ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ(スペイン語: Jerez de la Frontera)は、スペイン・アンダルシア州カディス県のムニシピオ(基礎自治体)。カディスから約37km北東の内陸に位置する。シェリー酒(スペイン語: Vino de Xerez、ヘレスのワイン)とフラメンコで知られている。 歴史旧石器時代から人が住んでおり、3000年前にはタルテソス人が居住していた。「ヘレス」の名はフェニキア語の「セレス」(Xeres)に由来する。のちにローマ化され「ケレト」(Ceret)と呼ばれたが、ローマ時代の町の場所は不明である。ローマ時代には重要な町アスタ・レギアもあり、その遺跡は現在のヘレス市内にある。 イスラム支配期には「シェリシュ」と呼ばれ、経済的・軍事的に重要な町であった。7世紀から8世紀には、現在旧市街と呼ばれる場所に都市計画によって市壁や塔、通りが建設された。1264年、アルフォンソ10世に征服され、カスティーリャ王国の支配下に入った。「フロンテーラ」とは、国境の意味で、キリスト教国とイスラム教国の「境」だったことに由来する。 15世紀には、農業、商業、ワイン産業によって経済的・文化的に発展した。アメリカ大陸発見とグラナダ征服は、セビリアやカディスの港に近いヘレスに繁栄をもたらした。17世紀にスペインの衰退が始まったが、ヘレスではシェリー酒が世界的に有名になり多くの酒倉が生まれた。 19世紀始めのナポレオン支配に対するスペイン独立戦争では、フランス軍による占領と略奪を被った。18世紀から19世紀にかけては産業化が進み、19世紀半ばに港との間に鉄道が敷かれた。19世紀後半、少数のブルジョア層と労働者との間に対立が生じ、農民暴動が続いた。政府はアナーキストの秘密結社「黒い手」(La Mano Negra)による犯行という噂を流し、弾圧の口実とした。 ヘレスは現在の形のフラメンコの発祥地とされる。19世紀から20世紀にはこの町で多くのフラメンコ演奏家が生まれ、歌唱やギターによって名声を博した。現在ではフラメンコ学校やフラメンコセンターが置かれている。 人口
政治自治体首長はアンダルシーア国民党のマリーア・ホセ・ガルシーア=ペラージョ・フラード(María José García-Pelayo Jurado)[6] で、自治体評議員はアンダルシーア国民党:15、アンダルシーア社会労働党:5、ヘレス市民フォーラム:4、アンダルシーア統一左翼:3となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[7]。
司法管轄区ヘレス・デ・ラ・フロンテーラはヘレス・デ・ラ・フロンテーラ司法管轄区に属し、同管轄区の中心自治体である[1]。 名所と祭り
ギャラリー
スポーツ
交通市街から北東に8kmの位置にヘレス空港がある。 姉妹都市
出身者
脚注
外部リンク
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