三井住友信託銀行
三井住友信託銀行株式会社(みついすみともしんたくぎんこう、英: Sumitomo Mitsui Trust Bank, Limited)は、東京都千代田区丸の内に本社を置く、三井住友トラスト・ホールディングスの完全子会社の信託銀行。2012年4月1日に発足した。 なお、メガバンクの三井住友銀行やSMBC信託銀行などを傘下に置く三井住友フィナンシャルグループ(SMBCグループ)とは直接的な資本関係はなく、互いに独立した企業となっている(「三井住友」も参照)。 概説コーポレートスローガンは「The Trust Bank」。銀行事業と信託・財産管理事業を一体として展開する専業信託銀行グループである。 2009年に住友信託銀行と金融持株会社の中央三井トラスト・ホールディングスが経営統合に合意し、2011年4月1日に三井住友トラスト・ホールディングス(SMTH)として経営統合した。その1年後となる2012年4月1日に金融持株会社であるSMTH完全子会社の住友信託銀行、中央三井信託銀行、中央三井アセット信託銀行の3行が合併する事によって発足した[2][注釈 1]。 本社機能は東京の丸の内に置き、旧:住信の本店営業部(大阪市北浜)を「大阪本店営業部」へ、旧:住信の東京営業部を「本店営業部」へ改称した[注釈 2]。なお、元々住信の東京営業部が入居していた東京本部ビル(丸の内一丁目4番4号)は、三菱地所主導による隣接した旧・UFJ信託銀行本店ビル跡地(同4番3号)と旧・東銀ビル跡地(同4番2号)の敷地を集約して一つのオフィスビル(同4番1号)へ建て替える再開発計画(住信は共同事業者として参画)が2009年に着工したことに伴い、2007年より順次八重洲側に仮移転した。2012年1月に「丸の内永楽ビルディング」として竣工した事に伴い[3]、三井住友信託銀行発足時に同ビルに本部機能と共に入居(転入)した。なお、旧・中央三井の本店は「芝営業部」へ改称、旧・中央三井の名古屋支店が「名古屋営業部」に昇格し、旧・三井信託銀行の本店であった「日本橋営業部」と共に5営業部体制となった。 三井住友を冠するものの、三井住友銀行(SMBC)を傘下に置く三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)とは経営、業務面においての関わり合いは希薄であり[注釈 3]、旧住友銀行の信託子会社であった「すみぎん信託銀行」を旧・住信が吸収合併している、三井住友トラスト・カード(旧・住信カード)がVJAグループ傘下である、旧・中央三井信託銀行が当社前身のさくら信託銀行を譲受している、SMFG株式の証券代行事務を受託している[注釈 4]―といった、三井住友に属する企業として実務程度の繋がりしかない。メガバンクに属さない独立資本の大手信託銀行という位置付けにある[注釈 5]。なお、三井グループの三井業際研究所[4]・月曜会・三井文庫[5]の会員企業であり、住友グループの白水会 [6]・住友グループ広報委員会[7]の会員企業[注釈 6]でもある。 2014年、シティグループによる世界的な不採算部門の見直しの一環による国内の個人金融ビジネスからの撤退に伴い、三井住友信託銀行および新生銀行、三越伊勢丹ホールディングス、JCBの3社連合がシティカードジャパンの買収に名乗りをあげていたが[10]、2015年3月31日、独占的交渉権を得た三井住友信託銀が400億円強程度で全株式を取得すると発表した[11][12]。 自社[13]あるいはフロンティア不動産投資法人等の投資ファンド所有の商業施設の大規模小売店舗立地法における名義上の設置者(所有者)になっている物件もある[14][15]。 情報処理システム勘定系システム勘定系システムは、2014年5月7日に旧・中央三井のシステムについてリプレースを実施[16]。その後、7月~11月までの4回の3連休期間に、旧・住信の店舗を旧・中央三井店の新システムへ順次移行。同11月25日、全店舗での新システムの移行が完了した。 沿革
合併における経緯合併前→「住友信託銀行#メガ信託構想」および「中央三井トラスト・ホールディングス#住友信託との経営統合」も参照
住友信託銀行は、金融ビッグバン以降の都市銀行および信託銀行間の経営統合による金融再編に参加していなかった銀行である。2004年5月に当時経営難であったUFJホールディングスからUFJ信託銀行の売却を打診され、経営統合の方向で基本合意するも、UFJグループは同年7月に三菱東京フィナンシャル・グループとの統合を選択し、一方的に契約が破棄された事により合併は実現しなかった。その後、住友信託と(中央)三井トラスト・ホールディングスが経営統合を検討し、2005年2月には合意寸前まで至ったが、人事や合併比率等で合意できずに破談に終わっている[20]。 一方、国内の金融業界では、金融ビッグバンの影響で業種間の垣根が撤廃・緩和され、2000年代は商業銀行・信託銀行・証券会社で構成される一大金融グループを形成する動きが加速した時代であった。信託部門ではみずほFGがみずほ信託銀行を、三菱UFJFGが三菱UFJ信託銀行を擁する中、(老舗系)信託銀行を持たない三井住友FGから住信・中央三井の両行に対し統合圧力が高まるのは、想像に難くない[20]。このような情勢の中で、メガ傘下入りを嫌い独立志向を貫く両行の思惑は合致しており、業界内でも両行の合流は“既定路線”とされていたが、多角化路線を進む住友信託と個人営業重視の中央三井といった経営方針の違いもあり、再編劇は当時社長であった高橋温(住友信託)と田辺和夫(中央三井)の退任以降と見られていた[20]。 しかし、折からの金融危機の影響で公的資金の返済が予定通りに進まず実質国有化されていた中央三井と、大口融資先アイフルの業績悪化の影響を受けた住友信託は、規模拡大による業務効率化が急務となり[20]、2009年は両グループで再び経営統合の交渉についた。両行の経営統合が正式に発表されたのは、同年11月6日の事だった[21]。また、当初は大和銀行(現:りそな銀行)と住友信託の合弁会社であった日本トラスティ・サービス信託銀行に2002年に(中央)三井トラストが資本参加した。 合併後三井住友信託銀行は国内唯一のメガ信託となったものの、それでもメガバンクとの差は歴然であり、今後の経営戦略を描くのは容易ではない。統合発表会見の際に田辺和夫社長は「(三井住友FG傘下入りは)今のところ全くない」と述べているものの、現実問題として傘下入りのメリットを指摘する声があるのも事実である[21]。統合に際し旧行の幹部も「三井住友FGに吸収されるなら統合で体力を付けてから」と本音を漏らしており[20]、他のメガバンク幹部からも「結局は三井住友FGに合流せざるを得なくなる」という見方がある[21]。 関連会社
など 不祥事株主総会の議決権行使書の不適切処理2020年9月24日に三井住友信託銀行が公表したプレスリリースによると、当社及び連結子会社の東京証券代行と日本証券代行が受託した株主総会の議決権行使集計業務について、三井住友トラストTAソリューションを通じて再委託した日本株主データサービスにおいて、2020年5月から7月に開催された株主総会のうち当社が受託した891社、東京証券代行が受託した38社、日本証券代行が受託した46社の合計975社で株主総会の議決権行使を巡り、期限当日に届いた議決権行使書を集計から外すといった不適切処理が行われていた。[22]この不適切処理は約20年間にわたり行われていたという報道もある。[23] 脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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