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東京都第11区 (中選挙区)

東京都第11区(とうきょうとだい11く)は、日本の衆議院において、かつて存在した選挙区。1976年に行われた第34回衆議院議員総選挙で初めて登場した選挙区で、それ以前は7区の一部だった。

区域

1992年平成4年)の公職選挙法改正当時の区域は以下のとおりである(定数5)[1]。この地域は、現在の小選挙区では23区24区30区の全域と、21区の一部、22区25区の大部分となっており、現在の11区とは全く関係がない。

1986年昭和61年)の公職選挙法改正当時の区域は以下のとおりである(定数5)[2]

  • 八王子市
  • 青梅市
  • 府中市
  • 調布市
  • 町田市
  • 日野市
  • 福生市
  • 狛江市
  • 多摩市
  • 稲城市
  • 秋川市
  • 西多摩郡

1975年昭和50年)の公職選挙法改正当時の区域は以下のとおりである(定数4)[3]

  • 八王子市
  • 青梅市
  • 府中市
  • 調布市
  • 町田市
  • 日野市
  • 福生市
  • 狛江市
  • 多摩市
  • 稲城市
  • 秋川市
  • 西多摩郡

歴史

多摩地方のうち、西多摩南多摩地域の大半に加え、調布市や狛江市のように世田谷区などの東京都区部に隣接する地域も含まれる、人口も多い広大な選挙区であった。

東京7区から分割され初めてとなる1976年第34回衆議院議員総選挙では、前回1972年総選挙時に東京7区から立候補し当選した土橋一吉(日本共産党)、小山省二自由民主党八王子市地盤)と落選した山花貞夫日本社会党調布市地盤)、伊藤公介(保守系無所属→新自由クラブ町田市地盤)の4名が11区に移動し立候補した。結果は一転して、新党の新自由クラブから立候補した伊藤公介と父の山花秀雄1969年総選挙で落選し政界引退)以来の地盤を受け継いだ山花貞夫が1・2位で当選し、さらに前青梅市長で西多摩地区を地盤とする石川要三(自民党)と公明党の新人で弁護士長谷雄幸久の4名が、初の11区での当選者となった。前職であった土橋、小山はそれぞれ下位で落選して議席を失い、政界から引退となった。以降は周辺人口の増加に伴い、当選に必要な票数は毎回ほぼ10万票を超え、次点者も10万票を獲得するなど4議席を巡るハイレベルな激戦を続けてきた。

1979年第35回衆議院議員総選挙では、一転して前回トップ当選であった伊藤が次点で落選し、前回議席を失った土橋の後継である岩佐恵美が滑り込み、共産党の議席を奪還した。翌1980年の第36回衆議院議員総選挙では、今度は伊藤が返り咲いた一方で長谷雄が落選して、支持母体である創価学会の拠点でもある八王子市を選挙区に含みながら公明党が議席を失う事態となった。さらに1983年第37回衆議院議員総選挙では、公明党が長谷雄に代わる新人で創価大学教授の斉藤節を当選させる一方で、今度は岩佐が議席を失うなど、4議席を巡る攻防は目まぐるしく入れ替わった。

1986年第38回衆議院議員総選挙より定数が1議席増加の5議席となったが、議席争奪戦は相変わらず激しい戦いが続いた。前回1983年の選挙で苦杯を舐めた岩佐が返り咲き、前回に続いて立候補した八王子市を地盤とする都議会議員出身の石渡照久(自民党)が2度目の挑戦でトップ当選を果たし、石川と合わせて自民党が初めて2議席を獲得した。その一方で当時自民党と統一会派を組んでいた新自由クラブの党勢の低迷が影響する形で、伊藤公介が3度目(議員当選後は2度目)の落選を喫した。伊藤はその後の新自由クラブの解党に伴い、自民党へ入党した。

1990年第39回衆議院議員総選挙では、社会党は「マドンナブーム」に乗る形で、前職で連続当選中の山花と新人でバー経営者・評論家の長谷百合子を擁立して、同選挙区で社会党は初の2議席獲得を果たした。自民党は元職で新たに入党した伊藤公介を含め3人を擁立したが、このうち伊藤が返り咲き、石川が連続当選を果たした一方で、今度は前回トップ当選の石渡が次点で落選し議席を失った。公明党は堅実に議席を得たものの、社会党の「マドンナブーム」の煽りを受ける形で共産党の岩佐も議席を失った。

