信教の自由
信教の自由(しんきょうのじゆう)とは、信仰の自由などから構成される宗教に関する人権。信教の自由(宗教の自由)とは、特定の宗教を信じる自由または一般に宗教を信じない自由をいう[1]。西欧では、教会権力からの自由を求める帰結として確立された[2]。 世界人権宣言及び市民的及び政治的権利に関する国際規約の共に第18条、日本国憲法においては20条で規定される。宗教的寛容や宗教自由、信仰自由ともいう。 経緯ヨーロッパ諸国では、信教の自由はカトリック教会からの人間精神の解放を求める闘いの結果として確立された歴史があり、それは精神的自由そのものの希求として、近代の自由権確立の原動力となった[2]。このような背景から、近代憲法は例外なく信教の自由を保障する規定を盛り込んでいる[2]。 信教の自由を保障した法典の例として以下のようなものがある。
以上には人間と市民の権利の宣言が含まれていない。公的秩序に制限される分、保障が弱いため。フランス王国のルイ16世がフォンテーヌブローの勅令を廃しているが、フランス革命で彼が死刑にされているため、宣言の成立経緯には注意を要する。 内容信教の自由は具体的には以下の内容で構成される。
日本大日本帝国憲法
大日本帝国憲法については28条に規定があり、諸外国の憲法と同じく信教の自由を保障していたが[4][5]、明治憲法下の権利保障は「法律ノ範囲内ニ於テ」または「法律ニ定メタル場合ヲ除ク外」として認め、最終的に、権利保障に関する法律が効力を持つには、天皇による裁可が必要とされた(法律の留保)[4]。信教の自由については他の自由権規定とは異なり法律の留保さえなかった[6][5]。これについて「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限」において法律をもってしても制限することができないと解釈する学説もあったが[6]、実際には「臣民タルノ義務」に含まれるものとして法律によらなくても命令によって制限することもできると理解されていた[6][5]。 また、明治憲法下では、神社神道については国民道徳的なものを併せ持ち、仏教やキリスト教などとは本質的に異なるものとされ、信教の自由の保障とは無関係とされ、特別な地位にあった[6]。 明治憲法下の信教の自由をめぐる事件には次のようなものがある。
日本国憲法
なお日本国憲法下では、神道(神社)も「宗教の一つ」として扱われている(宗教法人法第2条)[6]。 信教の自由の保障第1項前段は「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」と規定し、第2項で「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」と規定している。国が特定の宗教を正統として信仰を強制・干渉する行為、特定の信仰を有することや有しないことを理由に刑罰その他の不利益を加える行為、人の信仰を強制的に告白させたり宗教的な意味を持つ発言や行為を強制する行為(かつての宗門改や踏み絵の類)は本条に違反する(宗教における沈黙の自由)[1]。 なお、自衛官護国神社合祀事件において最高裁は「自己もしくは親しい者の死について、他人から干渉を受けない静謐の中で、宗教上の感情と思考を巡らせ、行為をなす」という宗教的人格権について法的利益と認めることはできないと判示している(最大判昭和63・6・1民集42巻5号277頁)[9][10][11]。 信教の自由の限界信教の自由のうち内心の信仰に関するものについては、思想・良心の自由(日本国憲法第19条)と同じく絶対的無制約と解されている[12]。内心の信仰において邪教か真正な宗教かという判断については、国民の手に委ねられるべきものであって、公権力が決定すべきでないと解されている[12]。 これに対して、外部的行為を伴うものについては、信仰の表明としてなされた行為であっても他者の権利や利益に対して現実的・具体的害悪を及ぼす場合にまで絶対的に保障されるものではない[12]。ただ、宗教的行為は内心の信仰と密接に関連するものであるから慎重な配慮が必要とされ、信教の自由に対する制約については、その性質上、表現の自由と同様に厳格な基準が適用される[12]。 信教の自由に関する判例なお、政教分離原則に関連する判例については、政教分離原則の項目を参照。
オウム真理教と信教の自由日本の警察において扱われ、「信教の自由」が関係してきた問題のひとつとして、オウム真理教の教団施設から脱走した信者を拉致する事件が頻発し、東京都内でも1991年(平成3年)秋ごろから相次いでいたが、オウム真理教は『信教の自由』を盾に警察の追及を免れていた。元警視庁捜査官は「本人の自由意思で教団に戻った」と主張されると、警察官は引き下がらざるを得なかったと歯がゆさを語っている。1995年2月の目黒公証役場事務長監禁致死事件まで、オウム真理教事件に関する捜査が進められなかったため、「信教の自由」を盾に、同種の事件が起こる懸念を表明している[17]。 ジャーナリストの藤田庄市は、殺人を「ポア(救済殺人)」として正当化する教義をもつオウム真理教や、先祖因縁などの宗教的脅迫で財産を奪取する統一教会を例にあげ、「信教の自由」が「精神の自由」を侵害する人権蹂躙は、従来の宗教観の枠に呪縛されていれば見えないと指摘した[18]。
フランス
フランスは、幾らかの宗教団体をセクトと指定し、監視を行っている (政府の文書によってセクトと分類された団体一覧#フランス)。 欧州でイスラーム過激派によるテロが続く中、2016年、フランス当局は、イスラーム過激派の伝道を行っていると見られる一部のモスクを強制的に閉鎖した[19]。また、フランス当局は、「世俗的原則のための厳密な配慮」の上で、モスクの資金の透明性の確保することに取り組んでいる[19]。 アメリカ合衆国→合衆国憲法での政教分離と信教の自由規定の成立経緯については「イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史」を参照
イングランド国教会に反発するピューリタン革命とその後の王政復古、名誉革命などのイングランドの混乱のなか、ニューイングランド植民地へ、様々な宗派のピューリタンが多数移住した。アメリカ合衆国の独立によって、1791年の権利章典(合衆国憲法修正第1条)では国教が禁止され、宗教の自由が明記された[20]。 1998年以降は、アメリカ国際宗教自由委員会が他国の信教の自由について調査し、侵害の度合いを判別して報告書に取りまとめている。2019年までに中国、ミャンマー、北朝鮮、イラン、サウジアラビア、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、エリトリアを「特に懸念される国」に指定したほか[21]、2020年にはナイジェリア、パキスタンを追加指定している[22]。 政教分離の原則 Separation of Church and State国家と宗教が結びつくとき、個々人の信教の自由に対する間接的圧迫を生じたり、宗教が世俗権力と癒着することで宗教的な純粋さを失って堕落したり、国家が宗教的な激しい対立に巻き込まれてきたという歴史があることから、国家の非宗教性ないし国家と宗教との分離が要請されるようになった[23]。しかし、分離の度合いはまちまちであり、フランスのように完全な分離の立場をとる国々もあれば、イギリスやデンマーク、コスタリカのように国教制度をとりつつ国教以外の宗教に対して広汎な宗教的寛容を認めることで信教の自由を図ろうとする国もある[23]。 日本国憲法第20条は第1項後段で「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」として特権付与の禁止と宗教団体の政治的権力行使の禁止を定めている[24]。また、第3項後段で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とし国の宗教的活動の禁止を規定している[25]。 →詳細は「政教分離原則」を参照
脚注
参考文献
関連項目 |