公孫無知 姜無知 |
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斉 |
第15代公 |
王朝 |
斉 |
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在位期間 |
前685年 |
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姓・諱 |
姜無知 |
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生年 |
不詳 |
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没年 |
前685年 |
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父 |
夷仲年 |
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公孫 無知(こうそん むち)は、春秋時代・斉の第15代君主。
略歴
釐公の同母弟である夷仲年の子で、伯父の釐公の寵愛を受け、従兄の太子諸児と同じ待遇を受けた。釐公が亡くなり、従兄の諸児が襄公として、即位すると冷遇された。
前686年に大夫の連称・管至父らと謀って、襄公を殺害し、斉公に即位した。そのために、襄公の弟の公子糾は管仲と魯へ、公子小白(後の桓公)は鮑叔と莒へそれぞれ逃れた。
前685年、無知は虐待された臣下の雍廩によって、暗殺された[1]。
脚注
- ^ 『春秋左氏伝』荘公8、9年より。なお、これを引用する杜預は「雍廩は斉の大夫である」と述べている。