伊勢湾(いせわん)は、日本の本州の北太平洋側に存在する湾である。広義には東の三河湾を含む[1]が、本稿では狭義の伊勢湾について述べる。
名称
伊勢湾の別名には「伊勢海」があり、旧名には「伊勢海湾」がある[1]。伊勢湾の名称が定着したのは1959年(昭和34年)の伊勢湾台風以降とされるが、愛知県水産試験場の報告書ではそれ以前からほぼ「伊勢湾」とされ、「伊勢海」や「伊勢海湾」とするものはなく、一方で明治期から大正期には「尾張湾」とする報告書がある[1]。
地理
伊勢湾・三河湾共に水深は概して浅く、伊勢湾の平均深度は19.5 mであり、最深部でも35-49 m、三河湾も平均深度は約9 mとなっている[2][3]。
範囲
一般的には伊良湖岬、神島、答志島、志摩半島の鳥羽市西崎までを結ぶ線より北の海域を指すが、定義が一定しているわけではない[1]。伊勢湾と太平洋の境界については法令等でも定義が異なる。
- 海上交通安全法施行令
- 海上交通安全法施行令は法適用海域の範囲として「大山三角点から石鏡灯台まで引いた線」としている(ただし、同法では伊勢湾には「湾口に接する海域及び三河湾のうち伊勢湾に接する海域を含む」としている)[注釈 1]。
- 環境基準に係る水域及び地域の指定の事務に関する政令
- 環境基本法に基づき制定された環境基準に係る水域及び地域の指定の事務に関する政令では、伊勢湾は「羽豆岬から篠島北端まで引いた線、同島南端から伊良湖岬まで引いた線、同地点から大王埼まで引いた線及び陸岸により囲まれた海域」とされている[1][注釈 2][注釈 3]。
- 海岸保全区域等に係る海岸の保全に関する基本的な方針
- 海岸法及び海岸法施行令に基づき策定された海岸保全区域等に係る海岸の保全に関する基本的な方針では、三河湾・伊勢湾の沿岸は「伊良湖岬を起点とし神前岬を終点とする」と定められている[1]。ただし、この範囲は海岸線を区分するためのもので、伊良湖岬と神前岬の直線上には答志島なども位置するが、これらの島々は海岸保全計画上は熊野灘に区分されている[1]。
- 漁業調整規則
- 漁業法及び水産資源保護法に基づき定められた愛知県漁業調整規則では伊勢湾を「三重県鳥羽市小浜町西埼、桃取町島ケ埼、答志町長刀鼻、神島町ゴリ鼻及び神島町オーカ鼻並びに田原市伊良湖町古山頂上を順次結んだ直線と陸岸とによって囲まれた海域から三河湾を除いた海域」と定義している[1]。同様に三重県漁業調整規則でも伊勢湾は定義されているが、上の愛知県漁業調整規則の定義から「から三河湾を除いた海域」の文言を抜いた定義となっている[1]。
水質
伊勢湾は奥行に比して湾口の狭い閉鎖性水域であり[3]、周囲を取り巻く陸地から生活排水や工業排水や河川水などの流入がある。さらに海底が盆状となっている影響で、フィリピン海との海水交換が少なく、水質が悪化しやすい[4]。
主な流入河川
- 一級河川
貧酸素水塊の発生
伊勢湾の水質については、特に夏場における貧酸素水塊の形成が問題視されている[5]。
貧酸素水塊や赤潮を解消する対策として、有機汚泥からの栄養塩の流出の抑制や[5]、夏季に海水の流動性を向上させる事が必要と考えられている。
生物相
伊勢・三河湾は日本列島でも最大の内湾であり、生物にとって多様な生息条件が揃い[6]、大規模な干潟を有する浅海であり、「愛知県」の県名の由来にもなった年魚市潟[7]も有していたなど、かつては非常に豊かな生物相が見られた海域であった。現在でも、伊勢志摩国立公園・三河湾国定公園・伊勢の海県立自然公園・渥美半島県立自然公園・南知多県立自然公園・藤前干潟など生物多様性にとって重要な地域を有する。
しかし、本来の自然環境からは人為的な要因によって大きく変貌し、湾内や周辺の海洋生態系も被害を被った[6]。
魚類・貝類
赤潮や貧酸素水塊や、生息環境の悪化によってに多大な影響を受けている[6]とは言え、現在も湾内で刺し網などの漁業が営める程度には魚類や貝類の棲息が見られる。
イカナゴ、イワシ、アナゴ、シジミ、ハマグリ、バカガイなどの漁業が盛んであり[8]、とくにシラス、トラフグ、ガザミ、シャコ、アサリなどに関しては、水揚げ量は全国でも有数とされている[1]。
なお、波切(大王崎)は国内でも有数のウバザメの生息地だったが、現在は絶滅危惧種であり、近年はほぼ記録がない[9]。
哺乳類
