フランチェスコ・アントニオーリ
フランチェスコ・アントニオーリ(Francesco Antonioli, 1969年9月14日 - )は、イタリア・モンツァ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはGK。 経歴1986年8月27日、コッパ・イタリアのユヴェントス戦でモンツァの選手としてプロデビュー[1]。モンツァではカシラギ、コスタクルタらとプレーした[1]。 1988-89シーズン、もうすぐ19歳という頃、モンツァのもう一人のGKである、ダヴィデ・ピナートと共に、ACミラン移籍、ピナートは第2GK、アントニオーリは第3GKという位置付けであった[1]。1989-90シーズンの公式戦出場は0に終わり、1990年にセバスティアーノ・ロッシのミラン移籍に絡んで、チェゼーナ へとレンタルに出されたが、マルチェロ・リッピ監督の構想から外れ、出場機会が無いまま モデナ へとレンタルに出された[1]。モデナで良いシーズンを過ごし、1991-92シーズンにロッシの控えGKとしてミランへ複帰[1]。4月18日、第29節のインテル戦でセリエAの舞台での初出場を果たすと、以降の3試合でも起用された[1]。 1992年夏にイタリアU-21代表として、UEFA U-21欧州選手権で先発の座を掴んで優勝すると、1992-93シーズン、ファビオ・カペッロはスタメン起用を決めた[1]。しかし、10月4日フィオレンティーナ戦ではミスを犯し、前半のみで交代を命じられ、SSラツィオ戦ではロッシが先発起用された[1]。11月22日のミラノダービーでも、ルイジ・デ・アゴスティーニの簡単なシュートをファンブルし同点ゴールを許すと、ファンたちは、アントニオーリの起用を疑問視、ロッシの起用を求めたが、翌週のユヴェントス戦でも先発起用された[1]、しかし、前半に負傷でロッシと交代[1]。この試合でロッシがジャンルカ・ヴィアリのPKをストップして勝利に貢献すると[2]、以降ロッシが完全に定位置を掴み、翌1993-94シーズン、ピサへとレンタルという形で放出され、ロッシと対照的なキャリアを歩んだ[1]。 その後、ACレッジャーナ1919、ボローニャFCなどを渡り歩き、1999年に移籍したASローマでは再びカペッロ監督と再会、レギュラーとしてリーグ優勝に貢献した[1]。しかし、2003年にローマから放出され、サンプドリアへ加入した[1]。その後は、ボローニャ、チェゼーナでプレーした。 イタリア代表としては、EURO2000に第3GKとして招集されたが、出場機会は無かった[1]。 2012年に現役を引退し、2013-14シーズンよりチェゼーナのGKコーチを務めている[3]。 タイトル
脚注
外部リンク
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