ランド・ポール
ランダル・ハワード・“ランド”・ポール(英: Randal Howard "Rand" Paul, 1963年1月7日 - )は、アメリカ合衆国の政治家、眼科医。ケンタッキー選出のアメリカ合衆国上院議員(1期)。所属政党は共和党。 父はリバタリアンとして知られ、共和党のアメリカ合衆国大統領予備選挙に何度も出馬した元アメリカ合衆国下院議員のロン・ポールである。茶会の支持が厚い保守派で、父のリバタリアン的要素も受け継いでいる。ケリー・アシュビー・ポール夫人のとの間に3人の子供がいる。 来歴生い立ち1963年1月7日にペンシルベニア州ピッツバーグに誕生し、テキサス州レイク・ジャクソンで育つ。ロニー、ローリ、ロバート、ジョイの4人の兄弟がいる。ランド・ポールはベイラー大学に進学後、父親ロン・ポールの母校でもあるデューク大学に通い、医学部で医学博士を習得した。その後はジョージア州アトランタにあるバプテスト医療センターで手術の研究生となる。その後ケンタッキー州に渡り、1991年にケリー・アシュビーと結婚、3人の子供を設ける。 眼科医デューク大学での眼科の研修期間を終えると、妻子の家族と共にケンタッキー州ボーリング・グリーンに移り住み、眼科医として眼科の診察所を開業する。奉仕団体ライオンズクラブの一員でもあったことから、1995年には南部ケンタッキー・ライオンズ眼科を設立した。プログラムを通じて発展途上国の貧しい子供たちのために取り組んだ無料の眼科手術が評価され、ライオンズクラブ国際協会でも表彰された。 政治活動1994年にケンタッキー州議会の課税と支出の問題を追及するための監視団体「ケンタッキー・タックス・ペイヤーズ・ユナイテッド」を設立すると、同団体が2000年に解散されるまで委員長を務め、政治に関わるようになる。政治参画の背景には、共和党員として下院選や大統領予備選に出馬していた父親ロン・ポールの影響もあった。父親に代わって選挙遊説を行い、小さな政府の主張を取り入れたスピーチを披露したこともある。 2010年上院選2008年9月に世界的金融危機(リーマン・ショック)が発生したことをきっかけに、ケンタッキー州から全国的に広がった反税運動のティーパーティー運動(茶会)で政治活動に取り組み始める。ボストン茶会事件の記念日である2009年12月26日、ケンタッキー州選出の連邦上院議員ジム・バニングの引退により空席となった議席の獲得を目指して次期上院選に出馬することを宣言した。 共和党予備選ではケンタッキー州国務長官トレイ・グレイソンと対決することとなった。対抗馬のグレイソンはミッチ・マコーネルやルドルフ・ジュリアーニ、ディック・チェイニーやリック・サントラムなど共和党の著名人から支持を受け、ポールは当初苦戦を強いられていた。しかし、草の根キャンペーンで選挙戦を進め、保守派に強い影響力があるフォーカス・オン・ザ・ ファミリーのジェームス・ドブソンや、フォーブス誌のスティーブ・フォーブス、サラ・ペイリンらの支持を得て逆転勝利し、共和党の指名を勝ち取った。その後の本選挙では人工妊娠中絶に関する連邦上での禁止、減税や小さな政府などの保守的な方針を主張し、民主党の大統領バラク・オバマを批判した。 2010年11月2日、民主党候補のケンタッキー州司法長官ジャック・コンウェイに勝利し、連邦上院議員に初当選する。茶会から支持を受けた他候補の当選同様、ポールの勝利は「大きな勝利」と評された。 上院議員上院議員就任後は、連邦政府の債務を削減する社会保障給付をカットし、アメリカ合衆国環境保護庁(EPA)によって作成された企業の規制を持ち上げるなど、保守的・リバタリアニズム的な政策を推し進めている。 2012年アメリカ合衆国大統領選挙でミット・ロムニーが共和党の指名を勝ち取ると、指名争いに出馬していた父親ロン・ポールがロムニーの支持に回らなかったのとは対照的に、ロムニーへの支持を表明した。 2016年大統領選→「2016年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙」も参照
2015年4月7日、2016年アメリカ合衆国大統領選挙の共和党指名争いへの出馬を表明した[1]。2016年2月3日、アイオワ州党員集会の結果を受けて指名争いから撤退する[2]。 政治的信条共和党に属するが、第43代大統領ジョージ・W・ブッシュや連邦上院議員ジョン・マケインなどの系譜に連なる介入主義者の議員たちとは政治上の立場がかなり異なる。 内政
外交
著書
脚注
外部リンク
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