川野太郎
川野 太郎(かわの たろう、1960年4月11日[1] - )は、日本の俳優。山口県吉敷郡小郡町(現:山口市小郡)出身。身長178cm。血液型はB型。早稲田大学教育学部体育学専修卒業。所属事務所はグリーンメディア。 来歴山口県鴻城高等学校を卒業し、浪人(天王寺予備校)を経て早稲田大学へ入学。 1985年、NHK連続テレビ小説『澪つくし』で俳優デビュー。ヒロイン・沢口靖子の相手役・吉武惣吉役に抜擢され、一躍ブレイク[1]。本作は最高視聴率55.3%を記録し、沢口を相手に、役の上で初のキスシーンも演じた。 以後端正なルックスで人気を集め、1986年のドラマ『武蔵坊弁慶』(NHK)、1990年のドラマ『代表取締役刑事』(テレビ朝日系)、1999年からは『キッズ・ウォー』(TBS系)にて父親役を好演するなど活躍[1]。『温泉へ行こう!』『大好き!五つ子』と並ぶ人気シリーズとなった。 また『スーパーモーニング』(テレビ朝日系)では司会を2年半務め[2] 、『料理バンザイ!』(テレビ朝日系)での「たまに行くならこんな店」のレポーターも12年間務めるなど俳優業以外でも活動[2](食事をする際の姿勢が大変良く、多くの評論家から「彼からマナーを学ぶべき」と絶賛された)。 2020年3月31日、オスカープロモーションを退社。同年10月1日、イトーカンパニーへ所属。 2024年3月31日、イトーカンパニーを退社。同年4月よりグリーンメディア所属。 人物学生時代小学校ではやんちゃ坊主で毎日のように怒られていたが、子供の頃から運動神経が良くサッカーや野球をしていた[1]。入学した中学にサッカー部がなかったことから野球部に入部。高校でも野球部に所属し、3年生の春に県大会決勝で津田恒実も登板した南陽工と対戦して準優勝、その後の中国地区大会で優勝している[1]。 大学でも野球部に所属し、ポジションは二塁手だった。ただしほとんど活躍できず、リーグ戦では、2回代打として出場したものの凡退したほか代走1回に終わった[注 1][1]。大学時代の野球部の同期には和泉実と木暮洋がいた。 役者の道へ大学2年生の頃に仲代達矢主宰の無名塾に興味を持ったが、親から大学卒業を説得されて一旦取りやめた[1]。その後4年生の頃に留年が決まり、「自分は将来どうなりたいのか」と考えた末、改めて俳優を目指し始める[1]。野球部を引退した4年生の秋に演劇研究所に通い始め、5年生の時に残りの単位を取りながら芝居と歌のレッスンを受けた[1]。 5年生の9月頃、朝ドラ『澪つくし』に「オーディションというものを一度経験してみよう」と気軽に応募した所、思いがけず合格[1]。ちなみに中学生以来ずっと丸刈りで、大学4年で野球部を引退してようやく髪の毛を伸ばしかけた所、オーディション合格後に同役が丸刈りの設定と知り、しばらくは丸刈りの生活が続くこととなった[1]。 結婚1981年、21歳の時に横浜市内を男友達と2人で歩いているとキャッチセールスに絡まれ、前方から来た若い女性2人に助けられた[3]。その後大学の合宿先だった軽井沢で、上記女性の1人と偶然に再会して縁を感じて交際に発展[3]。5年生の頃に役者になるためのレッスンや『澪つくし』の出演で多忙となり、恋人となかなか会えない状態となったが、時々電話でやり取りして愛を育んだ[3]。 その後もそこそこドラマや映画に出るようになったが、役者業で恋人を養っていけるかまだ不安があったため、結婚に踏み切れないまま数年を過ごした。しかし交際9年を迎えた頃、『代表取締役刑事』の共演者である渡哲也の助言により背中を押され、ようやく1991年に結婚した[注 2](結婚式はドイツのボーデン湖畔の教会で行ったとされる)。1995年に長男、1998年に長女が生まれた[3]。 その他出身の縁から「山口ふるさと大使」に任命された。 俳優志望の長男・川野雄平は文学座研究生。 本人が後から聞いた話では、『澪つくし』の応募に写真を提出した際、既に締め切りが過ぎていたという。しかし、当時惣吉役のイメージにピタっとくる人がなかなかおらず、川野の写真を見たスタッフが応募者のファイルに内緒で挟んでくれたおかげで、オーディションを受けることができたとのこと[1]。 先述の通り渡哲也の助言を受けて結婚を決意したが、その後『スーパーモーニング』の司会を引き受けるか迷った際も、渡から助言された[注 3]ことから出演を決めた[3]。 出演テレビドラマ
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脚注注釈出典
外部リンク
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