伊良湖岬や篠島などにはかつてニホンアシカ(絶滅種)の生息地が存在し[11]、ニホンカワウソ(絶滅種)の分布もあった[12]。
伊勢湾および三河湾はスナメリの生息地であり[12]、時には藤前干潟周辺にも居つく事例が見られた[13]。その他、2006年からハセイルカの群れが定着し始め、世界でも最も高緯度に居つく個体群の一つとして知られている。伊勢湾フェリーでも目撃情報を収集している[14]。
伊勢・尾張の両国は日本列島において商業捕鯨が発祥した地であり、知多半島の師崎[15]や篠島[16]などが捕鯨基地として知られた。このため、かつての伊勢・三河湾には沿岸性が強いヒゲクジラ類[注 3]が周期的に回遊していたと思われ[17][18][10]、現在でもまれにだがザトウクジラやミンククジラなどが姿を現す場合がある[19]。また、絶滅危惧種のコククジラが滞在した記録も複数ある[20]。
そのほか、一時的な湾内への出現や迷入などもふくめれば、マッコウクジラ、シャチ、オキゴンドウ[21]、ハナゴンドウ、ハンドウイルカ[22]などのハクジラ類も近年における湾内での記録がある。また、 南知多町で発掘された「知多クジラ」はミオフィセター属の新種に認定されており、学名の「Miophyseter chitaensis」も知多郡に因んでいる[23]。
なお、海獣(海棲哺乳類)は肺呼吸を行っているため、単なる貧酸素水塊であれば、直接の窒息死の原因にはならない。
爬虫類
アカウミガメの生息が知られ[24]、日出・堀切海岸、赤羽根海岸、豊橋海岸、井田海岸、広ノ浜、日和浜、黒ノ浜、表浜海岸などに産卵場所が存在する。ウミガメの保護のため、伊勢志摩国立公園と三河湾国定公園では、一定の期間は特定の砂浜への自動車やバイク等の乗り入れを規制している[25][17]。
鳥類
伊勢湾周辺は約420種の野鳥の生息地として知られる[26]。湾奥の庄内川、新川、日光川の河口部に位置する藤前干潟は、日本列島で最大の渡り鳥の飛来地として知られる。沿岸には、とくにシギやチドリなどの重要な生息地が点在している[17][24]。しかし、干潟などの生息環境の大幅な減少によって、鳥類も深刻な影響を受けている[6]。
また、アホウドリなどの絶滅危惧種もかつては見られたとされ[27]、近年でも記録がある[28]。トモエガモやコクガンなどの絶滅危惧種は現在でも一帯に来遊する[17]。
海藻
伊勢湾に限った話ではないものの、湾内には様々な海藻が生育している。漁業としてクロノリとアオノリを中心としたノリ類の養殖が行われている[3][8]。また、中部国際空港の岸壁に生育するアカモクが話題になった事もあった[30]。
しかし、アマモの藻場の減少は著しく、同様に藻場の恩恵を受ける多様な生物にとっての生息環境も悪化した[6]。
産業
観光業
風光明媚な自然の景観から、神社等の伝統的な建造物、灯台等の近代的な建造物、アトラクション(遊園地)、工業地帯の景観などに至るまで、観光面では愛知県、三重県共に豊かな資源がある。
水産業
沿岸部には多数の漁港が存在し[31]、天然、養殖に問わず海産物は豊富である。愛知県、三重県共通してエビ、タコ、イワシなどが獲られ、愛知県の知多半島周辺ではえびせんべいが名産品として売り出されている。愛知県田原市伊良湖周辺ではアサリ類が、三重県桑名市ではハマグリが、三重県鳥羽市、志摩市周辺ではイセエビ、カキ、タイなどが獲られ、各地域の代表的な名物となっている。
交通
水運
伊勢湾の沿岸には、中世に桑名(通称「十楽の津」)、大湊などの港町が商業、海運の中心地として栄えていた。これらの港町が、畿内から伊勢湾を経て、東海・関東地方を結ぶ交易ルートを形成していた。また、かつての街道であった東海道には、七里の渡しと呼ばれる海路も存在した。これは、宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)までの伊勢湾北部を船で渡る経路であった。
明治前期には東京湾、大阪湾に次ぐ水運の中心地であった[32]。
汽船航路としては1977年(明治10年)頃までに四日市 - 東京間の航路、1982年(明治15年)頃までに半田 - 東京間の航路が開設された[32]。湾内では明治10年代から明治20年代にかけて熱田を中心とする湾内航路が開設された[32]。
