緊急勅令緊急勅令(きんきゅうちょくれい、旧字体:緊急󠄁敕令)とは、大日本帝国憲法第8条第1項により、緊急の必要があるとする場合の規定として帝国議会閉会中に制定される勅令で、制定ののちに次の帝国議会において承諾を要するもの。広義には、大日本帝国憲法第70条に基づく勅令による財政上の緊急処分を含み、この項では広義のものについて記述する。 なお後述のとおり、ひとつの勅令が第8条と第70条の双方に基づいて制定されたものもある[注釈 1]。大日本帝国憲法下において108本の緊急勅令が制定された。このうち第8条のみに基づくものが83本、第70条のみに基づくものが18本、第8条と第70条の双方に基づくものが7本となっている。 根拠法令大日本帝国憲法第8条(現代風表記)
大日本帝国憲法第70条(現代風表記)
緊急勅令の法令番号は、一般の勅令と同じく暦年ごとに制定順の番号を付された。緊急勅令第○号ではないので最終的に個々の勅令ごとに確認しないと緊急勅令かどうかは判別できない。 制定手続審議緊急勅令は、関連省庁の回付、内閣法制局の審査を経て閣議決定の後、枢密院への諮詢[1]、枢密院からの上奏、天皇による裁可と勅令原本への署名、御璽の押捺、各国務大臣の副署がされ、官報で公布された。 1891年(明治24年)の大津事件のときには、明治天皇がロシア皇太子の見舞いで京都に行幸していた最中に、事件報道を差し止める「新聞雑誌又ハ文書図書ニ関スル件」(明治24年勅令第46号、5月16日公布施行)が制定されたが、これは随行していた内務大臣より天皇に上奏し、枢密院へ諮詢すべしとの結果を随行していた侍従長から電報で枢密院議長へ伝達、枢密院の議決(制定を適当とする)の上奏を枢密院議長から電報で行い、裁可の旨の連絡を内務大臣から内閣あてに電報で行い、官報で公布するという手順がとられた。勅令原本への天皇の署名、御璽の押捺、各国務大臣の副署は、天皇が東京へ戻ったのちに行われた[2]。 各大臣の副署勅令への各大臣の副署は、公文式時代は、主任大臣のみ、内閣総理大臣単独、内閣総理大臣と主任の大臣、内閣総理大臣と全大臣の場合があり、公式令以後は、主任大臣のみはなくなった。緊急勅令はすべての場合について内閣総理大臣と全大臣が副署している。 上諭緊急勅令の上諭は、公式令第7条第2項により[注釈 2]、帝国憲法第8条第1項又は第70条第1項により発する勅令の上諭にはその旨を記載することになっており、さらに枢密院の諮詢が必要であり、枢密顧問官の諮詢を経たる勅令にはその旨を記載することになっていた。 従って通常は
となる。なお勅令によっては緊急の必要を認めた経緯についてふれる場合がある。例えば、戦時船舶管理令(大正6年勅令第171号)の場合は、
となっている。 公布と施行緊急勅令は、その性格上官報号外により制定日[注釈 3]に公布され、公布の日から施行されるものが多いが、通常号によるものも多い[注釈 4]。 後から緊急勅令扱いになったもの
閣議による草案閣議に提出されたのち法制局が必要なしとした例
枢密院の審議に付されることなく廃案となった例
国立公文書館保存文書にある緊急勅令草案国立公文書館保存文書として公開されているなかで、緊急勅令の草案で、制定にいたらなかったもので、上記のもの以外にもいくつか確認できる。どの段階の文書であるか判然としないものもあるが、国立公文書館保存文書として各省庁から移管されたものであるからある程度の組織としての意思決定がされたものと考えられる。 通商摩擦対抗のための関税に関する緊急勅令具体的には、複関税制度に関する緊急勅令案として次の二つの案がある。これらについては作成時期の記載はないが他の史料との並びから1932年4月から5月のものと思われる。
枢密院に諮詢したが撤回した例
枢密院諮詢を省略した特例関東大震災の際に制定された緊急勅令のうち9月2日に制定されたもの[注釈 8]は、枢密院の会議を行うことができず、諮詢がないまま制定された。 諮詢に対する枢密院の決議枢密院が否決した例
枢密院の諮詢がされ、適当とされたが制定にいたらなかった例
