三室戸和光
三室戸 和光(みむろど まさみつ)は、江戸時代末期の公卿、明治から大正期の日本の華族、神職。位階爵位は従二位子爵。三室戸家8代当主。伊勢神宮大宮司。「和光」の読みを「かずみつ」と読むのは誤記。 経歴三室戸家は藤原北家真夏流日野流柳原庶流とされ、初め北小路を称したが寛文5年(1665年)、願いにより三室戸を家名とした。 天保13年(1842年)、6代当主・三室戸陳光の二男として誕生[1]。 継嗣となるはずだった三室戸雄光の長男・治光が平安神宮の宮司となる。各地の石碑に揮毫が残っている。 大正11年(1922年)、薨去。 系譜
脚注参考文献
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