山本脩斗
山本 脩斗(やまもと しゅうと、1985年6月1日 - )は、岩手県盛岡市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(左右のサイドバック)。元日本代表。 来歴プロ入り前高校時代は岩手の盛岡商業高校で、2年生から背番号「10」を背負いレギュラーとして選手権に出場した。早稲田大学では、2006年に北京オリンピック日本代表候補にも選出されている。2008年シーズンよりJリーグのジュビロ磐田に加入することが内定していたが、入団前のメディカルチェックにおいて、原発性左鎖骨下静脈血栓症(ページェット・シュレッター症候群)であることが判明。契約社員として磐田に籍のみを置き、完治後の正式契約を目指して治療に専念した。 ジュビロ磐田持病の治療完了後、2008年6月7日付で正式にチームと契約を結んだ。 2009年、シーズン序盤は左サイドバックのレギュラーとして試合に出場するも、上記の原発性左鎖骨下静脈血栓症の再発により、シーズン後半は試合に出場することはできなかった。 2010年、シーズン中盤のパク・チュホの負傷による長期離脱により、左サイドバックでレギュラーとして出場した。 2011年11月、日本代表のワールドカップアジア予選予備登録メンバーに追加登録された。 鹿島アントラーズ2016年11月23日、チャンピオンシップ準決勝の川崎フロンターレ戦では金崎夢生の得点をアシストして決勝進出に貢献した。 続く2017年も1年を通してレギュラーを務めるも、2018年は安西幸輝の加入もあって18試合の出場に留まった。さらに2019年は安西が夏にポルトガルへ移籍すると、同時期に加入した小池裕太がポジションを確保したため、自身の出場はわずか6試合に留まった。 小池の移籍した2020年はベガルタ仙台から永戸勝也、さらには湘南ベルマーレから杉岡大暉が加入。開幕後から永戸と杉岡がポジションを争う展開となったため、自身は試合から遠ざかっていたが、8月12日に行われたルヴァンカップ第3節清水エスパルス戦で途中出場し、同年公式戦初出場を果たす。その後は再びメンバーから外れていたが、9月12日に行われたJ1リーグ第16節清水エスパルス戦で久々のベンチ入りを果たすと、9月27日に行われたJ1リーグ第19節大分トリニータ戦で先発に抜擢。同年リーグ戦初出場を果たした。その後、永戸が新型コロナウイルスに感染。チームから離脱・隔離されたため、杉岡を抑えて先発に抜擢される試合が急増した。結果シーズン通して7試合に出場した。 湘南ベルマーレ代表2017年11月29日、EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017に出場する、国内組のみで構成された日本代表メンバーに初選出され、12月12日の中国戦で国際Aマッチ初出場。 引退後2024年1月、鹿島アントラーズのフットボールディヴィジョン・プログループ(強化部門)で強化・スカウト担当スタッフに就任した[4]。 プレースタイル元々はFWやトップ下でプレーする攻撃的な選手であったが磐田加入後、サイドバックにコンバートされ守備のスキルを身につけていった。元来、運動量には自信を持っているが、鹿島移籍後、まず守備から入り一対一で負けないこと、90分間体力を切らさず、センターバックの裏のケアなどを意識していると語る。 また攻撃面でも右サイドの西大伍のクロスに飛び込んでヘディングで得点したり、2015年2ndステージ第7節のベガルタ仙台戦では、山本のクロスを逆サイドの西が折り返すといった両サイドの揺さぶり、ナビスコカップ準々決勝第1戦のFC東京戦では、ドリブルで左サイド深くまでえぐり、赤﨑秀平のゴールをお膳立てしたりと高い位置で仕掛ける意欲も見せている[5]。 左右サイドを問わずプレーすることが出来る。 エピソード
所属クラブ
個人成績
その他の国際公式戦
タイトルクラブ
個人
代表歴出場大会
試合数
出場
脚注
関連項目
外部リンク
|