中選挙区として最終となった1993年第40回衆議院議員総選挙では、「新党ブーム」に乗る形で日本新党から初めて挑戦した伊藤達也が21万票の大量得票でトップ当選を果たした。社会党前職の山花、自民党前職の伊藤公介と、前回限りで引退した斉藤の後継となった新人の高木陽介(公明党)が手堅く議席を確保し、岩佐も再び返り咲いた一方で、「新党ブーム」の煽りを受ける形で、1976年の初当選以来議席を死守してきた石川が初めて苦杯を喫し、返り咲きを目指した石渡も落選。さらに前回の当選とは一変して逆風となった長谷も議席を失った。

その後、1994年公職選挙法改正による小選挙区比例代表並立制の導入により、選挙区内が複数の小選挙区に分割されて、1996年第41回衆議院議員総選挙では、岩佐(共産党)は東京21区(落選、その後参議院比例区へ転出)、山花(旧民主党)と伊藤達也(新進党)は東京22区(伊藤達也が小選挙区、山花は比例復活)、伊藤公介(自民党)は東京23区、高木(新進党)は東京24区(比例重複がなく小選挙区で落選)、石川(自民党)は東京25区にそれぞれ拠点を移しており、特に伊藤公介と石川は小選挙区での戦いになってからは長年にわたり強さを発揮する形となった。長谷は社会党への不信感から新進党へ移籍し、同党公認で東京23区での擁立が内定していたものの、その後新進党も離党し政界から離れた。石渡も2000年の八王子市長選挙(落選)へ狙いを変えている。

なお、民社党は同選挙区に2度にわたり候補を擁立したが、一度も議席を得る事はなかった。

選出議員

選挙名 #1 #2 #3 #4 #5
第34回衆議院議員総選挙 1976年 伊藤公介
新自由クラブ
山花貞夫
日本社会党
石川要三
自由民主党
長谷雄幸久
公明党
第35回衆議院議員総選挙 1979年 石川要三
(自由民主党)
山花貞夫
(日本社会党)
長谷雄幸久
(公明党)
岩佐恵美
日本共産党
第36回衆議院議員総選挙 1980年 石川要三
(自由民主党)
伊藤公介
(新自由クラブ)
山花貞夫
(日本社会党)
岩佐恵美
(日本共産党)
第37回衆議院議員総選挙 1983年 石川要三
(自由民主党)
伊藤公介
(新自由クラブ)
斉藤節
(公明党)
山花貞夫
(日本社会党)
第38回衆議院議員総選挙 1986年 石渡照久
(自由民主党)
石川要三
(自由民主党)
山花貞夫
(日本社会党)
斉藤節
(公明党)
岩佐恵美
(日本共産党)
第39回衆議院議員総選挙 1990年 山花貞夫
(日本社会党)
伊藤公介
(自由民主党)
石川要三
(自由民主党)
斉藤節
(公明党)
長谷百合子
(日本社会党)
第40回衆議院議員総選挙 1993年 伊藤達也
日本新党
山花貞夫
(日本社会党)
高木陽介
(公明党)
伊藤公介
(自由民主党)
岩佐恵美
(日本共産党)

選挙結果

解散日:1993年(平成5年)6月18日 投票日:1993年(平成5年)7月18日
当日有権者数:1,570,923人 最終投票率:62.84%(前回比:減少5.55ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
伊藤達也32日本新党215,247票
22.04%
山花貞夫57日本社会党144,947票
14.84%
高木陽介33公明党130,517票
13.36%
伊藤公介51自由民主党126,430票
12.94%
岩佐恵美54日本共産党106,401票
10.89%
石川要三68自由民主党104,217票
10.67%
石渡照久62自由民主党89,911票
9.21%
長谷百合子46日本社会党55,590票
5.69%
伊東敬芳57国民党1,409票
0.14%
影山裕二31雑民党758票
0.08%
竹林雄二26雑民党628票
0.06%
東哲朗34国民党620票
0.06%

