青山直晃
青山 直晃(あおやま なおあき、1986年7月18日 - )は、愛知県一宮市出身の元プロサッカー選手。元日本代表。センターバックとして活躍した[1]。 来歴クラブ一宮・中日少年サッカースクール丹陽小、スポーツクラブ岐阜VAMOSを経て、2002年に前橋育英高等学校に入学してサッカー部に入部。3年時には名古屋グランパスの特別指定選手になった[2]が、2005年清水エスパルスに加入[3]。同期入団には兵働昭弘、枝村匠馬などがいる。デビュー戦となった2005年10月29日の名古屋戦で初ゴールを挙げた[4]。2年目以降レギュラーに定着した。 2009年9月ヤマザキナビスコカップ準決勝第2戦の試合中に負傷。後検査の結果、右膝前十字靱帯損傷により6ヶ月の加療を要する見込みであると発表された[5]。翌2010年度シーズンを試合出場はおろかベンチ入りの機会も殆どないまま終えた[6]。12月、翌2011年度からの横浜F・マリノスへの完全移籍が発表された[7]。マリノスには中澤佑二、栗原勇蔵がいることもあり、2011年は7試合、2012年は4試合の先発出場にとどまった。 2013年度からヴァンフォーレ甲府へ完全移籍。シーズン途中にシステム変更もあったが自身は久々にシーズンを通して出場を続け、リーグ戦29試合に出場し残留に大きく貢献した。またこの年の2得点はいずれも後半アディショナルタイムにあげた同点ゴールであり、特に第8節の得点は古巣の横浜F・マリノスから勝ち点をもぎ取る値千金のゴールとなった。 2014年も開幕から先発出場。第5節のベガルタ仙台戦では後半22分にセットプレーのこぼれ球を押し込みシーズン初ゴールを決めた。このゴールにより試合を引き分けに持ち込み、甲府加入後に挙げた3得点はいずれも同点ゴールとなっている。 2015年、タイ・プレミアリーグのムアントン・ユナイテッドFCへ完全移籍[8]。2016年にはムアントン・ユナイテッドのタイ・プレミアリーグ、タイ・リーグカップの二冠獲得に貢献した。 2019年、ガンバ大阪へ完全移籍[9]。しかし、シーズンを通してJ1リーグ戦は出場機会がなく、トップチームでの出場はルヴァンカップ6試合、天皇杯1試合のみにとどまった。 2020年、鹿児島ユナイテッドFCへ完全移籍[10]。シーズン終了後に契約満了により退団した[11]。 2021年1月22日、現役引退を発表[12]。 日本代表2002年にU-16日本代表に選出されてAFC U-17選手権2002に出場したのを始め、高校在学中は毎年年代別代表に選出された経験を持つ。 2006年に、U-21日本代表に招集されてアジア競技大会に出場した[13]。同年8月にはトリニダード・トバゴとの国際親善試合に出場するフル代表チームに選出されたが、この時は出場機会はなかった[14]。2008年北京オリンピックのサッカー競技・アジア予選では、2次予選および最終予選にて合計11試合に出場し、うち4月18日に行われたU-22シリア代表戦および8月22日に行われたU-22ベトナム代表戦で合計2得点を挙げた[15][16]。 しかし本大会はjリーグで結果を出せずスランプに陥ったことからメンバーに入ることができなかった。 所属クラブ
個人成績
タイトルクラブ
個人メニコンカップ 2001年第7回大会 敢闘賞
代表歴
CM出演脚注
関連項目
外部リンク
|