水口大地
水口 大地(みずぐち だいち、1989年6月28日 - )は、長崎県諫早市出身[1]の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 経歴独立リーグ時代長崎県立大村工業高等学校を卒業後の2008年、四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団。セインツに入ったのは、土田瑞起がトライアウトを受ける際に「一人はいやだ」という理由で一緒に行くことになったのがきっかけだったという[2]。1年目は主に遊撃手として起用され、2009年はコーチの古屋剛に守備についての指導を受けたほか、二遊間を組んでいた二塁手の松井宏次の技術を参考にしていた[3]。2010年限りでチームが経営難で解散[3]、救済ドラフトにおいて香川オリーブガイナーズに指名され移籍した[4]。香川のコーチだった前田忠節は長崎時代から水口を評価し、球団首脳に救済ドラフトでの獲得を要望したと述べている[5]。 2011年は左肘を痛め[3]、療養のために5月15日に選手契約を解除され練習生となり[6]、ホームゲームでマスコットの着ぐるみを着たり、スコアボードを操作するなど裏方の仕事を担った[3]。その後怪我の完治により、7月1日付で再度支配下選手契約された[7]。2012年は1番・二塁手のレギュラーに定着[3]、9月度の成績が打率.455、出塁率.538で同月の月間MVPを受賞し[8]、シーズン通算37盗塁を記録して最多盗塁のタイトルを獲得した[9]。 2012年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに育成1巡目で指名され[10]、支度金300万円、年俸300万円(金額は推定)で仮契約を結んだ[11]。背番号は「123」に決まった[12]。 西武時代2015年7月23日に支配下選手登録され、背番号が「00」へと変更された[15][16]。7月度、二軍戦で9試合に出場し、29打数12安打、打率.414の成績でイースタン・リーグの月間MVPを受賞した[17][18]。 2016年は開幕を一軍で迎え[19]、3月30日の対福岡ソフトバンクホークス戦の9回に代走でプロ初出場した[20]。6月27日の対北海道日本ハムファイターズ戦では9番・二塁手で初先発出場、1回表に初打席に立ち、結果は二塁手へのゴロだった[21]。8月23日の対オリックス・バファローズ戦では、代走で途中出場後そのまま守備につき、7回表に回ってきた打席で初安打(中前安打)を打った[22]。9月1日の対ソフトバンク戦では8回裏、無死二、三塁の場面で二塁内野安打を打ち、プロ初打点を記録した[23]。二軍公式戦には54試合に出場し、外崎修汰と並んでチーム最多の16盗塁を記録した[24]。 2017年は開幕一軍とはならなかった[25]が、4月29日に一軍に昇格する。同日の対千葉ロッテマリーンズ戦では「9番・二塁手」としてシーズン初の先発出場を果たす。しかし、西武の内野陣は浅村栄斗、源田壮亮、中村剛也がおり、なかなか先発出場をする機会がなかった。そのため、5月から外野の守備練習を始め[26]、7月11日にはプロ入り後初めて左翼の守備に就いた。最終的には自己最多の56試合に出場した。 2018年・2019年は合計30試合の出場機会を得るも、2年連続で無安打に終わった。 2020年も7試合の出場にとどまり、9月6日の対日本ハム戦で3シーズンぶりの一軍での安打を記録したものの、11月13日、球団より戦力外通告を受けた[27]。 同年限りで現役引退し[28]、アカデミーコーチに就任する[29]。戦力外通告自体のショックはなく、12球団合同トライアウトの受験も考えたが、アカデミーコーチの話が持ち込まれて「子供たちに“この体でもプロになれるぞ”と教えたくなった」と将来の指導者への道も見据えて受諾したという[30]。その傍ら、2021年9月13日放送のスポーツライブ+での二軍戦、西武対楽天戦にてゲスト解説者として初出演。 選手としての特徴・人物独立リーグ時代で50メートル走のタイムは5秒8[3]。 長崎セインツ時代から香川オリーブガイナーズ入団時には打席を両打ちとしていたが[3][4]、その後左打ちに専念し[3]、香川2年目および西武入団時は左打ちとして登録されている[9][10]。 憧れの選手は、俊足の二塁手という共通点がある片岡易之[3]。非常に小さい体つきだが力強い打撃も持ち味としている。 身長を高校時代は175cm[31]、西武入団時は165cmとサバを読んで登録していたが、3年目開幕前には実際の高さである163cmに修正した[30]。2015年の支配下登録時点では、当時DeNAの内村賢介と並び、NPBの現役選手で最も低身長だった[32]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
表彰
記録
背番号
登場曲
独立リーグでの打撃成績
独立リーグでのタイトル
出演テレビ
脚注
関連項目外部リンク
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