戸定邸
戸定邸(とじょうてい)は、千葉県東葛飾郡松戸町松戸(現在の松戸市松戸)に水戸藩最後(11代)の藩主であった徳川昭武が造った別邸[4]。 国の重要文化財の一つであり、指定名称は旧徳川家住宅松戸戸定邸。庭園は旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)として国の名勝に指定されている。また関東の富士見百景に選定されている。 概要松戸宿は江戸時代には江戸と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町であった。戸定邸付近に位置する松戸神社には水戸藩2代藩主徳川光圀ゆかりの銀杏の樹があるなど、古くから水戸藩とつながりの深い土地であった。戸定邸は1884年(明治17年)江戸川をのぞむ下総台地上に完成し、徳川昭武の生活の場として使われた別邸となっている。戸定邸の「戸定」とは「外城」に由来し、戸定邸のある高台・戸定台は、一帯に築かれた松戸城(松浪城)の外郭に位置したという。 明治30年代に実兄である元将軍徳川慶喜が何度も訪れ[5]、徳川昭武とともに趣味の写真撮影や狩猟、陶芸などを楽しんだ。また、多くの皇族が長期に滞在するなど、由緒のある屋敷として知られた。1892年(明治25年)、徳川昭武の子の徳川武定が特旨によって子爵を授けられると、以後は松戸徳川家の本邸となった[6]。 建築構造木造平屋一部2階建、延床面積725平方メートル、9棟の建物に23の部屋があり[7]、うち8棟が重要文化財である。台所棟の一部と内蔵が二階建てであるほかは、全て一階建てで、屋根は桟瓦葺きである。また、下屋・渡廊下、附属の便所などは銅板葺きである。南にある表座敷棟を起点として、各棟が連続もしくは渡り廊下で結ばれている。表座敷棟は、床・棚付で十畳半の客間や八畳の書斎などからなり、室境には透かし彫りの板欄間や竹細工の欄間がある。湯殿は浴室と脱衣場をわけ、浴室天井は杉板網代組(網代天井)の意匠としている[8]。 表向きの座敷棟をはじめ、各座敷棟、玄関棟から奥向きの施設まで全体がほぼ完存している大規模住宅、および明治前期における上流階級住宅の指標となるものとして、歴史的価値が高い[9]。 旧徳川昭武庭園旧徳川昭武庭園(きゅうとくがわあきたけていえん)は、戸定邸に造園された庭園。別称は戸定邸庭園。芝生が植えられた現存する洋風庭園としては日本最古とされる[10][11]。 徳川昭武がフランス留学など約5年間の欧米滞在やパリで開催されたパリ万国博覧会に出席した際などで見聞きした知識を取り入れて1884年(明治17年)から本格的な造園が行われ、6年後の1890年(明治23年)に完成した[10]。戸定邸に接する書院造庭園と、その南に広がる東屋庭園の2つの区画に分かれている[12]。 庭園様式は、大きな芝生を中心とした平地部分となだらかな築山を配した部分からなり、芝生地の中の象徴木としてイヌマキの植栽は特異的な景観を形づくっている。また、庭園は、スダジイ、クヌギ、コナラなどから構成される林によって囲まれている。日本庭園の伝統的技法となっている借景をとり入れ、高台の優れた景勝地を選び、田園風景を十分眺望できるような設計がされている[13]。 徳川昭武が撮影した写真を基に、盛り土を削り、飛び石や樹木などを往時のように復原する工事が2018年(平成30年)5月に完了した[14]。 沿革
文化財
戸定が丘歴史公園
戸定が丘歴史公園(とじょうがおかれきしこうえん)は、戸定邸と庭園、戸定歴史館(博物館)、松雲亭(茶室)から構成されている市立歴史公園。日本の歴史公園100選に選定されている[15]。 1991年(平成3年)11月3日に戸定邸の周囲2.3ヘクタールの敷地が歴史公園として整備され一般公開となった[16][15]。 松雲亭は1978年(昭和53年)に松戸市が市制施行35周年を記念して建設した茶室となっている[17]。 戸定歴史館戸定歴史館(とじょうれきしかん)は、戸定が丘歴史公園内に整備された博物館である。別称は戸定館[18]。 松戸徳川家や徳川慶喜家の資料が展示され、幕末に昭武が訪れたパリ万国博覧会の関係資料など幕末から明治にかけての国際交流と徳川慶喜・昭武兄弟が撮影した写真をメインテーマに、展覧会などが行われている。 施設詳細
周辺アクセス
脚注
関連項目外部リンク |