フェートン (車両)フェートン(Phaeton、Phaëton、Phaethon)は、16世紀以降、馬車の車体形状の呼び名として使用され、19世紀末からは自動車の車体形状の呼び名としてオープンカーの一形式を指す用語として使用された。 馬車最初にキャリッジ(馬で引く車両の一種)の分類にフェートンを用いた16世紀のフランスでは、古いものにちなんで名づけることが流行していた。この言葉はすぐにイギリスとアメリカに広まり、その後18世紀から19世紀にかけて流行した。 この用語法には厳密な定義はなく、決まりといえばオーナードライバー(馬車でもドライバーである)用車両であること、なんらかのカバーが少なくともドライバーにあることぐらいである。大型車両から小型車両まで、また一頭立てでもそれ以上でも、広く使われた。製造業者のほうでもこの名前を大まかに使っていた。 より一般的で優雅なフェートンはメール・フェートン (Mail Phaeton) とスパイダー・フェートン (Spider Phaeton) である。メール・フェートンは、人と荷物を同時に乗せることができ、旅行などで使用された。郵便配達用コーチで1805年から使われたサスペンションを装備した車両に由来する。スパイダー・フェートンは米国発祥で、オーナードライバーが運転する軽量車両のこと。非常に繊細なボディラインと手抜きのない作りからそう名づけられた。米国で1860年代に作られたが、1890年代になって米国と欧州で人気が出る。多くの会社が同様のデザインで作成した。 最も豪華なものとしては英国のハイフライヤーと呼ばれた四輪馬車が有名。ボディにはスプリングが使用され、はしごを使って乗り降りをした。 シートは遊戯用では1列、ツーリング用途では2列以上のシートをもつものが一般的で、2列はダブルフェートン、3列となるとトリプルフェートンと呼ばれた。 自動車自動車におけるフェートンは、20世紀前半のオープンボディースタイルの主流であった一形式を指す。折りたたみ式の幌を備えた乗用車で、おもに2列4人乗以上の4ドア幌付オープンカーに対する名称であった。 概要2列4席のシートで4ドアのオープンタイプ以外に、2人乗り、6人から7人乗りもある。ガラス窓(ロールアップ・ウインドウ)が標準になる以前のボディタイプで、窓ガラスをもたない幌付のオープンカーをフェートンと呼ぶ。 1898年、ベンツは、幌付き2人乗りをフェートンと名づけている。その後、同一車種で1列シート2人乗りと2列シートで4人乗りのものがある場合、前者をラナバウト(主に米国)やロードスター、後者は当初トノー(樽)状の後席だったためトノーと呼ばれたが、以後これはサイドにドアが付き(サイドエントランス・トノー)、トノーがボディ一体型となるに従いこのスタイルをツーリングカー、ツアラー、オープンツアラー、フェートンと呼ぶようになる。 しかしながら自動車黎明期にも幌つきの2人用をフェートンとよんだベンツの例もあるので馬車での呼称と同様、一概に一つの形式には定められない。後席の足元スペースが広いものでは、前席と後席の間に折りたたみ式の補助席を持ち6〜7人乗車が可能となっていた。 米国では1930年代から、それまでのスナップ止めなどのカーテンではなくセダンやクーペなどのクローズボディで使用されているガラス窓仕様となり、これはコンバーチブルとよばれた。閉じればクーペやセダン相当になったことからクーペやセダンに変換可能(コンバーチブル)だったのである。コンバーチブルとよぶためにはオープン時にガラス窓をすべて隠さなければならず、当時はその製作には技術力が要求されたので、コンバーチブルを作れるメーカーは高度な技術をもっていると認識されフェートンと差別化することがおこなわれた。しかし、コンバーチブルはフェートンやオープンツアラーにロールアップウィンドウが付加されたものであり、フェートンからコンバーチブルへの変遷は技術的進化の過程だったと捉えられる。 サブタイプとしてのフェートンオープンボディスタイルの主流がコンバーチブルとなって以降も、1930年代から1940年代にかけて、フェートンは米国系高級車のボディスタイルのサブタイプとして使用されている。ビュイック、キャディラック、リンカーン、パッカードでは、5人乗り4ドアのコンバーチブルをコンバーチブル・フェートン (Convertible Phaeton) とよび、4人乗り2ドアコンバーチブルをコンバーチブル・クーペ (Convertible Coupe) とよんでいた。また、コード (Cord) では5人乗り4ドアのコンバーチブルはコンバーチブル・フェートン・セダン (Convertible Phaeton Sedan) とよび、クーペベースの4人乗り2ドアコンバーチブルをカブリオレ (Cabriolet) とよんだ[1]。 日本のフェートン日本では1930年代に使用された用語で、すでに日本で生産をはじめていたフォード・モデルT(フォード・T型)(1925年 大正14年 横浜子安工場)やGMシボレー(1927年 昭和2年 大阪工場)の影響もあり、日本ではコンバーチブル以前の2列のシートをもつ幌型オープンカーをフェートンと呼ぶところから始まっている。 1932年、ダット自動車製造からダットサンの名前がつけられた11型はフェートンであった。ダットサンのセダンは5年後の1937年、16型登場まで待つことになる。 1936年9月、トヨタ社初の乗用車、AA型はセダンとして作られたが、同時にフェートンのAB型も作られた(同年10月トヨタを正式名称として使用開始している)。 AA型は6年で1400台強の生産だったのに対し、AB型は2年で350台あまりであった。日本でのフェートンは陸軍車輌として使われたのがほとんどで、悪天候時はサイドカーテンを付けて風雨をしのいでいた。その後のトヨタ自動車第2弾B型は、トヨタBAセダン、トヨタBBコンバーチブルという、フェートンではなくガラス窓のコンバーチブルであった。 フェートンと名付けられた主な自動車
脚注関連項目 |