小山省二
小山 省二(こやま しょうじ、男性、1906年(明治39年)8月18日 - 1989年(平成元年)4月6日)は、東京府(現・東京都)出身の政治家、実業家。元衆議院議員(4期)。 経歴現在の町田市小山町に生まれる[1]。1924年(大正13年)東京府立繊染学校(現・東京都立八王子桑志高等学校)を卒業後、八王子市内にて織物業を営む。戦前より地元の繊維業界団体において積極的に活動し、1940年(昭和15年)に八王子内地織物工業組合が時局対策委員会を組織した際には、資材獲得調整を担当する部門の常務委員を務めていた[2]。戦後は1949年(昭和24年)から1955年(昭和30年)まで八王子織物工業協同組合の第9代理事長を務めた。1968年(昭和43年)藍綬褒章受章。 戦後より政治活動に進出し、1947年(昭和22年)に東京都議会議員選挙に八王子選挙区から立候補[3]し当選、以後5期連続当選[3]を重ね、1963年(昭和38年)には都議会議長に就任する[4]。同年の第30回衆議院議員総選挙において、旧東京7区にて自由民主党から立候補し当選。以後4期連続当選を果たす。衆議院議員在職中は、第2次佐藤第2次改造内閣にて労働政務次官、第3次佐藤改造内閣にて自治政務次官を務めたほか、1975年(昭和50年)には衆議院地方行政委員会委員長に就任[5]。派閥は佐藤栄作派-田中角栄派に所属。 1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙においては、新たに分区された旧東京11区より立候補するも落選。政界を引退する。1977年(昭和52年)勲二等旭日重光章受章。 1989年4月6日、脳溢血のため逝去[6]。享年82。 脚注
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