松平輝高
松平 輝高(まつだいら てるたか)は、江戸時代中期の上野高崎藩主。寺社奉行・大坂城代・京都所司代・老中を歴任。高崎藩大河内松平家4代。 生涯高崎藩初代藩主・松平輝規の長男。京都所司代在任中、竹内敬持を逮捕した(明和事件、宝暦事件)。同年老中にのぼり、安永8年(1779年)、松平武元の死去に伴い老中首座となり、勝手掛も兼ねる。天明元年(1781年)、輝高が総指揮をとり、上州の特産物である絹織物や生糸に課税を試み、7月、これを発表したところ、西上州を中心とする農民が反対一揆・打ちこわしを起こし、居城高崎城を攻撃するという前代未聞の事態に発展した(絹一揆)。幕府は課税を撤回したが、輝高はこの後、気鬱の病になり、将軍家治に辞意を明言するも慰留され、結局老中在任のまま死去した。これ以降、老中首座が勝手掛を兼務するという慣例が崩れることになる。長男の輝行が早世したため、次男の輝和が家督を相続した。 官位・役職
系譜父母
正室、継室
側室
子女 脚注
|