港湾
伊勢湾の沿岸には、大規模な貿易港が複数箇所整備されている[33]。
空港
2005年2月には愛知万博の開催に合わせて、伊勢湾内に人工島を築いて建設した中部国際空港が開港した[34]。それ以来、中部地方の空の玄関口として多くの国際・国内線が運航されている。なお、旅客機に限らず、貨物機の運航も行われている。
災害
伊勢湾は南向きに湾口を持つため、台風の風などのために高潮の被害を受けてきた。例えば、1959年9月26日に紀伊半島に上陸した伊勢湾台風は、伊勢湾沿岸に大きな被害を及ぼした。また、将来的に東南海地震が発生した際には、大規模な津波に襲われる事も懸念されている。
これに加えて、大規模な断層である敦賀湾-伊勢湾構造線が走っており、直下型の大規模な地震も考えられている。
また、将来発生が予想される南海トラフ巨大地震では、湾内で6m前後の津波が到達することが予想されている[35]。
文化
小説
短歌
- キタダヒロヒコの短歌連作「常若」にも「I湾は青くてとほい くるめきの 乱歩の 梶井の 三島のI湾」の一首がある。
楽曲
- 『伊勢湾』:地元の三重県出身の演歌歌手の鳥羽一郎の歌謡曲である。
その他
脚注
注釈
- ^ 海上交通安全法及び海上交通安全法施行令の定義は、国際航海船舶及び国際港湾施設の保安の確保等に関する法律施行規則、船舶油濁損害賠償保障法施行規則、水先法施行令においても用いられている[1]。
- ^ 環境基準に係る水域及び地域の指定の事務に関する政令の定義は船員法第1条第2項第3号の漁船の範囲を定める政令においても用いられている[1]。なお、海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律施行令や漁業災害補償法施行規則もほぼ同様の海域で伊勢湾を定義するが「伊良湖岬灯台から大王埼灯台」と定められている[1]。
- ^ 環境基準関連では1970年代以降、2つの伊勢湾の定義があり、公共用水域が該当する水質汚濁に係る環境基準の水域類型の指定(昭和46年5月25日閣議決定)では「伊良湖岬、篠島東端および羽豆岬を順次結ぶ線より西方の海域ならびに羽豆岬から大王崎に至る陸岸の地先海域」、環境基準に係る水域及び地域の指定権限の委任に関する政令(昭和46年5月28日政令第159号)では「羽豆埼から篠島北端まで引いた線、同島南端から伊良湖岬まで引いた線、同地点から大王埼まで引いた線及び陸岸により囲まれた海域」とされていた[1]。しかし、「環境基本法第16条の規定に基づく水質汚濁に係る環境基準を定める件」(平成14年3月29日環境省告示33号)により後者に一本化され、環境基準に係る水域及び地域の指定の事務に関する政令(平成5年11月19日政令第371号)に引き継がれた[1]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 阿知波英明 (2008年). “愛知県沿岸にある湾の範囲はどこか? -太平洋,伊勢湾,三河湾,知多湾と渥美湾のそれぞれの境界についての考察-”. 愛知県. 愛知水試研報,14号. pp. 23-29. 2024年3月21日閲覧。
- ^ 伊勢湾環境データベース, 伊勢湾の環境:地形
- ^ a b c 閉鎖性海域ネット, 2011年, 40. 伊勢湾, 環境省
- ^ 伊勢湾総合対策協議会 e-フォーラム「伊勢湾を語る」
- ^ a b 伊勢湾環境データベース, 伊勢湾の環境:水環境
- ^ a b c d e 伊勢湾環境データベース, 伊勢湾の環境:生息地の環境
- ^ 愛知県政策企画局広報広聴課, 2020年03月24日, あいちのおいたち, 愛知県
- ^ a b 三重県津農林水産事務所, 《水産室のページ》伊勢湾の漁業と環境, 三重県
- ^ NHKスペシャル深海プロジェクト取材班, 坂元志歩, 2014年,『ドキュメント謎の海底サメ王国』, 53頁, 光文社
- ^ a b 鈴木裕 (2021年12月11日). “道徳になぜクジラ? 疑問きっかけに200年の歴史調べる 名古屋”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞. 2023年11月15日閲覧。
- ^ 子安和弘, 織田銑一. “ニホンアシカ Zalophus japonicus (Peter)”. 愛知県. 2023年11月15日閲覧。
