愛知県の高校入試愛知県の高校入試(あいちけんのこうこうにゅうし)では、愛知県における高等学校の入学試験について述べる。この項では、公立高校の場合は受検、私立高校の場合は受験と書き分ける。 概要愛知県の公立高校においては1989年から複合選抜制度と称する制度を、私立高校においては1986年から複合選抜制度に類する制度を導入し、受験生においては複数の入試を受けることが可能になっている[1]。 なお、公立高校の志願については、県内の保護者との同居が必須であり、保護者でない親族(祖父母等)が愛知県内に在住しても、保護者が県外の場合は公立高校を原則志願できない[注釈 1]。 複合選抜制度→「複合選抜」も参照
公立高校入試において採用されている制度で、複数回の受検機会を設けているのが特徴である[2]。全日制普通科高校について、愛知県を尾張学区および三河学区[注釈 1]の2学区に大別したのち、それぞれを群に分け、さらにAグループ・Bグループに分類している[3]。高校進学希望者は、自らの居住する学区に所属している高校の中から、群(尾張学区は第1群か第2群のいずれか、三河学区は三河群のみ)を選択し、その群に所属する学校からグループの異なる学校を1校ずつ選ぶことができる[3]。グループは試験の実施日を意味しており、同一グループから学校を選ぶことはできない。また、専門学科・総合学科についても普通科同様、A・B各グループが設定されており[WEB 1]、県下全域を学区[注釈 1]としている。 定時制の高校は県下全域が学区(定職持ちの人は県外から志願可能)で前期後期別の2回の検査日程が設定されるが、グループ設定がない。通信制の高校は、県下全域が学区で選考は単一日程でグループ設定がない[3]。
一般選抜のほか、推薦選抜と称する試験も同時に実施される[WEB 1]。出願時に決める第1志望校について、各高校が定める条件を満たし、受検者の在籍する中学校長の推薦を得た者が受験できるもので、一般選抜の日程の中で行われる[WEB 1](2017年度の制度変更以前は、一般試験とは異なる日程で実施されていた)。 尾張学区
三河学区
調整区域尾張学区および三河学区の境界付近については、調整区域と称する特例措置を設けている。以下に挙げる市町村内に居住している場合には、所属する学区の高校以外でも特定の高校の受検が可能となっている[WEB 1]。
私立高校の受験制度公立高校入試における複合選抜制度の導入に従って、私立学校においても同時期に複数学校の受験が可能となる制度を導入している。ただし、公立高校とは違い、厳密な学区・群・グループの分類はなく、試験日が3日間に分かれており、日程の異なる学校の試験を最大3校まで受験できる[4]。ただし、愛知県内の私立高校のうち、愛知淑徳高校・金城学院高校・南山高校・南山国際高校については高校入試自体を実施していない[4]。
2018年(平成30年)の日程は次の通りに実施されている。
またこの他、東海高校以外が推薦入試を実施しており、各高校がそれぞれ定める成績(評定)をはじめとする諸条件(出席状況・部活動などの実績など)を満たす生徒のうち、進学希望者が在籍する中学校長の推薦を得た者が受験資格をもつ[5]。この試験は、私立高校側が確実な生徒の確保ができるというメリットがあり、6割の高校が定員の80パーセント程度をこの試験の合格者に宛てているとされる[5]。 歴史第二次世界大戦後に行われた教育制度改革に伴い、中等教育機関としての高等学校(新制高等学校)が新設された。公立学校においては高校三原則として示された小学区制を導入し、1949年度には各高等学校単位で入学者選抜を行うこととなった[6]。ただし、この選抜については、1948年(昭和23年)3月付けで愛知県教育部長が通達した「昭和二十三年度公立新制高等学校入学考選抜について」により、新制中学卒業生および同等の学力があると認められる者について、いかなる検査も行わず、中学校からの報告書に基づく選抜を行うこととされた[7]。これは、同年2月の文部省通達を受けたもので、高校による入試を廃し、中学校在学時の知能検査・一斉学力検査の結果、学業成績、個人の性格・態度、職業適性、発達記録などが記載された報告書に基づく選抜を行うこととしたものであった[8]。翌年度には専門学科を持つ高校について、学区を愛知県全域とすることとなった[9]。
1956年に至って、愛知県教育委員会は小学区制を廃止することとした[6]。これは、学校選択の自由を認め、生徒の競争により向学心を伸ばすことなどを目的とした変更で、県下を尾張学区と三河学区の2つの学区に分割する大学区制を全国で初めて導入することとなった[6]。各高校の設備の格差などの理由で希望する高校に入学するための越境入学が横行していたため、県教委がこれを追認する形をとったのであった[18]。この変更の結果、中部統一テスト(中統テスト)と称する民間の模擬試験業者の成績によって事実上進路先が割り振られる事態となった[19][20]。
この状況に対する批判があり、是正のため1973年には愛知方式と称する学校群制度が導入されることとなった[19]。これは、従来の学区の枠組みに加えて、約3分の1にあたる25校において実施されたもので、1回の試験の結果を利用し、学校群を組んだ2校間で合格者を均等に割り振るという制度であった[19]。名古屋市内の高校については、15校を鎖状につないだ[19]。具体的な選抜方法としては、学力検査の成績および中学校からの調査書の双方が募集定員内の者をA、一方の者をB、双方が定員外の者をCとし、ABCの順に合格者を決定したのち、学校群内の募集定員比により成績順に振り分けた[21]。また、学校群を組まない学校もあり、それについては単独で選抜を実施した[19]。この制度の導入により従来の学校間格差は是正に動いたものの、入学希望者にとっては希望しない学校に合格する可能性があり、不満が出ることとなった[19](表3のように、すみれ高校志望者は1群として受検することしかできず、もみじ高校に割り振られる可能性があった。また、例えばたんぽぽ高校にはもみじ高校志望者・すぎ高校志望者・たんぽぽ高校志望者の3パターンの生徒が入学することになる)。
大学進学率の上昇に伴い、高校普通科の人気が高まり、相対的に農業・工業・水産学科の人気が低くなる状況に陥った[23]。そのため、1974年には全国で初めて工業科・農業科・水産科において推薦入学を導入し、1986年には商業科と一部の普通科に拡大した[1]。1988年には学校群に含まれないすべての普通科高校に導入された[1]。 1985年には複合選抜制度の導入が打ち出された[1]。学校群を再編し、前述の推薦入試を含めて、最大4回受検できるという制度であり、1989年に実施に移された[1]。この制度変更以降、大きな異動はないが、英語のリスニング問題の導入、群を跨いだ共通校の設定などの微調整が行われた[24]。 脚注WEB新聞注釈文献
参考文献
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