (1923). https://archive.org/stream/motionpicturenew00moti#page/n366/mode/1up/. 
  17. ^ “At Universal City”. Motion Picture News 27: 578. (1923). https://archive.org/stream/motionpicturenew00moti#page/n571/mode/1up/. 
  18. ^ “Radio Replaces Megaphone”. The Film Daily 23-24: 493. (March 1923). https://archive.org/stream/filmdaily2324newy#page/n492/mode/1up/search/hunchback. 
  19. ^ “"The Hunchback" at Astor Theater”. The Film Daily 23-24: 1083. (March 1923). https://archive.org/stream/filmdaily2324newy#page/n1082/mode/1up/. 
  20. ^ “Universal Starts Big Spectacle”. Motion Picture News 27: 175. (1923). https://archive.org/stream/motionpicturenew00moti#page/n175/mode/1up/. 

注釈

  1. ^ 紋章フルール・ド・リスの名を持つ。フランスでは政治的・表象的・象徴的意味合いが強い

外部リンク

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