塩谷瞬
塩谷 瞬(しおや しゅん、1982年6月7日[2][3] - )は、日本の俳優。愛称はシオシュン。石川県[3]金沢市出身。塩谷瞬俳優事務所(株式会社 Office S)所属[3]。 来歴1999年3月28日、ナムコ、アミューズ、ホリプロ、ニッポン放送が主催するスタアオーディションの第3回超ビッグオーディションにてナムコ特別賞を獲得した[4][5]。そのとき出会った大手芸能事務所の人物の助言がきっかけで、俳優を目指す[5]。上京後は、アルバイトをしながら俳優の塩屋俊が主催するアクターズクリニックで芝居を学ぶ[5]。その後、関西の文化を学ぶため京都へ移る[5]。 2000年、18歳の時に再び東京に出て芸能事務所を数十カ所まわり、恵比寿で回った最後の事務所のスターダストプロモーションが不採用だったら芸能の道を諦めることを考えていたが[5]、オーディションを受けた結果採用され、同事務所に所属が決まる。当初の活動は広告やヘアカタログのモデルが中心だった[5]。 2002年、スーパー戦隊シリーズ『忍風戦隊ハリケンジャー』の椎名鷹介 / ハリケンレッド役でデビュー[5]。以後、『Dr.コトー診療所』『奥さまは魔女(日本版)』などのテレビドラマに出演し、CMや映画、舞台、写真集などでも活躍する[5]。 2004年、映画『パッチギ』主演の松山康介役に「初々しく純粋な風貌から滲み出る雰囲気がピッタリ」と井筒和幸に抜擢され、2005年に第29回日本アカデミー賞新人俳優賞、第27回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞[5]。 2006年、リアドラマフェスティバル開会式に日本代表として招待され、「次世代韓流スター演技者選抜大会」にゲスト参加し受賞した。 2007年、日本映画・最多出演賞受賞(2006年12月 - 2007年11月)。 2008年、海外進出への第一歩としてアメリカへ武者修行へ行く[6]。オーケストレイターのkae matsumotoからハリウッドの大物プロデューサー、ジョージ・マッキンドーを紹介してもらいディズニーの映画の製作過程や脚本を勉強する。 2010年、1月1日付けでスターダストプロモーションを離籍。同2月20日付けで塩谷瞬俳優事務所(株式会社 OFFICE S)を発足。 2011年、1月3日から「なんとかしなきゃ!見過ごせない55億人」を発起人メンバーとして立ち上げ海外支援プロジェクトで東ティモールへ行く。この時の視察は建国から10年、教育や文化、産業、バイオ発電[注釈 1]と多岐に渡り訪問している。 2012年2月、故郷・石川県をPRする「いしかわ観光特使」に九谷焼の北村隆氏他からの推薦にて就任。 30歳を機に世界旅プロジェクトを発表。現在、撮影の合間に世界200カ国を回り、ボランティアを中心に、映画、ドキュメンタリー番組の撮影を行なっている。 2013年7月に『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』を発表し、シリーズ初の10年後の続編ということで話題になった[7]。この作品はメンバー全員で企画し、プロデューサーに相談。塩谷と同作で共演した長澤奈央と山本康平がプロデューサーになった。 2013年12月22日に重度の網膜剥離になり緊急入院しており、そこで出会った執刀医の先生がネパール支援(ヒマラヤを支援する会 現EARTH)として医療支援を行っており、「革命が起きて生まれ変わろうとしているネパールの今を見て欲しい」と言われ、完治してから11月、12月とネパールに医療支援、チベッタンチルドレン[注釈 2]の支援を行っている。この功績が評価されて、ネパールから感謝状を授与されている。 2014年3月11日、福島県、宮城県、岩手の3県にて東北ボランティアを行った。福島でのインタビューや南三陸町での海洋法要、岩手でのキックボクシングジムにて子供達とセッションをする。 人物趣味は殺陣、乗馬、自転車、ゴルフ、カメラ、マジック、旅行、栄養学など。 幼少期に両親と離れることになり、小学生時代から新聞配達をする。学生時代からほぼ一人暮らしで生計を立てていた。学校にはあまり登校せず、生活のためと色々な経験を得るため、そのころから新聞配達、ベビーシッターなど様々なアルバイトや仕事に就く。また、このころから大道芸や自転車の曲芸を覚え、近所の友人や劇団オレンジに参加して老人ホームや孤児院を回りボランティア活動を行っていた。 俳優を目指した理由は、幼少期の憧れと、自身の波乱万丈な経験を活かすためだった[5]。また、当時見た作品『タクシードライバー』でロバート・デニーロの人間臭い芝居に衝撃を受け、生涯の職を俳優にすることに決めた[5]。 『ハリケンジャー』出演前はモデル中心の仕事に違和感を感じ、1年間芸能活動を行って俳優になることができなければ渡米して演技の勉強をすることを考えていた[5]。『ハリケンジャー』のオーディションは1次面接からの参加ではなく、レッド役候補が不足していたため追加募集を受けての参加だったため、エントリー時点では4次面接だった[5]。1次から通過してきた他の候補者に対して塩谷は白紙の状態だったが、面接で自身の経験と俳優としての目標を語ったところ、東映プロデューサーの日笠淳が塩谷の熱意を評価し、起用に至った[5]。塩谷が演じる椎名鷹介は、オーディション台本では大人びたキャラクターだったが、起用されたメンバーの人物像を反映して1年間を通して成長する落ちこぼれキャラへと改められた[5]。メインライターの宮下隼一は、映画『忍風戦隊ハリケンジャー シュシュッと THE MOVIE』のころより鷹介を塩谷の当て書きするようになり、リーダーとして成長する姿が描かれていった[5]。塩谷はアクションシーンにおいて、高所恐怖症や泳ぎが苦手なため苦労することもあったが、それを「試練」と考えて気合で乗り越えていったと語っている[5]。 俳優仲間では、『生き残れ』で共演した阿部寛と仲が良い。その他、藤田まことや中村雅俊、東山紀之とも親交がある。 好きな映画として『生きてこそ』、『陽はまた昇る』[要曖昧さ回避]、『シティ・オブ・ゴッド』、『ブラッド・ダイヤモンド』を挙げる。 役者を軸とした活動の傍ら高校時代に断念した自転車への想いが再燃し、近年ではサイクリストとしての活動も行っている。 2012年4月20日、料理研究家である園山真希絵と著名モデル冨永愛との二股報道があり、2012年5月1日所属事務所からコメントを発表した。二股交際の事実と4月20日に2人に直接会って謝罪したことを明かした。なお、以降は両者とも破局している[8]。 出演テレビドラマ
映画
舞台
WEBドラマ
CM
ラジオドラマオリジナルビデオ
吹き替えバラエティ
玩具
書籍写真集
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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