ラピーア郡 (ミシガン州)
ラピーア郡(英: Lapeer County)は、アメリカ合衆国ミシガン州ロウアー半島の東部、半島をミトンに譬えたときに親指の付け根に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は88,319人であり、2000年の87,904人から0.5%増加した[2]。郡庁所在地はラピーア市(人口8,841人[3])であり、同郡で人口最大の都市でもある。デトロイト都市圏に属するが、フリント都市圏に入っているとも考えられる。 ラピーア郡は1822年9月18日に創設され、1835年2月2日に完全に組織化された。郡名はフランス語のla pierre を英語化したものであり、「火打石」を意味している[4]。 歴史ラピーア郡はかつて北西部領土に属していた。連合規約の下、1787年7月13日にアメリカ合衆国議会で通過したこの条例によって、オハイオ川より北西にある領土全体が北西部領土として組織化された。ただし、この時点ではまだイギリスが占領していた[5]。現在ラピーア郡となっている領域は当初、アンソニー・ウェイン将軍に因んだ命名であるウェイン郡に属していた。当初のウェイン郡は1796年8月11日に設立され、ミシガン州のロウアー半島全体と、オハイオ州やインディアナ州の北部を含み、さらにウィスコンシン州やイリノイ州まで伸びていた。 ラピーア郡の領域は1800年5月7日にロウアー半島全体を含むインディアナ準州の一部となった。オハイオ州とインディアナ州が州に昇格した後にミシガン準州が形成された。1820年1月、オークランド郡が設立された。1822年9月18日、ルイス・カス準州知事がラピーア郡の領域を設定したが、正式に組織化されるまでオークランド郡の一部とされた。1835年2月2日、ラピーア郡が正式に組織化された。1837年に行われた郡役人を選ぶ最初の選挙では520人が投票した。 ラピーア郡初の開拓者は1804年2月11日にコネチカット州コーンウォールで生まれたアルビン・N・ハートだった。ハートは1831年にラピーアに入り、1833年11月8日のラピーア村の区画割を行った[5]。その区画は1833年12月14日、オークランド郡の陪席判事バグリーによってポンティアックで登録された。ハートは1843年にラピーア、オークランド、ジェネシー、シアワシー、タスコラ、サギノー各郡とアッパー半島全体選出の州議会上院議員となった。デトロイトからランシングに州都を移すときの提唱者でもあった。 1830年代から1870年まで製材業が郡の主要産業だったが、領域にあった森の大半が伐採されてしまうと、農業経済に移行した。2010年10月26日、郡はカレグノンディ水公社の設立メンバーとなった[6]。 地理アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は663.08平方マイル (1,717.4 km2)であり、このうち陸地654.20平方マイル (1,694.4 km2)、水域は8.88平方マイル (23.0 km2)で水域率は1.34%である[7]。ラピーア郡は地理的に南西にあるオークランド郡と大変似ているが、ラピーア郡の方が田園が多い。「親指」と呼ばれるヒューロン湖に突き出る半島を構成する5郡の1つであり、またフリント/トリシティーズ地域に属してもいる。 主要高規格道路
隣接する郡
人口動態
郡政府郡政府は郡監獄の運営、地方道の維持、地方裁判所の運営、権利譲渡と抵当権設定記録など重要記録の維持、公衆衛生規制の管理、福祉など社会サービスの項目で州の施策への参加を行う。郡政委員会は予算を管理するが、法や条例を作るのは限定付き権限である。ミシガン州では、警察と消防、建設と区画割、税評価、街路維持など地方政府の大半機能は個々の都市と郡区の責任である。 郡区ラピーア郡は下記18の郡区に分割されている。
都市と町
歴史銘板郡内には13か所に公式の州指定歴史銘板がある[8]
脚注
外部リンク |