ポーランド陸軍
ポーランド陸軍(ポーランド語: Wojska Lądowe、陸軍)は、ポーランドが保有する陸軍である。現在では約62000人の兵員を有しており、NATOや国連の平和維持活動により世界中に展開している。歴史上においてポーランド陸軍は約1000年前にまで遡れ、現代のものは1918年の第一次世界大戦後の独立に際して新たに誕生したものである。 歴史1918年 - 1938年ポーランドが1918年に独立を回復したとき再建された軍隊は、1919年から1921年にかけてのポーランド・ソビエト戦争と、2つの小規模紛争(ポーランド・ウクライナ戦争(1918年-1919年)とポーランド・リトアニア戦争(1920年))に参加した。 当初、第一次世界大戦の直後、ポーランドには5つの軍管区(1918-1921)が置かれた。
ポーランド・ソビエト戦争の準備をしていたポーランド郷土軍は、かつてポーランドを支配していた様々な帝国で勤務していた将兵によって構成され、一部は国際的な志願兵によって支援されていた。合計約30のポーランド師団が関与していたという。ボリス・サヴィンコフは、主にソ連赤軍出身の捕虜20,000人から30,000人から成る軍を率いており、ディミトリー・メレシュコフスキーとジナイーダ・ギッピウスも関与していた。ポーランド軍は1918年の約10万人から1920年初頭には50万人以上に増加した。 1920年8月、ポーランド軍の総兵力は737,767人に達しており、その半分は最前線にいた。ソ連が被った損失を考えると、両軍の間には大まかな数値的同等性があった。ワルシャワの戦いの時までに、ポーランド側は兵員数と兵站においてわずかに優位に立ってすらいた。 ポーランド側で編成された主要な部隊の中には、リトアニア・ベラルーシ戦線(フロント、軍集団や方面軍に相当)を含む多くの戦線と、第1ポーランド軍を含む約7つの軍があった。 1939年 - 1945年ナチス・ドイツのポーランド侵攻が1939年9月1日に開始されたとき、ドイツ軍はポーランドの激しい抵抗にもかかわらず電撃戦を展開し、またたく間にポーランドの半分を占領した。またソビエト連邦が独ソ不可侵条約の秘密協定に従ってポーランド東部に侵攻し、占領した。ポーランドの敗戦後、残存した将兵たちは再結集を試み、フランス・ポーランド軍(1939-1940年)、のちの西部ポーランド軍となった。 西部ポーランド軍と東部ポーランド軍、そして主に国内軍(AK)に代表されるパルチザンは、第二次世界大戦中に地上部隊として組織された。連合軍として戦う部隊はポーランド空軍と海軍の支援を受けていたが、パルチザン部隊はもっぱら地上部隊のみであった。 今日運用されているポーランド軍は、第二次世界大戦後にポーランド人民共和国を設立するという目的を持つソ連から支援を受けて形成された、ソ連軍の代理部隊に根ざしている。こうして編成されたポーランド軍第1軍と第2軍は、いくらかのポーランド航空部隊によって支援されつつ、東部戦線で赤軍とともに戦った。第3軍の編成も始まったが、完了しなかった。 1945年 - 1989年第二次世界大戦の終結時、ポーランド陸軍の組織は集中的に発展することとなった。ポーランド戦線を形成するとの構想は取りやめられたが、新たな部隊や兵科が創設された。動員の結果、1945年5月の兵員数は37万人、1945年9月には44万人に達した。解放された地域に軍管区が組織され、管区内にある部隊に対して直接の権限を行使した。 ポーランドに戻った第2軍は、イェレニャ・グラからカミエン・ポモルスキまでの西部国境の保護を任務とし、その司令部をもとにして、ポズナン軍管区参謀部がポズナンに創設された。イェレニャ・グラからウショク駅(ポーランド・ソ連・チェコスロバキアの国境が接する)にいたる南の国境は、第1軍が担任した。その司令部はシレジア軍管区参謀部の基礎を形成した。 第二次世界大戦の終結後の1945年半ば、ポーランド陸軍は、ポーランド人民軍全体の一部として、6つの地区(後に7つの地区)に分割された。