温水三郎
温水 三郎(ぬくみ さぶろう、1905年(明治38年)10月3日[1][2] - 1976年(昭和51年)10月22日[2][3])は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(3期)。位階は正四位、勲等は勲二等。 略歴宮崎県西諸県郡小林村[4](現小林市)で、宮崎県会議長を務めた温水実孝の息子として生まれた[1]。その後、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校を経て1931年(昭和6年)法政大学法科卒業し[2][3][5]、農業に従事した[4]。 1942年(昭和17年)小林町会議員に選出[1][3][4]。1946年(昭和21年)小林町農業会会長に就任[4]。1948年(昭和23年)宮崎県農業会会長となり[4]。1954年(昭和29年)宮崎県農業協同組合中央会会長[4]。1963年(昭和38年)宮崎県の農協中央会、信用農協連、経済農協連、共済農協連の各会長就任[3]。同年、全国運輸農協連会長就任[4]。 1961年(昭和36年)二見甚郷の辞職に伴う、第5回参議院議員通常選挙宮崎県地方区補欠選挙に自由民主党から出馬し、初当選[6][7]。以後、第9回通常選挙まで再選され、参議院議員に連続3期在任した[3][8]。この間、1966年(昭和41年)8月、第1次佐藤第2次改造内閣農林政務次官、同年12月、第1次佐藤第3次改造内閣農林政務次官に就任。その他、自民党政務調査会副会長、同宮崎県支部連合会会長なども務めた[1][3]。 参議院議員在任中の1976年10月22日に宮崎県東諸県郡綾町で事故死[9]。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙される[10]。同年12月、補欠選挙が行われ、無所属の坂元親男が自由民主党の元林野庁長官松形祐堯らを破り当選した[6]。 国政選挙歴
脚注
参考文献
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