栗山礼行栗山 礼行(くりやま れいこう、1907年(明治40年)3月10日[1] - 1994年(平成6年)1月22日[1])は、昭和期の労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 経歴大阪府出身[1][2]。大阪実践商業学校で学んだ[2][注 1]。 陸軍に徴兵され、除隊された際には兵長であった[2]。日本大衆党などに入党し、大阪一般労働組合主事、同争議部長などを務めた[2]。また、栗山電機工業、船場自動車事業を設立して社長に就任した[2]。 戦後、日本社会党に入党し、同党大阪府連合会執行委員、同府連総務局長を務めた[2]。民主社会党(民社党)の創立に加わり、同党大阪府連合会書記長、同委員長を歴任[2]。 1960年(昭和35年)11月の第29回衆議院議員総選挙に大阪府第4区から民社党公認で出馬したが次点で落選[3]。1963年(昭和38年)11月の第30回総選挙で初当選した[2][4]。第31回総選挙は次点で落選したが[4]、1969年(昭和44年)12月の第32回総選挙で再選され[5]、衆議院議員に通算2期在任した[1][2]。この間、民社党中央執行委員、同青年対策委員長、同国民運動対策委員長、万国博覧会対策特別委員会事務局長、同同和対策特別副委員長、同党府連顧問、民中連常任理事などを務めた[2]。その後、第33回総選挙に立候補したが落選した[5]。 脚注注釈
出典参考文献
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