新潮社
株式会社新潮社(しんちょうしゃ、英: SHINCHOSHA Publishing Co.,Ltd.)は、日本の出版社。 概要1896年7月[3][4]に創業した新聲社[注 1]が前身。田山花袋などの自然主義者の書籍を出版していた。1914年(大正3年)には新潮文庫を創刊した。他にも単行本、全集などを多数発行している。 文芸誌は1904年(明治37年)創刊の『新潮』[5]の他に、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)に創刊された中間小説誌『小説新潮』[6]などを発行している。週刊誌は1956年(昭和31年)創刊の『週刊新潮』が、日本初の出版社系週刊誌として成功を収める[7]。 1981年(昭和56年)には日本初の写真週刊誌『FOCUS(フォーカス)』を創刊。『フォーカス』は法廷を隠し撮りした未成年(14歳)の容疑者の写真を掲載したりするなど、過激な編集方針で一時期は発行部数200万部が200万部強までになったが、1990年代後半から売れ行きが悪化し、2001年(平成13年)に休刊。スポーツ年鑑『ウィナーズ』や、タレント・グラビアアイドルの写真ムック『月刊~』(不定期刊)の発行、『nicola』、『週刊コミックバンチ』の創刊(2010年〈平成22年〉8月休刊)、『旅』は女性誌としての再創刊(2012年〈平成24年〉3月休刊)に踏み切り、従来の路線から大きく転換した。また、新潮文庫もサブ・カルチャー系の刊行を増やした。 社長職は創業者佐藤義亮から、代々世襲によって引き継がれている同族企業である。第2代佐藤義夫(長男)、第3代佐藤俊夫(次男)、第4代 佐藤亮一(義夫の息子)を経て、第5代の佐藤隆信(亮一の息子)が現在の社長である。 校閲校閲部は出版業界でも定評がある。 初代社長の義亮は校閲に力を入れており、ベストセラーになった『世界文学全集』の月報に読者が投稿した誤植の指摘に対し、校正に手間をかけておりこれが正しいという趣旨の反論を載せるほどであった[8]。 このため校閲部を尊重する社風となった[8]。 装幀社内に装幀部門(新潮社装幀室)を持っており、刊行する文庫・書籍のほとんどを社内装幀している[8]。現在、装幀室を構える出版社は多いが、その先駆けでもあり長い歴史を誇る。当初は出版部の装幀部門として始まったが、現在は独立した部署として存在している。そのため、第1回講談社ブックデザイン賞(昭和45年)は受賞者が新潮社出版部となっている[9]。 過去の装幀者の記載のないもの本も、多くは社内装幀されたともの考えられ、現在は「新潮社装幀室」と記載される。本は会社のさまざまな部署の協力のもと、造り上げるものとの姿勢から、原則装幀担当者の個人名の記載はされていない。 出版社であることから、美術品ではなく読書用として装幀を考えているのが特徴である[8]。 単行本の発行部数が累計で10万部を突破すると、記念に革装本が作られる[10]。特装版は社外の専門業者に委託される[8]。2部は著者に贈られ、残る2部は新潮社用として、1部は資料室の閉架に、もう1部はガラス戸付き本棚に鍵がかかった状態で保管されている。この4部限定という都市伝説があったが、実際にはもう1冊作られており、製本会社の会長室に展示されているという[8]。 特装本には新書も含まれ、単行本には山羊の革が、新書には羊の革が使用される。 1956年(昭和31年)、三島由紀夫の『金閣寺』が10万部を突破した際、担当編集者が記念になるものを作ろうとの企画から、羊の革表紙や金箔を使い通常版の9倍の価格の豪華版を200部限定で販売した[8]。これを機に10万部を突破した本の特装版を販売する伝統が生まれた。また俊夫がブックデザインを重視する姿勢だったこともあり、校閲部と並び装幀部も尊重されるようになった[8]。 2009年(平成21年)11月までに作られた特装本は547点に上り、三島由紀夫、司馬遼太郎、松本清張、遠藤周作、大江健三郎などのほか、さくらももこ『さくらえび』や『鈴井貴之編集長 大泉洋』なども革装本になっている。村上春樹の『1Q84』は初版から10万部を超えたが、38刷で特装本化された伊坂幸太郎の『重力ピエロ』のように、版を重ねて特装本化された例もある[10]。 三島由紀夫賞・山本周五郎賞の正賞として、限定1部の製本作家による総革装本が作成されており、毎年受賞者に贈呈されている。 新潮社クラブ神楽坂には管理人常駐の2階建て住宅「新潮社クラブ」があり、作家は無料で利用できる[11]。庭園を有する日本家屋であるが、Wi-Fiが使えるなど設備は整っている[11]。 缶詰用と言われているが出入りは自由であり、地方在住の作家の宿泊施設や対談などにも利用されている[12][11]。 予約制であり、ほとんどが埋まっているという[11][12]。 かつて缶詰になっていた川端康成や三島由紀夫の幽霊が出るという噂がある[11][13]。 ギャラリー不祥事2015年10月5日、橋下徹大阪市長(当時)が出自に関する2011年11月3日号に掲載された『週刊新潮』の記事で精神的苦痛を受けたとして、発行元の新潮社に慰謝料など1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は名誉棄損があったと認め275万円の支払いを命じた[14]。新潮社は控訴、上告したが、2017年6月14日付けで最高裁判所は、新潮社の上告を退ける決定を下し、橋下勝訴の二審判決が確定した[15]。 刊行物選書叢書
新書文庫
雑誌週刊月刊
隔月刊ウェブメディア
かつて発行・発売していた雑誌
賞
関連人物→「Category:新潮社の人物」を参照
関連会社
その他
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク |