古田篤良
古田 篤良(ふるた あつよし、1952年10月27日 - )は、広島県広島市舟入(現在の同市中区)出身[2] の元サッカー選手、サッカー指導者。 来歴現役時代のポジションはFB(フルバック)。守りの要として活躍し、守備にとどまらず高いキック力で攻撃の起点にもなった。 小学5年生からサッカーをはじめ、広大付属高校時代は福原黎三から指導を受けた。1971年、日本で行われたAFCユース選手権1971では守備的なハーフバックとして、高田一美、奥寺康彦、永井良和らとプレーしている。 代表デビューは、早稲田大学1年時の1971年8月13日アイスランド代表戦[1]。18歳292日での代表デビューで、これは1998年に市川大祐に破られるまで日本代表の国際Aマッチ最年少出場記録だった。その後も1974 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選、1976年モントリオールオリンピック予選、2度のアジア大会に出場した。 卒業後は東洋工業(現マツダ)へ入社、東洋工業サッカー部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島F.C)の選手として活躍。1978年には渡辺由一や安原真一らとともに天皇杯決勝進出に貢献。 引退後は社業に専念する他、広島県サッカー協会の理事を務め、2018年3月に同協会会長に就任[3]。また、シニアサッカーの大会にも選手として出場している[4]。 所属クラブ個人成績
・JSL東西対抗戦 3回出場(1979年、1981年、1982年) 代表歴出場大会など
試合数
出場
出典参考文献
関連項目外部リンク
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