日本民主青年同盟
日本民主青年同盟(にほんみんしゅせいねんどうめい、英語: Democratic Youth League of Japan)は、日本の青年団体。略称は、民青同盟(みんせいどうめい)、民青(みんせい)、DYLJ[3]。日本共産党を相談相手として活動する。 全日本学生自治会総連合(全学連)の組織的な母体にもなった[2]。 概要日本民主青年同盟の規約の第一条(名称、基本的性格)には以下が記載されている。 主な活動は、日本共産党の活動と連携した、日米安保条約反対などの平和運動、反原発運動、学費値上げ反対運動、各種署名活動やボランティア活動、学習会、同世代の交流と連帯などである、としている[3]。2019年以降はコロナショックにより困窮する学生・若年者が増加したことを受け、各班がフードバンク事業を行っている[4][5]。班によってはtwitterアカウントでインカレサークルを名乗っているところもあり、また大学当局に公式サークルとして認可を受けている班も存在する[6]。 沿革ロシア革命の影響を受けていた大正時代(1923年4月5日)に日本共産青年同盟(共青)が設立された。日本共産青年同盟が民青の前身である[3]。共青は、天皇を中心とした戦前の日本で、「満18歳以上の男女の選挙権、被選挙権」、「同一労働同一賃金」、「天皇制打倒」、侵略戦争と軍国主義反対を掲げ、弾圧された[7]。川合義虎、高島満兎[8]、飯島喜美[9]など捕えられて殺傷されたり、獄死した同盟員もいた。 戦後は日本青年共産同盟(青共)として発足。その後、日本共産党の所感派と国際派の分裂と対立(50年問題)に伴い、「暴力的潮流があった」と自己批判し、日本民主青年団(民青団)と改称し、一旦科学的社会主義の放棄を行なった。しかし、他の交流サークルとの違いが見いだせなくなり、再び自己批判し、日本民主青年同盟への改称と共に科学的社会主義の路線が復活。1960年の第6回全国大会で民青は「青年同盟の呼びかけ」と「規約」を採択し、現在の組織の性格を確立した[10]。「基本的任務と性格」は「日本共産党のみちびきをうけ科学的社会主義と党綱領を学ぶ」[11][12][13]とされ、党の指導を受ける事が明確化されたが、この表現は1980年代以降に「日本共産党に相談する」と変更された。 旧ソビエト連邦共産党や中国共産党などと日本共産党の対立が激化した際には、「日本の運動に干渉を加えてきた時期があったが、干渉をはねのけた」としている[3]。 1969年を頂点とした学生運動の昂揚期には、当時の学生の間で大きな力を持っていた全共闘などの反代々木派学生や新左翼諸セクトを「トロツキスト」と批判し、激しく対立した。黄色いヘルメットと「民主化棒」と称するゲバルト棒で武装した民青の防衛隊は「あかつき行動隊」と呼ばれ、数千人規模の全共闘を数百人の部隊で圧倒することもあった[14]。1967年の善隣学生会館事件では中国共産党政府の主張をする在日華僑学生やその支援者などとの間に流血事件を起こしている。一方で、民社党系の「若い根っこの会」のような交流サークルの一面も併せ持ち、交流会や旅行などの企画を行なっていた。また、関連団体の中央合唱団や日本のうたごえ実行委員会(現:日本のうたごえ全国協議会)などを通じてうたごえ運動を主導した。その事から、新左翼からは「歌って踊って日共民青」と揶揄される事もあった。 同盟員数は6,460人(2023年時点)。最盛期の1970年には同盟員数は約20万人を数えた(名古屋大学生総数4,000人中1,000人、東北大8,000人中1,000人、岩手大3,000人中1,000人、京大、立命四桁、東大600、早大、法政、中央数百)が、30回大会(2002年11月)において「2万2,000の峰を突破」との表現で公表したのを最後に、同盟員数は明らかにしていなかった[15]が、47回大会(2023年11月)において、システムで集計した現勢は6,460人だったことを明らかにした[16]。 週刊金曜日の志位和夫へのインタビューによると、2017年で約9,500人と回答している。