これらは、ワルシャワ軍管区(司令部ワルシャワ)、ルブリン軍管区(司令部ルブリン)、クラクフ軍管区(司令部クラクフ)、ウッチ軍管区(司令部ウッチ)、ポズナン軍管区(司令部ポズナン)、ポメラニアン軍管区(司令部トルン、短命に終わったポーランド人民軍第1軍団の参謀部が前身)、1945年秋に創設のシレジア軍管区(司令部カトヴィツェ)であった。 1945年6月、第1、第3、第8歩兵師団に国内警備任務が割り当てられた。第4歩兵師団は、国内保安軍(KBW)を創設する目的で再編成された。この措置は、各歩兵師団を主にウクライナ蜂起軍(UPA)に対して投入し、国内保安軍は武装した地下独立組織と戦うためであった。 しかし、しばしば陸軍部隊は地下抵抗組織と戦い、逆に襲撃を受けることもあった。UPA弾圧作戦の集大成は、1947年に行われたいわゆる「ヴィスワ行動」(ヴィスワ作戦)であった。同時に動員解除が行われ、軍隊は平時の体勢に移った。1945年8月10日、軍隊の「部分的動員解除令」が発令された。次の動員解除段階は1946年2月と12月に行われた。 戦後、軍が直面した最も重要な任務の1つは、大戦以降に設置された地雷の除去であった。1944年から1956年の間に、地雷除去作業には44個の工兵隊と、約19,000名の工兵が携わった。彼らは250,000平方キロメートル以上(国土面積の80パーセント)の担当地域で地雷やその他の弾薬を撤去した。1,475万発の様々な地雷、5,900万発の砲弾、爆弾、その他の弾薬が発見され撤去された。採掘作業は646人の工兵の命を犠牲にした。 1949年、軍管区は4つに縮小され、ポメラニア軍管区(司令部ビドゴシュチュ)、シレジア軍管区(司令部ヴロツワフ)、ワルシャワ軍管区(司令部ワルシャワ)、クラクフ軍管区(司令部クラクフ)となった。1953年11月、クラクフ軍管区は解体され、1992年までポーランドは3個軍管区体制であった。 勝利とポーランド国境の西方移動の後、これらの軍隊やポーランド将兵はソビエト連邦に忠実であると考えられ、ワルシャワ条約機構の一部を形成する軍隊へと発展した。ポーランド軍は有事には、NATOの中央欧州連合軍を攻撃するために配備される第2の戦略的梯団の一部を形成していただろう。1958年に結成されたポーランド戦線司令部は、1955年以降に結成された3つの部隊である第1軍・第2軍・第4軍とは別に、有事の動員を目的として各軍の地区内に編成されることになっていた。 ポーランド戦線司令部は1990年に廃止され、三個軍の動員計画も同様に放棄された。共産主義時代のポーランドの陸上部隊には、国内治安維持を目的とする領土防衛軍(OTK)と、国境警備を担任する部隊が含まれていた。 共産主義が崩壊するまで、軍の威信は低下し続けた。これは軍が1956年のポズナン暴動、1970年の全国規模暴動、1981年から1982年の戒厳令中の抗議活動など、いくつかの抗議の爆発を暴力的に鎮圧するために共産主義政府によって使用されたためであった。シレジア軍管区に属する一部の部隊は、一般にプラハの春として知られている1968年のチェコスロバキア民主化プロセスを抑圧する作戦にも投入された。 1989年の時点で、ポメラニア軍管区は第8・第12・第15・第16・第20師団、シレジア軍管区は第2・第4・第5・第10・第11師団、ワルシャワ軍管区は第1・第3・第9師団をそれぞれ隷下に置き、さらに第6空挺師団は陸軍総司令部直轄であった。第7海兵師団はポメラニア軍管区を本拠地としていたが、おそらく総司令部直轄であった。ドイツに面した2つの軍管区は、1990年時点でそれぞれ4個の師団を隷下に置いていたが、1990年代後半のソビエトの防衛ドクトリンに沿って、機械化歩兵連隊と戦車連隊の構成比を、それまでの3対1から2対2に再編成した。 東部のワルシャワ軍管区は第1機械化師団のみを隷下に置いた。同軍管区の他の2つの機械化師団は1988年に解散した。第6空挺師団と第7海兵師団については、おそらくワルシャワ条約機構軍によるデンマーク攻撃の一翼を形成し、バルト海の出口を確保して北海からさらに遠方への進出を意図していた。この当時の兵員数は205,000人で、そのうち168,000人が徴兵された。 