帝国議会での承諾開会時点で既に廃止されていた場合及び適用対象の終了の場合緊急勅令の帝国議会による承認は、将来に向かってその効力を存在させるものに限るため、すでに次の帝国議会開会時点で廃止されたもの、及びその緊急勅令を廃止する緊急勅令については帝国議会の承諾を求めないのが先例であり、既存の法律を廃止する緊急勅令も同様であるとされている[29]。また、適用対象の終了の場合も同様である。 この例として、1923年(大正12年)、政府は第47帝国議会において、関東大震災関連の緊急勅令15本のうち12本について承諾を求めたが、
の3本については、承諾不要として承諾を求めなかった。 「一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スルノ件」(大正12年勅令第398号)は、帝国議会開会前に廃止されており、その廃止のための「大正十二年勅令第三百九十八号(一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スルノ件)廃止ノ件(大正12年勅令第478号)」とともに承諾を求めないとした。 また、支払猶予の勅令第404号についてはすでに適用対象が終了していて[注釈 13]、効力を継続する必要もないとして承諾を求めないとした[注釈 14]。 既存の法律・緊急勅令を緊急勅令で廃止する場合しかしながら一方で、既存の法律を廃止する緊急勅令については帝国議会の同意を求めるべきであるという決議が、第26回帝国議会衆議院において満場一致で決議された[31]。これらの批判を受けて、既存の法律又は緊急勅令の廃止は、適用する必要がなくなったものを廃止する場合は、承諾が不要であるが現に効力のある場合の廃止は、効力の一時停止であり、帝国議会の承諾がない場合は効力を復活するとの検討が政府内でされている[32][注釈 15]。
緊急の必要性に関する議論緊急勅令は、帝国議会の協賛を必要とる事項について「緊急の必要がある」場合に限り、勅令で規定することを認めるものであるので、緊急の必要については制定時点でも帝国議会での承諾についても議論の論点になった。前述の枢密院での否決案件、特に「朝鮮総督府通信官署ニ於ケル現金ノ出納ニ関スル件」は緊急性が乏しいことが大きな理由になっている。 このほかに緊急性が特に論議されたものは次のようなものがある。
先議院緊急勅令の承諾案件を貴族院、衆議院のいずれに提出するかついては、予算に関連するものは衆議院先議とすべきだが、他については提案の都合でどちらでもいいとしている[46]。 承諾の状況個々の状況は緊急勅令一覧を参照。 承諾の状況は、
上記のなかには、新聞雑誌又ハ文書図書ニ関スル件(明治24年勅令第46号)について第2回帝国議会で審議未了となった分は含んでおらず、再提出された第3回帝国議会分のみ含んでいる。 不承諾の理由緊急勅令108本のうち承諾案件とされたものは95本であり、うち不承諾(すべて衆議院)が9本である。この数字だけみて議会が緊急勅令をどのように扱ったかを論じるのは、大日本帝国憲法のもと緊急勅令が制定されたのは、60年近い期間にわたっており、その間、政府と議会との関係もさまざま変化しており、当然ながら各勅令毎の内容に対する賛否が検討されていることから意味のないことである。以下は承諾されなかった理由等について議会会議録において確認できることを個別に記することにする。
審議未了の場合承諾の議案につき不承諾の議決があった場合には、憲法第8条第2項に規定する「議会ニ於テ承諾セサルトキ」に該当することは明らかであり、緊急勅令は将来に向かって効力を失うが、承諾議案が審議未了であった場合が、「議会ニ於テ承諾セサルトキ」に該当するかしないかの扱いについては、新聞雑誌又ハ文書図書ニ関スル件(明治24年勅令第46号)と衆議院議員選挙運動者ニ対スル罰則ノ件(明治31年勅令第21号)以降とで扱いを異にしている。 新聞雑誌又ハ文書図書ニ関スル件(明治24年勅令第46号)については、第2回帝国議会へ承諾の議案が提出され(このときは衆議院先議)たが、衆議院解散で、衆議院で審議未了となった。