大山詣り大山詣り(おおやままいり)は古典落語の演目。別題に百人坊主(ひゃくにんぼうず)[1]。原話は狂言の演目「六人僧」と推測され、十返舎一九の『滑稽しっこなし』にも同種の話がある[1]。 題にある大山参りとは中世から始まった相模国の大山(現伊勢原市)を参詣する行為を指し、特に江戸時代に講などの形で行われたものを指す。神仏習合の時代には石尊権現への信仰を指していたが、明治の神仏分離以降は雨降山大山寺(大山不動)と大山阿夫利神社(大山祇大神)に分かれた。 あらすじある江戸の庶民たちが大山参りに行くことになったが、毎年酒乱の熊五郎が迷惑をかけるため、道中で酒を飲んで暴れた者は坊主にするという約束で出発した。行きは何事も問題なくすんだが、帰りの神奈川宿の宿屋で泥酔した熊五郎が風呂場で暴れるという事件を起こす。仲間たちは約束通り、寝入った熊五郎の髪を剃り上げて坊主にすると、彼を置いて朝早く出立した。 朝、目を覚ました熊五郎は坊主にされていることに気づく。早駕籠で仲間より先に江戸に帰ると、留守番をしていた仲間の女房たちに、仲間たちが帰りに金沢八景で船事故に遭って自分以外は全員溺死してしまい、自分は弔いのために頭を丸めたと嘘をつく。女房たちはこの嘘に騙され、自分たちも弔いのために髪を剃ってしまう。そこに仲間が帰り、事態を知って激怒する。その中で年長者がめでたいことだから、怒るに及ばないと仲間を諭す。どうしてだと尋ねられ、答える。 「お山は晴天、家へ帰れば皆、毛が(怪我)無くてめでたい」 脚注注釈出典
参考文献
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