石狩湾新港
石狩湾新港(いしかりわんしんこう)は、北海道小樽市と石狩市にまたがる港湾。港湾管理者(ポート・オーソリティ)は一部事務組合の石狩湾新港管理組合。港湾法上の「重要港湾」、港則法上の「特定港」に指定されている。港は5つの地区(東地区・中央地区・花畔地区・樽川地区・西地区)に分かれており、リサイクル関連、エネルギー供給、コンテナ船航路、各種貨物の物流基地といった役割を担っている国際貿易港。 札幌市の中心部まで約15km、車で約30分の距離に位置している。北海道内の人口が集中している札幌圏に位置していることから、災害時における緊急物資輸送拠点としての役割や太平洋側港湾のリダンダンシー機能の確保が求められており[3]、広域的な防災機能強化に向けて連携を図っている[4]。 エネルギー基地としての機能を強化しており、石狩新港機械金属工業協同組合が設立したIMCソーラーによる太陽光発電所「IMCソーラー発電所」[5][6]、北海道内初となる液化天然ガス (LNG) の火力発電所「北ガス石狩発電所」[7]、「石狩湾新港発電所」が営業運転している[5][8]。また、港湾区域内での洋上風力発電はグリーンパワーインベストメントを代表事業者とするグループが建設を計画し、石狩湾新港洋上風力発電所として2024年1月1日から商業運転が始まった[5]。 背後地域は大規模な工業団地(石狩湾新港地域)があり、700社を超える企業が立地している[9][10]。樽川ふ頭横では、音楽イベント「ライジング・サン・ロックフェスティバル」を開催している。 港湾施設係留施設公共ふ頭
専用ふ頭
水域施設
外郭施設
定期航路コンテナ航路 官公署沿革明治時代にファンゲント、C・S・メーク、岡崎文吉、広井勇らによって港湾建設構想が立てられたが、当時の港湾土木技術では大掛かりな工事となるため、実現困難であった。1936年(昭和11年)に旧北海道庁の技師伊藤長右衛門と中村廉次により、銭函浜に外港を設けて新川河口を掘削して工業地帯を造成する計画案が立てられた。1940年(昭和15年)には政府の調査費もついて「石狩湾修築並びに工業地帯造成計画」が策定されたが、第二次世界大戦の戦局悪化のため実現には至らなかった。戦後、小樽市や北海道が石狩湾に新たな港を建設する計画を持っていたが[11]、より広域的な港湾建設が求められるようになり、潮流や建設条件などの検討を進めた結果、現在地が計画地になった[11][12]。 1970年(昭和45年)の「第3期北海道総合開発計画」において、道央の新たな流通と生産機能を分担する拠点港の建設と背後地域の開発が決定した[13]。1972年(昭和47年)には北海道の長期的かつ飛躍的発展を先導する開発事業として位置づけられ、「石狩湾新港港湾計画」が決定した。当初は北海道が単独で港湾管理者となり管理運営していたが、国直轄事業として本格的に港湾整備が始まると背後地域の開発を推し進めていくため、1978年(昭和53年)北海道・小樽市・石狩町(現在の石狩市)による石狩湾新港管理組合を設立した。 年表
脚注
参考資料
関連項目外部リンク
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