マイク・ウィルソン (外野手)
マイケル・ラードーン・ウィルソン(Michael LaDon Wilson, 1983年6月29日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州タルサ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 経歴プロ入りとマリナーズ時代2001年のMLBドラフトでシアトル・マリナーズに2巡目(全体67位)で指名され入団した[1]。 2002年は傘下ルーキーリーグのアリゾナリーグ・マリナーズ(AZLマリナーズ)で41試合に出場し、打率.238、4本塁打、19打点を記録した[1]。 2003年も傘下ルーキーリーグのAZLマリナーズで48試合に出場し、打率.311、3本塁打、25打点を記録した[1]。 2004年は傘下ショートシーズンAのエバレット・アクアソックスで66試合に出場し、打率.259、9本塁打、51打点を記録した[1]。 2005年は傘下Aのウィスコンシン・ティンバー・ラトラーズで127試合に出場し、打率.266、19本塁打、84打点を記録した[1]。 2006年は傘下アドバンスAのインランド・エンパイア・シックスティシクサーズで52試合に出場し、打率.315、9本塁打、38打点を記録した[1]。その後、傘下AAのサンアントニオ・ミッションズに昇格した、ここでは67試合に出場し、打率.245、12本塁打、43打点を記録した[1]。 2007年は怪我のため、リハビリも兼ねて開幕をAZLマリナーズで迎えた。ここでは2試合に出場した[1]。その後、傘下AAのウェストテン・ダイヤモンドジャックスに昇格した。ここでは55試合に出場し、打率.188、10本塁打、28打点を記録した[1]。 2008年は傘下AAウェストテンで119試合に出場し、打率.276、27本塁打、84打点を記録した[1]。 2009年2月21日にケン・グリフィー・ジュニアの加入に伴いFAとなった[2]。しかし、23日にマイナー契約で再契約を結んだ[3]。同年も開幕を傘下AAウェストテンで迎えた。ここでは26試合に出場し、打率.247、5本塁打、12打点を記録した[1]。その後、傘下AAAのタコマ・レイニアーズへ昇格した。ここでは40試合に出場し、打率.164、5本塁打、18打点を記録した[1]。 2010年は傘下AAウェストテンで開幕を迎えた。ここでは29試合に出場し、打率.292、8本塁打、22打点を記録した[1]。その後、傘下AAAタコマに昇格した。ここでは88試合に出場し、打率.273、17本塁打、56打点を記録した[1]。オフの11月23日にマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加した[4]。 2011年にはマリナーズ傘下に所属し10年が経ちアメリカンフットボールに転向する事も真剣に考えたものの、27歳という年齢から断念した。また、3度のFA機会の際には日本球界も視野にいれていた[5]。5月9日にメジャーに昇格し[6]、10日に悲願のメジャーデビューを果たした。 2012年は傘下AAAタコマで開幕を迎えた。ここでは71試合に出場し、打率.239、12本塁打、37打点を記録した[1]。オフの10月16日にFAとなった。 独立リーグ時代2013年は、開幕前にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだが、3月にFAとなった[7]。その後、アトランティックリーグのサマセット・ペイトリオッツと契約を結んだ。ここでは23試合に出場し、打率.325、3本塁打、18打点を記録した[1]。 パドレス傘下時代2013年5月に、サンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ。傘下AAA級のツーソン・パドレスでプレーした。ここでは76試合に出場し、打率.291、7本塁打、42打点を記録した[1]。 レッズ傘下時代2013年11月6日に、シンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。 2014年は、傘下AAA級ルイビル・バッツで開幕を迎えた。ここでは29試合に出場し、打率.205、3本塁打3、7打点を記録したが[1]、成績不振で5月16日にFAとなった。 レッズ退団後レッズ退団後は、2014年5月にアトランティックリーグのサマセット・ペイトリオッツと再契約し、7月にはメキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズと契約した[8]。 2015年は北米独立リーグであるアメリカン・アソシエーションのウィニペグ・ゴールドアイズで開幕を迎え、6月にはメキシカンリーグのベラクルス・イーグルス、7月にはラグナ・カウボーイズ、8月には前年も在籍したサマセット・ペイトリオッツと所属チームを転々とした[1]。この年限りで現役を引退した。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
脚注
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