小林稔 (サッカー選手)
小林 稔(こばやし みのる、1976年5月14日 - )は、神奈川県綾瀬市綾西出身[1]のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現在はFC東京のコーチ。現役時代のポジションはディフェンダー(主に右サイドバック[3])。 来歴小学校2年生の時に兄の影響でサッカーを始める[1][4]。桐光学園高校では1期下に酒井良、2期下に中村俊輔、佐原秀樹が在籍。1995年に国士舘大学へ進学し、サッカー部に所属。同期には熱田眞、金沢浄、鏑木享、齋藤誠一、富永英明らがおり、在部中の4年間に関東大学リーグ1部で3度、インカレで2度の優勝を達成[3]。個人としても日本大学選抜選出などの実績を残した。 しかし、1999年春の大学卒業時にプロからの内定を得ることが出来ず[1]、Jリーグ・FC東京の練習に練習生として参加し、6月に半年間の契約にこぎつけた[1]。その後は怪我に苦しみ[5]なかなかトップでの出場機会を得る事が出来なかったが、2001年シーズン終盤になり、内藤就行の退団や伊藤哲也の負傷といったDF陣の離脱が重なったこともあって、大熊清監督によって右SBに配されるようになった。翌2002年から新たに監督に就任した原博実も開幕スタメンの右SBに小林を起用し[6]レギュラーに定着しつつあったが、同年に移籍加入していた加地亮がチーム環境に慣れるにつれ、小林に替わって[7]右SBのポジションを掴んだため、小林は出場機会を失っていった。この年限りで戦力外となったものの[8]、クラブからはサブ暮らしの日が続いても基本を繰り返し大きな声を出して練習する姿勢[4][3]を長らく評価されており、現役引退後もFC東京の下部組織にてジュニアユース年代の育成を担当した[3]。 2019年7月1日より、ヘッドコーチを務める[9]。同年8月14日、磐田監督の鈴木秀人が体調不良のため、天皇杯3回戦・ヴァンラーレ八戸戦で暫定的に指揮を執った[10]。翌15日、鈴木の監督退任に伴い、暫定的に監督業務を務めることが発表された[11]。J1第23節・ガンバ大阪戦では、前半15分にルキアンが累積警告で退場し、約75分を10人でプレーする事態になったが、途中投入した中山仁斗が後半ATのラストプレーでPKを獲得。中山がPKを成功させ、試合は1-1で引き分けた[12]。同試合の結果により、磐田は連敗を3でストップさせた[13]。同月20日より、フェルナンド・フベロが新監督に就任[14]したため、暫定監督業務を終えた。 2022年よりFC東京U-18のコーチに就任した[15]。 2023年はトップチームコーチに就任した[16]。 所属クラブ個人成績
指導歴
監督成績
脚注
関連項目外部リンク
|