湖川友謙
湖川 友謙(こがわ とものり、1950年1月3日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家。旧名は湖川 滋(こがわ しげる)[1]。そのほか、園田美世[1]、花畑まう、小国一和[1]、亥間我子[1]、重塚我子[1]、江塚我子[1]、駅間我子[1]、TOIIIO、枯葉紅葉、音間聞、下井草伊井乃弼、小馳那乃國広道など、多数の別名義を用いている。NEOX顧問[2]。北海道紋別郡遠軽町出身。出生時の名は滋であったが、姓名判断の結果を受け、手続きを経て正式に友謙に改名している。 概要1970年代の『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ、『銀河鉄道999』といった松本零士作品の作画監督を経て、1980年代に、『伝説巨神イデオン』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』といった日本サンライズ制作の富野由悠季監督のテレビアニメのキャラクターデザインを手掛けた。代表作は作画のほとんどを自ら手がけていた[3]アニメ映画『伝説巨神イデオン 発動篇』。 あらゆる画風の作品に対応するフレキシブルさとしっかりとしたデッサンで描かれた骨格の入ったキャラクターが特徴で、あおりと言われる構図を得意とした。 「アニメック」でのインタビューによれば「表情表現が乏しくなる」と眼の大きいキャラクターを批判するものの、少女漫画作品をも得意分野としている。さいとうたかをの絵に衝撃を口にする一方で、師匠と呼べる存在はいないと語る。 1979年に作画スタジオとして有限会社ビーボォー設立。北爪宏幸、大森英敏をはじめとして、坂本英明、平野俊弘、板野一郎、矢木正之、遠藤栄一、垣野内成美、恩田尚之、わたなべぢゅんいち、窪岡俊之、辻清光、寺東克己、所智一、筱雅律、沢田正人、宇佐美皓一、南伸一郎、中村悟、仲盛文、越智博之、山下明彦、斉藤昭子、小曽根正美、山根理宏、さとうけいいち、山形厚史、高岡淳一、吉岡敏幸といったアニメーターが所属した[4][5][6][7][8][9]。数度のメンバーの独立、離脱を経て、1989年にビーボォーは解散した。 ビーボォーの湖川門下生ではないが、湖川から影響を受けたアニメーターには、稲野義信[10]、中沢一登[11]、黄瀬和哉[12]、後藤圭二[13][14]らがいる。さらにアニメーターの長谷川眞也は、2000年頃のリアル志向のアニメの作画は湖川の流れにあるのではないかと見ている[15]。 1985年から1986年にかけて著された作画技術書『アニメーション作画法』『アニメーション作画法・実技編』は、1980年代に多くのアニメーターや漫画家、それらを志す人間に支持された[16]。それらの著書はしばらく絶版状態であったが、2007年に新装改訂版として『アニメーション作画法 デッサン・空間パースの基本と実技』が刊行されている[17]。湖川はアニメ専門学校で講師としても後進の育成に励んでおり、東京アニメーター学院[18]、東映アニメーション研究所[19]で教鞭を振るった。 略歴北海道遠軽高等学校卒業時に、彫塑家を志望して武蔵野美術大学を受けるも合格せず、友人の付き合いで行った東京ムービーのアニメーター採用試験を受けて1970年に東京ムービーへ入社。 テレビアニメ『巨人の星』の動画からキャリアをスタートさせるが、早くから才能を認められ、動画を描き始めてすぐ原画昇格の話が持ちかけられたほど。数ヶ月後には原画に昇格するが、1971年から仲間のアニメーターの誘いでタツノコプロ作品に外注として参加し、東京ムービーを9ヶ月で退社する。その後、AC企画、ベンゲシャンといったスタジオの設立に参加。スタジオメイツ経由で古巣の東京ムービー制作作品にも外注として参加した[1][20]。 1971年から1976年まで、『アニメンタリー 決断』を始めとして、『科学忍者隊ガッチャマン』『破裏拳ポリマー』『宇宙の騎士テッカマン』『ヤッターマン』とタツノコプロの代表作の原画を立て続けに描き、後にそのリアルな作風も相まって湖川はタツノコ系アニメーターと目されるようになる。須田正己、二宮常雄とともにタツノコプロ三羽烏とも呼ばれていた[10]。このことからタツノコ所属のアニメーターだったと誤解されがちだが、タツノコ作品へは外注としての参加でタツノコの社内で仕事をしていたわけではない。