また、公式サイトでは「約1万人」と書かれている。 沖縄返還を機に1972年5月28日沖縄民青同盟が合流、日本民主青年同盟沖縄県委員会となった[17]。 総務省が2014年11月28日に公表した平成25年定期公表分政治資金収支報告書によると、渋谷区神山町にあった民青会館の建物と土地がそれぞれ売却されたため、収入に計上されている[18]。 歴代の大会・代表者は以下のとおり。大会は当初共産党と同じく2~3年に1回だったが、90年代に入り「世代交代を促す」目的で毎年開催されている。大会から次の大会までの間には定期的に中央常任委員・中央委員による中央委員会が開催され、中央委員会決定が発表され、学習される。
中央機関紙中央機関紙として、青年向けの『民主青年新聞』を発行している。
また、かつては「われら高校生」(略称「われ高」、創刊当時は週刊、のち隔週刊)、「同盟活動」(週刊)、「青年運動」(月刊)を発行していたが、読者数の減少により廃刊となった。「青年運動」は全国大会が開催されるたびに臨時増刊され、全国大会の諸決議や中央役員や全国大会での発言などが掲載されていた。現在は、「青年運動臨時増刊」と冠しない全国大会決定集が毎年出版されている。 「われら高校生」に連載されていた4コマ漫画「あにまるまる」(岩間みどり)は単行本化されていた。但し、最終話を含む数話は収録されていない。 同盟員民青同盟の規約で、「民青同盟の目的と規約をみとめ、同盟費をおさめ、民青同盟の一定の組織にはいって学び活動しようとする15歳から原則として30歳までの日本青年は同盟員になることができる。」(第1条)としている。基礎組織(班)での加盟決定と上級機関の確認を経て、加盟できる。運営資金は、同盟員や読者が払う同盟費(一般月額550円、高校生月額250円、減免制度あり)と機関紙代、個人からの募金によりまかなわれている[3]。 「いちじるしく反社会的で、民青への信頼を損なう人は、加盟することができない」としている(第3条)。具体的には、暴力団構成員や、統一協会(現・世界平和統一家庭連合)・国際勝共連合を始めとするカルト集団や右翼団体、ニセ「左翼」暴力集団(新左翼、極左暴力集団)、過激派などの構成員、国家権力に命ぜられて組織的に同盟の活動に反対する活動を行なっている警察官、自衛官、公安調査庁職員など [27]としている。 年齢上限は弾力的に運用されており、30歳を超えて在籍している同盟員もいる。当初は28歳までとされていたが、後に世代交代を促すため25歳に引き下げた。2011年より上限が30歳まで引き上げられた。 組織各都道府県に都道府県委員会と地区委員会があり、全国大会を毎年開催している[3]。全国大会はかつては2~3年ごとの開催であったが、中央委員(中央常任委員と都道府県委員長がほとんどである)の交替の促進などから毎年開催に変わった。地区委員会は「班は直接都道府県委員会が指導する」という方針で1990年代後半に一旦廃止されたが、現在は再建を進めている。地区委員会は日本共産党の地区委員会にほぼ準拠している。 班は3人以上の同盟員で結成され、職場・地域・学園(大学、高校など)の単位で活動する。1つの学校で班が組織できないときは、2つ以上の学校にまたがって班を作る(学生班、高校生班、浪人班など)。 中央委員会の本部事務所「民主青年会館」は長らく東京都渋谷区神山町に置かれていたが、現在は同じ区内の千駄ヶ谷に移転している。民青会館には、民青や全日本学生自治会総連合、全国労働組合総連合青年部、日本新聞労働組合連合青年婦人部協議会、全国商工団体連合会青年部協議会、農民運動全国連合会青年部などが加盟する「明るい革新日本をめざす中央青年学生連絡会議」(中央青学連)の事務所が同居している。 静岡県伊東市には、かつて研修施設「伊豆青年学習会館」があった。 他団体との関係
出身著名人芸能文化国会議員日本共産党民青時代の役職を記す。
その他の政党現・前・元職、所属政党などを記す。
その他
参考文献
脚注
関連項目
外部リンク
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