解散日:1990年(平成2年)1月24日 投票日:1990年(平成2年)2月18日
当日有権者数:1,449,217人 最終投票率:68.39%(前回比:増加4.31ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
山花貞夫53日本社会党177,605票
18.08%
伊藤公介48自由民主党166,515票
16.95%
石川要三64自由民主党132,536票
13.49%
斉藤節59公明党129,169票
13.15%
長谷百合子42日本社会党127,742票
13.01%
石渡照久59自由民主党113,713票
11.58%
岩佐恵美50日本共産党109,567票
11.16%
吉田勉41無所属10,483票
1.07%
平山忠雄52無所属6,175票
0.63%
山田明人41社会主義労働者党2,678票
0.27%
末岡健一36日本労働党1,803票
0.18%
中島二郎38無所属1,549票
0.16%
辻松範昌56地球維新党1,021票
0.10%
森達雄54無所属942票
0.10%
飯田エリ子29真理党494票
0.05%
佐伯一明29真理党217票
0.02%

解散日:1986年(昭和61年)6月2日 投票日:1986年(昭和61年)7月6日
当日有権者数:1,308,964人 最終投票率:64.08%(前回比:増加0.71ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
石渡照久55自由民主党136,449票
16.58%
石川要三61自由民主党136,067票
16.54%
山花貞夫50日本社会党132,939票
16.16%
斉藤節55公明党122,847票
14.93%
岩佐恵美47日本共産党116,996票
14.22%
伊藤公介44新自由クラブ113,056票
13.74%
山本忠雄48民社党36,235票
4.40%
吉田勉38サラリーマン新党26,437票
3.21%
末岡健一32日本労働党1,735票
0.21%

解散日:1983年(昭和58年)11月28日 投票日:1983年(昭和58年)12月18日
当日有権者数:1,223,564人 最終投票率:63.37%(前回比:減少6.32ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
石川要三58自由民主党125,872票
16.38%
伊藤公介42新自由クラブ125,207票
16.29%
斉藤節53公明党124,010票
16.13%
山花貞夫47日本社会党123,309票
16.04%
岩佐恵美44日本共産党110,321票
14.35%
石渡照久53自由民主党76,154票
9.91%
山田禎一58自由民主党42,046票
5.47%
山本忠雄46民社党40,186票
5.23%
小川力34立憲養正会777票
0.10%
宮内陽肇82無所属697票
0.09%

解散日:1980年(昭和55年)5月19日 投票日:1980年(昭和55年)6月22日
当日有権者数:1,121,545人 最終投票率:69.69%(前回比:増加13.61ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
石川要三54自由民主党196,550票
25.79%
伊藤公介38新自由クラブ176,987票
23.22%
山花貞夫44日本社会党141,758票
18.60%
岩佐恵美41日本共産党123,174票
16.16%
長谷雄幸久46公明党121,196票
15.90%
椎木裕治29日本労働党2,580票
0.34%

解散日:1979年(昭和54年)9月7日 投票日:1979年(昭和54年)10月7日
当日有権者数:1,099,709人 最終投票率:56.08%(前回比:減少14.73ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
石川要三54自由民主党132,331票
21.74%
山花貞夫43日本社会党126,326票
20.76%
長谷雄幸久46公明党115,605票
19.00%
岩佐恵美40日本共産党106,686票
17.53%
伊藤公介37新自由クラブ101,997票
16.76%
原武夫41自由民主党23,774票
3.91%
椎木裕治28日本労働党1,882票
0.31%

任期満了日: 投票日:1976年(昭和51年)12月5日
当日有権者数:1,020,747人 最終投票率:70.81%(前回比:ポイント)

当落氏名年齢所属党派新旧得票得票率推薦・支持
伊藤公介35新自由クラブ145,119票
20.34%
山花貞夫40日本社会党138,052票
19.35%
石川要三51自由民主党119,353票
16.73%
長谷雄幸久43公明党118,061票
16.55%
土橋一吉68日本共産党97,573票
13.68%
小山省二70自由民主党95,253票
13.35%

脚注

  1. ^ 衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第125回国会 制定法律の一覧 >法律第九十七号(平四・一二・一六)”. 衆議院 (1992年12月16日). 2022年1月23日閲覧。地名は1992年(平成4年)当時のものである。
  2. ^ 衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第104回国会 制定法律の一覧 >法律第六十七号(昭六一・五・二三)”. 衆議院 (1986年5月23日). 2022年1月23日閲覧。地名は1986年(昭和61年)当時のものである。
  3. ^ 衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第075回国会 制定法律の一覧 >法律第六十三号(昭五〇・七・一五)”. 衆議院 (1975年7月15日). 2022年1月23日閲覧。地名は1975年(昭和50年)当時のものである。

関連項目

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