眞木蔵人
眞木 蔵人(まき くろうど、1972年10月3日 - )は、日本の男性俳優、ラッパー、プロサーファー。ラッパーとしては「AKTION」(アクション)と名乗っている。 芸能事務所は株式会社SOLOMON I&I PRODUCTION、レコード会社はポニーキャニオン内「UBG RECORDS」にそれぞれ所属する。 人物東京都立川市出身。堀越高等学校中退。牛肉と豚肉を食べないベジタリアンである。 芸能人の二世俳優として人気を得た後は、主に映画を中心に活動し、プロモーションビデオの監督などの活動歴もある。またサーフィンを得意としており、サーフショップを営んでいる。兄弟や仲間達と共にBREDREN DESIGN(ブレジン デザイン)を設立。また、AKTIONという名前でラッパーとしても活動している。 父がレギュラー出演していた『救急戦隊ゴーゴーファイブ』の41話にゲスト出演し、親子共演が実現した。自身も子供の頃にスーパー戦隊シリーズを熱心に視聴しており、また現在では数少ないフィルム(16mm)で撮影しているテレビ作品だということもあって興味があり、父に相談したところ実現したとのことである[1]。共演した西岡竜一朗は、真木について共にいい作品を作ろうと思える兄貴分であったといい、ラストシーンでの敬礼は西岡から真木への敬意も込めていたと述べている[2]。また西岡は、真木親子は互いに尊重しあっており、熱くて真剣な同じ血が流れているのを感じたとも評している[2]。 経歴マイク眞木を父親、前田美波里を母親とする芸能夫婦のもとに生まれた。異母弟の次弟として眞木勇人、三弟として眞木泰人がおり、後に2人はともにプロサーファーとなった。 学生時代はラグビーに熱中していた真木ではあるが、1988年(昭和63年)のNHK大河ドラマ『武田信玄』への出演で俳優デビューした。このドラマで眞木は武田信玄の少年期、及び武田勝頼を演じた。1990年(平成2年)の『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』内のコーナー、「十二単衣に着がえたら」、「タイムパトロール牛若丸子」ではコントにも挑戦していた。 2005年(平成17年)より月刊スキャンダル誌「BUBKA」にてコラム「蔵人独白(くろうどのひとりごと)」を連載。独自の言語感覚、強烈な批判精神と絶妙のユーモアで人気を得る。ライターの吉田豪をして「最強のコラムニスト」と言わしめた。ダイノジの大谷ノブ彦、RHYMESTERの宇多丸など、真木のコラムファンも多い。 2008年(平成20年)7月16日に1stアルバム「WHITEBOOK」、初エッセイ集「BLACKBOOK 蔵人独白」(コアマガジン)、サーフDVD「Claude Clauzo Show?」を同時リリースし、話題を呼んだ。エッセイ集「BLACKBOOK 蔵人独白」の読み方は「くろうどどくはく」であり、連載とは異なっている。また帯文は、タレントや映画監督である北野武の「心地よく耳が痛い」。 私生活中学生の頃に、今所属するSOLOMON I&I PRODUCTION金子達也社長やチーマーと知り合い渋谷原宿六本木などで遊ぶ。 俳優としてデビューの後、妊娠したアメリカ人モデルの恋人に対するDVと認知をめぐる騒動で芸能マスコミを賑わせた。その後は、世間の目を振り払うかの如くハワイ在住だった父親の元へ身を寄せた後、母親が住むマンション「赤坂アーバンライフ」の別階に居住していたこともあった。 2003年(平成15年)、女性モデルの山田明子と再婚し同年に長女が誕生した。2010年(平成22年)2月、真木が21歳のときに認知した男児で当時16歳の高校生、NOAH(ノア)の芸能界デビューが発表された[3]。また父であるマイクによると、蔵人の長女はマイクの長女と同じ幼稚園に通っていたとのことである。2012年(平成24年)、山田がブログにて離婚を発表した。 2016年(平成28年)5月6日、千葉県いすみ市にある眞木の自宅において、交際相手に対し暴行を加えたとして、傷害罪の容疑で逮捕された[4]。その後、16日に処分保留として釈放された[5]。この件に関して、自らMCを務める2016年8月22日放送のBAZOOKA!!!第178回放送分にて、事件の詳細について説明し、公式に謝罪を行った[6]。 受賞
出演作品テレビドラマ
映画
配信ドラマオリジナルビデオ
バラエティ
CM
音楽シングル
アルバム
客演
出典
外部リンク
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