これについては、政府は失効するとはせず、第3回帝国議会に改めて承諾の議案を提出し[注釈 21]衆議院で承諾されずに失効した。 一方、衆議院議員選挙運動者ニ対スル罰則ノ件(明治31年勅令第21号)は、承諾案件が貴族院で承諾されたが、衆議院で審議未了となり失効が公布された。 これについては、後の帝国議会で議員から質問[62]があったが答弁では、「失効しないとした先例があるが新しい先例として審議未了の場合に失効した例をあげ、現政府もこの方針であると」して先例変更の理由については特に答弁していない。 失効失効の期日帝国議会が承諾しなかった、または審議未了となった場合に緊急勅令がいつ効力を失うかについては、将来に向かって効力を失うとする勅令の公布の日とする扱いである。 これは審議未了により承諾がされなかった独逸国等ニ属スル財産管理ノ件(大正8年勅令第304号)の失効を公布する大正9年勅令第47号が3月25日に公布された同じ日に、同一の内容の独逸国等ニ属スル財産管理ノ件(大正9年勅令第48号)が3月25日に公布され、かつ、施行日を「大正八年勅令第三百四号失効の日」としていることからも、失効日が大正9 年3月25日、後継の勅令が大正9 年3月25日に施行され、その間に切れ目がないようにしていると解されることからも裏づけられる。 公布の形式憲法第8条2項は、「議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ」としている。この公布をどのような形式で行うかは憲法には明文の規定はないが、新聞雑誌又ハ文書図書ニ関スル件(明治24年勅令第46号)の失効を勅令で公布したのが例となり、公式令第7条第3項で明文化された。 審議未了による失効と同時に同一内容の緊急勅令が制定される場合審議未了で失効とされた5本の緊急勅令のうち穀類収用令(大正7年勅令第324号)は特にあらたな制定はなかったが、他の4本はいずれも失効の日に同一内容の緊急勅令が制定されている。 1 議員選挙ニ就キ人ヲ殺傷スヘキ物件携帯禁止ノ件(明治31年勅令第21号)
2 独逸国等ニ属スル財産管理ノ件(大正8年勅令第304号)
3 大豆、生牛肉、鳥卵、綿、繊糸及綿織物ノ輸入税ノ低減又ハ免除ノ件(大正8年勅令第478号)
4. 金貨兌換禁止ニ関スル件(昭和6年勅令第291号)
不承諾による失効の場合承諾しない議決の場合、直後に同一内容の緊急勅令が制定されたことはない。 日清戦争から日露戦争までの時期に、朝鮮(韓国)[注釈 26]への渡航制限の緊急勅令は4回発令された。このうち、後の2本[64]は次期会期前に、廃止されたため承諾の対象とはなっていない。最初の2本についてはいずれも衆議院が不承諾の議決をして失効している。 この2回のあとまた同一内容の緊急勅令が制定されたが、最初の朝鮮国ニ渡航禁止ニ関スル件(明治27年勅令第135号)の失効は、明治27年10月24日で、次の緊急勅令の朝鮮国ニ渡航禁止ニ関スル件(明治28年勅令第144号)は明治28年10月14日と1年後である。政府の説明は、「失効後更に已むを得ざる事変」として新たな事態に対処するためとしている[65]更に、朝鮮国ニ渡航禁止ニ関スル件(明治28年勅令第144号)も明治29年4月13日に失効するがその次の朝鮮国ニ渡航禁止ニ関スル件(明治29年勅令第204号)は、明治29年5月11日とかなり近接して再度の制定がされている。なお朝鮮国ニ渡航禁止ニ関スル件(明治29年勅令第204号)は、7ヵ月後の明治29年12月21日[注釈 27]に明治二十九年勅令第二百四号(朝鮮国へ渡航禁止ノ件)廃止ノ件(明治29年勅令第398号)で廃止されたため、これについて承諾を求めることはなかったので議会での議論もなかった。 現在の緊急勅令緊急勅令は、「法律にかわるべき」ものであり法律としての効力を有し、帝国議会の承諾によりその効力は永続的なものになる。そのため日本国憲法施行後においても効力を失うことはない[66]。従って現在効力については、その後に別の法律(又は緊急勅令もしくはポツダム命令)により廃止され、あるいは実効性喪失と認められるか個別に検討する必要がある。 緊急勅令は108本あるが現在の効力についてまとめると次のようである。