これらの仕事もあくまでもフリーのアニメーターとして行ったものである[21]。本人も「アメコミ風」「タツノコ系」と自分の画風を評されるのを否定する発言を、『伝説巨神イデオン』で知名度が増してから幾度となく行なっている[22]。 1977年からはタツノコプロ作品を離れ、タツノコの演出家だった布川ゆうじが手がける和光プロの『激走!ルーベンカイザー』やタツノコのメカデザイナーだった大河原邦男が手がける『合身戦隊メカンダーロボ』、東映動画の『超人戦隊バラタック』といったテレビアニメで作画監督を手がけるようになった。東映動画での仕事は、1978年のアニメ映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、テレビアニメ『銀河鉄道999』のキャラクターデザインと総作画監督の仕事へ繋がった。 同年には日本サンライズの『無敵鋼人ダイターン3』の敵側のキャラクターデザインを担当。東映動画と掛け持ちだったため、ペンネームでの参加だった。日本サンライズでは1980年の『伝説巨神イデオン』から富野由悠季とコンビを組み、1984年の『重戦機エルガイム』まで片腕として活躍した。(『エルガイム』と並行して、『超時空騎団サザンクロス』のキャラクターデザインも同作の監督の長谷川康雄からの依頼で担当している[23]。) その後番組『機動戦士Ζガンダム』は既にスタジオぱっくとして独立した北爪宏幸らに任せて殆ど参加せず(数回のみビーボォーの参加回が存在する)、主宰するビーボォーのメンバーを引き連れて、古巣タツノコプロで『よろしくメカドック』『炎のアルペンローゼ』の作画や東映動画で『オーディーン 光子帆船スターライト』のキャラクターデザイン(男性キャラのみ)・作画監督を引き受ける[4]。 1983年から1984年に徳間書店『ザ・モーションコミック』でマンガを発表。さらに1984年から1985年にかけては原作・監督・脚本・キャラクターデザイン・作画監督を手がけた『GREED』、『COOL COOL BYE』の2本の作品を製作。 1990年代以降は、テレビアニメの絵コンテや作画監督をペンネームで務める。同時期には『宇宙の騎士テッカマンブレード』や『新世紀エヴァンゲリオン』など、一時期離れていたタツノコプロ作品に関わる機会も多くなっていった。2005年にはアニメ映画『あした元気にな〜れ!』のキャラクターデザインと作画監督で久しぶりに気を吐いた。 2007年から2008年にかけてはテレビアニメ『さよなら絶望先生』及び『俗・さよなら絶望先生』の絵コンテ、作画監督を担当。同作で提供したエンドカードでは『イデオン』や『ダンバイン』のキャラもさりげなく描くサービスを見せた[24]。 2009年12月公開の劇場作品『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』の総作画監督・キャラクターデザインを担当した。 2017年2月に劇場公開された『宇宙戦艦ヤマト2202 嚆矢篇』では、ガトランティス側のズォーダーとサーベラー登場シーンで原画を担当している。これは監督の羽原信義が、旧作『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』へのオマージュとして、同作で総作画監督を務めた湖川に声を掛けたものである。その際、湖川の持ち味を生かすように、アオリの構図を特に用意して依頼したという[25]。 近年はアニメ関連のものに限らずイベントやトークショーなど積極的に出演しているほか、東日本大震災支援のためのチャリティイベントを主催している[26]。また、2017年からは、福島県鏡石町で実施されている「かがみいし田んぼアート」のデザインを担当している[注釈 1]。 エピソード
参加作品(NC) … クレジット表記なし テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
webアニメ
ゲーム
挿絵
その他
著書技術書
漫画
画集
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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