- ^ a b “5.掲載種の解説 - (1) 哺乳類”. 愛知県. 2023年11月15日閲覧。
- ^ 梅村幸稔 (2022年2月28日). “藤前干潟の現状”. 日本湿地ネットワーク. NPO法人藤前干潟を守る会. 2023年11月15日閲覧。
- ^ 尾﨑 直, 吉岡 基, 古田正美 (2010年9月17日). “伊勢湾湾口域におけるハセイルカがスナメリの出現に及ぼす影響”. 日本哺乳類学会. 第16回 野生生物保護学会・日本哺乳類学会 2010 年度合同大会(岐阜大学)プログラム・講演要旨集. 2023年11月15日閲覧。
- ^ 村上晴澄, 今川了俊の紀行文『道ゆきぶり』にみる鯨島(PDF), 立命館大学
- ^ “鯨浜(くじはま)・鯨浜遺跡”. 篠島お楽しみガイド. 篠島観光協会 (2014年5月22日). 2023年11月15日閲覧。
- ^ a b c d 環境省中部地方環境事務所 (2010年3月). “エコミュージアムを活用した持続可能な地域創出のための調査 - 報 告 書”. 国土交通省. 平成21年度広域ブロック自立施策等推進調査. 2023年12月11日閲覧。
- ^ 大村秀雄 (1982-07). “市川の鯨”. 鯨研通信 (第345号): 24.
- ^ 伊勢乃志摩男 (2013年4月25日). “養殖ロープに絡まったクジラ、漁協職員らが救助”. 伊勢志摩鳥羽の観光情報 宿泊施設 飲食店 特産品 情報ガイド. 2023年11月15日閲覧。
- ^ 大池辰也, 奥田貴司, 黒柳堅治, 浅井康行, 長谷川修平,船坂徳子, 吉岡基, 2012年, 愛知県三河湾において目撃されたコククジラ, 日本水産学会講演要旨集, 35頁
- ^ 船越茂雄, 1993年, 伊勢湾,三河湾周辺海域の主要魚類の食性(PDF), 愛知県水産試験場研究報告, 第1号, 17頁, 愛知県水産試験場
- ^ 若林郁夫, 1993年, 海の生きものたちに出会いたくて - [1 クジラとイルカ], 5頁, 鳥羽水族館
- ^ 「知多クジラ」マッコウの新種と判明 38年前に発掘の化石
- ^ a b 伊勢湾環境データベース, 伊勢湾の環境:生物
- ^ 環境省中部地方環境事務所, 2010年, エコミュージアムを活用した持続可能な地域創出のための調査 報告書(PDF), 19頁
- ^ 日本野鳥の会愛知県支部, 愛知県環境部自然環境課, 愛知県環境調査センター, 2018年, 愛知県鳥類生息調査査(1967-2016)50年の記録(PDF)
- ^ 日経サイエンス, 2005年5月号, 特集:清潔社会の落とし穴
- ^ 三重県水産研究所, 2016年, 平成27年度 漁況海況予報関係事業結果報告書(漁海況データ集)(PDF), 15頁
- ^ えこねっと津, 2019年05月25日, 渡ってきたスズガモ。9.html 三重県の鳥「シロチドリ」
- ^ 海の嫌われものが人気名物に!アカモクとは!?
- ^ 伊勢湾環境データベース, 伊勢湾の環境:漁港
- ^ a b c 岡島建. “近代都市における水運利用について”. 歴史地理学 154号. 2024年3月10日閲覧。
- ^ 伊勢湾環境データベース, 伊勢湾の環境:港湾
- ^ “セントレアの開港”. 名古屋商工会議所. 2022年8月21日閲覧。
- ^ “資料1-3 市町村別平均津波高一覧表<満潮位>”. 内閣府防災情報のページ (2012年8月29日). 2024年2月16日閲覧。
- ^ 電撃ホビーマガジン編集部, 2014年, 平成ガメラパーフェクション, 240-243頁, 261-264頁, 282頁, KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- ^ KADOKAWA(アスキー・メディアワ) 、2006年, 『小さき勇者たち~ガメラ~ 公式ガイドブック』, 13-15頁, 18-19頁, 25頁, 32-38頁, 42-44頁, 50-57頁, 62-66頁, 99頁, 電撃ムックシリーズ
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
伊勢湾に関連するカテゴリがあります。