宮城県仙台第一高等学校
宮城県仙台第一高等学校(みやぎけん せんだいだいいちこうとうがっこう)は宮城県仙台市若林区元茶畑にある県立高等学校。通称は「一高」(いちこう)もしくは「仙台一高」(せんだいいちこう)。 概要1892年に宮城県尋常中学校として開校。校訓と標語(モットー)として「自重献身」「自発能動」を掲げており、生徒の自主性を重んじる自由な校風である[要出典]。また、制服がなく私服校である。 2012年度より文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール (SSH) の指定(5年間)を受け、2017年度より再び指定(5年間)を受けた。 共学化10年以上、共学化に対する論争が起こっていたが[1]、2009年に県教委の正式な決定がされたことから、2010年度より共学化された。統廃合はなく、校章・校歌・校名はそのまま使用されている。 沿革
校歌・応援歌
対仙台二高定期戦対仙台二高定期戦とは、ライバル関係にある仙台二高との間で行われる定期戦の総称である。単に「定期戦」と言った場合には硬式野球定期戦を指す。硬式野球定期戦・三部定期戦以外にも、幾つかの部で定期戦が行われている。[要出典] 硬式野球定期戦硬式野球定期戦は、仙台二高との硬式野球の定期戦で、毎年5月中旬に行われる。「杜の都の早慶戦」と呼ばれるが、早慶戦よりも起源は古く、1900年から何度か中断されながらも続いている伝統行事である。両校とも、応援団幹部を中心として全校総出で応援合戦を繰り広げるため、両校の生徒にとって最大のイベントとなっている。2007年に仙台二高の共学化に伴い、その存続が危ぶまれていたが、引き続いて開催された。また、東北楽天ゴールデンイーグルスのプロ野球参入に伴う宮城球場(Koboスタ宮城)の改装により、従来の応援形式がとれないなどの問題も発生している。2012年5月12日に実施された定期戦では仙台一高が勝利。優勝回数は仙台一高29回、仙台二高29回(両校引き分けが9回)となった。2021年には再度優勝した。[要出典] アピール行進1971年の仙台一高・二高野球定期戦開催を前に行進したのが始まり。第1回は、仙台一高側が東北大学片平キャンパス北門前を出発し、東一番丁通り(当時の東一番丁通りは歩行者専用道路ではなく、2車線の車道だった)を北上し、勾当台公園の野外音楽堂前で二高側と落ち合って、双方が応援歌を歌い、エールを交換した。仙台二高ではPR行進と呼ぶ。硬式野球定期戦の前々日に行われ、仙台一高・仙台二高の応援団幹部をそれぞれ先頭とし、以下、各校の1年生全員と2・3年生有志が、応援歌や野次を叫びながら一番町を行進し、西公園までを歩く。前述の聖火リレーのように、仮装をして行進する生徒が多い。[要出典] 三部定期戦三部定期戦は、以下の部活動における仙台二高との定期戦で、硬式野球定期戦と同時期に行われる。柔道定期戦は年2回で、冬期にも行われる。[要出典]
このほかラグビー部の定期戦を正月元旦に開催している。 壱高祭仙台一高の文化祭として毎年8月下旬もしくは9月初旬に3日間を使って行われており(1976年度は開催されず)、生徒からの発起人から成り立つ「壱高祭実行委員会」によって運営される。元来、1945年より「文化祭」という名前で毎年10月に行われていたが、1957年に「壱高祭」と改称、2007年の壱高祭で50回目となった。また初夜祭、中夜祭があり、前者が来訪者向け、後者が一高らしい独特の雰囲気のものとなっている。[要出典] 校舎・設備学校の敷地は主に校舎のある元茶畑に位置する。現在の校舎は5代目に当たり、地上5階建てで1992年に完成した。他にも仙台市若林区荒井に硬式野球部専用の第二運動場がある。 高校関係者一覧歴代校長
著名な出身者
その他
アクセス脚注
関連項目関連文献
外部リンク |