1989年以降冷戦の終結後、ポーランド陸軍は劇的に縮小・再編成された。1992年、クラクフ軍管区が再建された。それまでの9個師団体制から、2001年までに4個師団と6個独立旅団へと削減するように計画された。1999年1月1日以来、ポーランドは2つの軍管区に分かれている。これらは、ポーランド北部をカバーするポメラニア軍管区(Pomorski Okręg Wojskowy、司令部ビドゴシュチュ)と、ポーランド南部をカバーするシレジア軍管区(Śląski Okręg Wojskowy、司令部ヴロツワフ)である。 その日以来、旧クラクフ軍管区は航空機械化軍団の司令部となり、後に第2機械化軍団の司令部となった。2011年9月1日、第1ワルシャワ機械化師団は解散した。 エドワード・ピエトルジク将軍は2000年から2006年9月までポーランド陸上部隊の司令官を務めた。後任にはヴァルデマール・スクシプツァク将軍(2006年-2009年)が就任した。 2014年5月、トマシュ・シェモニアク国防相はウクライナ危機に対応して、攻撃ヘリコプターの将来の取得計画を発表した。2015年11月25日、国防委員会のミハウ・ヤッハ委員長はポーランド軍の数を10万人から15万人に増やす必要性を示しつつも、このプロセスは複雑であり、急ぐべきではないと強調した。 2022年7月25日、ポーランド軍装備庁は韓国よりK2戦車の本国仕様180両、韓国・ポーランド共同開発のK2PL820両、合計1000両の調達をするとともに、K2PLの生産経験を反映した新型戦車K3PLの開発を発表した。同発表においては、初期調達されるK2戦車180両は、2026年以降K2PL仕様にアップグレードされる事も併せて発表された。 組織編成
独立部隊 兵科
階級
装備車両
軍用車両歩兵戦闘車
装甲兵員輸送車
偵察戦闘車
自走榴弾砲
MRAP
対戦車車両
移動式地対空ミサイル
移動式対空砲
自走式対空砲
移動式対空レーダー
移動式対砲兵レーダー
電波妨害装置
4輪バギー
多用途車
輸送用トラック
Star 244 Star 266 - 4708台 Star 266M - 292台 Star 660M2-D Star 660M3 Star 944K - 456台 Star 944KD - 185台 Star 1466ML - 63台 Star 1444 - 1台 Star 15.225 - 1台 Star 14.220DK - 9台 Star 14.225DK - 16台 R-140M GD-2 (Typ 528) Typ 514 CD-5 (Typ 520) WUS-3 IRS ADK-11 Star 266-based excavator Star-266 AP-64 Star-266 BP-64
P/S662D.43 - 178台 P662D.43 - 7台 P662D.35 - 15台 P662D.34 - 101台 P642D - 1台 C642D.35 - 36台 C642D.34 - 15台 C662D.35 - 1台 P/S862D.43 - 70台 P/S842D.43 - 1台 P/S842D.35 - 3台 P662.D35 AWRU - 9台(10台を調達予定) P882D.53 WA - 12台(30台を調達予定) P662D.35 WRUiE - 2台(5台を調達予定)
Trakker - 9台 Eurotrakker - 59台 Eurocargo - 309台
指揮統制車
軍用救急車
装甲回収車
工兵用装備(車両)
架橋戦車
爆発物処理用装備
戦車回収車
航空機ヘリコプター
無人機
火器軍用ナイフ個人用装備戦闘用ヘルメット
迷彩及び戦闘服
防弾ベスト
軍靴
特別装備
化学装備
小火器拳銃
信号拳銃短機関銃(サブマシンガン)
散弾銃(ショットガン)
自動小銃(アサルトライフル)
対人用狙撃銃
対物狙撃銃
軽機関銃
重機関銃
グレネードランチャー(アタッチメント)
手榴弾発煙弾対人用手榴弾地雷(対戦車用)自動擲弾銃
迫撃砲
火砲
多連装ロケット
迫撃砲歩兵携行型ミサイル携行型対空ミサイル(MANPADS)
携行型対戦車ミサイル
脚注
出典関連項目
|