上記以外の次の13本についてもほとんどが実効性喪失[注釈 29]と認められる。ただし実効性喪失は、法的な根拠によるものでないため見解の相違が発生する。公的な法令データベースとして、日本法令索引(国立国会図書館)と総務省のe-Gov法令検索[注釈 30]があるが見解に相違がある場合がある。
この2本は、韓国併合に伴うものであり、現在では適用対象がないとして日本法令索引では、実効性喪失、e-Gov法令検索でも未収録としている。あるいは対日平和条約の発効で失効という見方もできるかもしれない。
この勅令は、米及びもみについて別途の勅令で軽減又は免除できるとするもので、大正7年勅令第374号(米及籾ノ輸入税免除ノ件)で大正8年10月31日まで免除とされ、更に、 大正8年10月13日勅令第443号(大正七年勅令第三百七十四号(米及籾ノ輸入税免除ノ件)中改正ノ件)で適用期限が大正9年10月31日まで延長された。その後は米穀法(大正10年4月4日法律第36号)第2条[注釈 31]で「増減若ハ免除」が可能となったためこの規定に基づき米の関税率の調整が行われ、また関税定率法第6条<昭和29年改正の後は第12条>によっても軽減又は免除が可能[注釈 32]で、実際にも発動されていたので、この勅令が適用されることはなくなった。このため、日本法令索引では、実効性喪失、e-Gov法令検索でも未収録としている。しかし現在発動されていないとはいえいつでも政令により免除する根拠とはなりえるものであり、関税定率法第12条と重複するが、勅令には発動の要件がなくより広い場合に適用が可能である。また勅令が発動状態であった時期に、同じように勅令で関税の軽減免除を可能とする「大豆、生牛肉、鳥卵、綿織糸及綿織物の輸入税の低減又は免除に関する件(大正9年勅令第52号)」は、大蔵省関係法令の整理に関する法律(昭和29年5月22日法律第121号)で廃止されているのに、米及籾ノ輸入税ノ低減又ハ免除ノ件(大正7年勅令第373号)は廃止対象とされていないのはあえて残す意図があった可能性もあり、実効性喪失とするには疑問がないわけではない。
この7本は、第一次世界大戦の終了にともなうベルサイユ条約によるドイツの賠償に関するものである。日本法令索引では、実効性喪失、e-Gov法令検索でも未収録としておりすでに実効性喪失であることは明らかであろう。
関東大震災時における支払い猶予(モラトリアム)のためのもの。延期された期間がすでに終了しており、政府は、効力の消滅していて、効力を継続する必要がないとして議会の承諾を求めなかった。(前述の承諾を求めない場合を参照)。日本法令索引では、実効性喪失、e-Gov法令検索でも未収録としておりすでに実効性喪失であることは明らかであろう。もっとも政府は失効の公布をしていないが、承諾がされない以上、公布後の次の帝国議会の終了(1923年(大正12年)12月23日)時点で失効したという見方もできる。
関東大震災で株主名簿が喪失した場合の措置を定めたもの。現在でも適用されている可能性があり、日本法令索引では、現行法令としてあつかっている。e-Gov法令検索では、未収録。日本法令検索の見解に従えば、唯一の現在効力のある緊急勅令ということになる。
昭和恐慌における支払い猶予(モラトリアム)のためのもの。猶予期間中に、議会が召集されたため承諾手続きがされた。延期された期間がすでに終了しており、日本法令索引では、実効性喪失、e-Gov法令検索でも未収録としておりすでに実効性喪失であることは明らかであろう。 緊急勅令一覧
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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