茶話『茶話』(ちゃばなし[1])は、薄田泣菫による日本の随筆集。明治期の詩人で、大正期以降は今日で言うコラムニストとして活動した薄田が、1915年(大正4年)から1930年(昭和5年)にかけて、『大阪毎日新聞』などの新聞や雑誌に連載した、総数811篇からなる短文の総称で、作者の代表作である。新聞コラムの嚆矢と見なされている。 概要1915年(大正4年)、大阪毎日新聞の記者として活動していた薄田は、同年2月27日の朝刊にフランク・ハリスを俎上に載せた雑談風の短文を載せた。この記事は茶飲み話のような気軽な話という意味で「茶話」と題され、以後同タイトルで4回にわたって朝刊に執筆した。 この短文は評判を呼び、薄田は翌年4月12日から夕刊を中心に連載を再開。古今東西の有名人の逸話・ゴシップなどを取り上げながら時に簡潔な寸評をも交えたこの随筆は、途中幾度かの休止を挟みながら、大正8年まで連載を続けた。その後発表の場を「東京日日新聞」、「サンデー毎日」などに移しながら1930年(昭和5年)1月、総数811回を数えて終了した。 「茶話」は連載中の1916年(大正5年)にはじめて単行本化され、以後戦後に至るまで十数種の単行本が出版された(刊行書誌は後述)。文中の人名が版を重ねるうちに伏せられるようになるなど、版による異同が増えている。1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)にかけ、書誌学者の谷沢永一・浦西和彦により、新聞のマイクロフィルムなどをもとに初出時の文章で新たに編纂され、冨山房百科文庫から全3巻の完本として出版され、版を重ねた。 記事名一覧発表年毎に配列、タイトル表記は現代かなづかい。括弧内は発表月日。 1915年1915年(大正4年)は、いずれも大阪毎日新聞朝刊に掲載。
1916年1916年(大正5年)は、すべて大阪毎日新聞に連載。朝刊、夕刊の区別を付記。
1917年1917年(大正6年)は、すべて大阪毎日新聞に連載。
1918年1918年(大正7年)は、すべて大阪毎日新聞に連載。
1919年1919年(大正8年)は、すべて大阪毎日新聞に連載。
1922年1922年(大正11年)の「茶話」はすべて雑誌「サンデー毎日」に不定期連載された。雑誌掲載ということもあり、それまでよりも1篇あたりの字数が増え、しばしば同じ号に2篇掲載されている。
1925年1925年(大正14年)の「茶話」は、4月15日から7月2日まで東京日日新聞の夕刊に連載され、7月26日は「サンデー毎日」に、6月1日および11月1日には「文藝春秋」にそれぞれ読み切りで掲載された。字数は以前の少ないものに戻っている。
1926年1926年(大正15年)は、9月1日に雑誌「苦楽」に、10月1日に『文藝春秋』に掲載された。
1927年1927年(昭和2年)の茶話は1篇のみ。『中央公論』に掲載された。
1928年1928年(昭和3年)は5月に『女性』、8月に『サンデー毎日』、11月に『キング』と、のべ3つの雑誌に掲載された。
1930年1930年(昭和5年)はすべて『サンデー毎日』に連載。1月26日をもって『茶話』の連載は終了した。
初出不詳発表年代が特定できない34篇を列記。配列は冨山房版に拠る。
刊行書誌
脚注
外部リンク
|