K-1選手としては、2003年5月3日に行なわれた「K-1 WORLD GP 2003 in LAS VEGAS」の武蔵戦をもって、2度目の現役引退。
2004年7月7日、「K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメント」で決勝戦で魔裟斗 vs. ブアカーオ・ポー.プラムックにて、3Rに魔裟斗がフラフラの状態で戦っているほど不利な試合展開だったにもかかわらず、ジャッジである中川敬介と大成敦の2人が3R終了時点でドローの採点をしたことでK-1に批判が殺到したため、角田は「試合後の競技役員による検証を待つまでも無く、この判定がミスジャッジングである事は明らかで、本戦終了時点でブアカーオ選手が試合を支配し、勝者となるべきであって、延長戦は行う必要のないものであったと認識しております。」と語り、大会終了後の7月9日に2名のジャッジと共に競技統括プロデューサーとして責任を負う形で処分を受けた(魔裟斗は延長ラウンドで0-3の判定負け)[5]。
2005年3月19日に行なわれた「K-1 WORLD GP 2005 in SEOUL」で2回目の現役復帰。曙と対戦し、2度のダウンを奪われ判定負け。
2005年5月27日、K-1 WORLD GP 2005 in PARISにてマーベリックと対戦し、右フックで1RKO勝ち。
1995年3月3日、K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦でのアンディ・フグ vs. マイク・ベルナルド戦において、ベルナルドの猛攻でアンディがふらついていたが、レフェリーストップせずに試合を続行。後に角田がメディアに出演した際に、この試合のレフェリングについて「あの試合は僕の私情が入ってしまってるからミスレフェリング。正確にレフェリングするなら2度目のダウンの時点でカウントアウトするべきだった」と語っている。
2002年12月7日、K-1 WORLD GP 2002決勝戦におけるアーネスト・ホースト vs. ジェロム・レ・バンナ戦において、ホーストのミドルキックを受けバンナがダウンしたが試合を続行。テレビ解説を務めていた石井和義も中継内と大会後の会見で「即ストップすべきだった」と意見を述べた。この試合でバンナはホーストの蹴りを受けて左腕を粉砕骨折していた。2008年になって角田が自身の公式ウェブサイトにてこの件を振り返り見解を発表。「たしかに最初のダウンの時点でドクターチェックを受けさせるべきだったのかもしれない」と語り、その上で「瞼がザックリと切れて鮮血が噴き出したり、ニコラス・ペタス対グール戦のペタスみたいに、蹴った脚の脛がポッキリと真っ二つに折れてるようなケースなら試合は即ストップだが、それ以外は攻めている方のアドバンテージだから、そこで止めるのはアンフェアだ」と述べた。このようなケースでは、選手本人が口頭でギブアップを要求を出来たり、バンナ陣営がタオルを投入して試合を止められる権利がある。その上でバンナとバンナ陣営がタオルを投げずに試合を続けているため、レフェリーに全責任があるわけではない。バンナ本人はこの件で角田に対して何かを語ったことは無く、その後も「あなたとの再会を心から願っている」というメールを送ったり、角田を『SENSEI』と呼び、関係は良好である[20]。
2003年6月14日、K-1 WORLD GP 2003 in PARISでのヨーロッパGP準決勝でのシリル・アビディ vs. ハリッド"ディ・ファウスト"戦は2ノックダウン制で行なわれた試合だったが、2ラウンドにアビディが二度のダウンを奪った後も角田はカウントを続けて試合を再開しようとした。トーナメントルールでは同ラウンド中に二度のダウンの時点で即試合終了となる。
2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAのK-1ヘビー級タイトルマッチ挑戦者決定戦、藤本祐介 vs. 武蔵戦において、3Rが終了しドロー延長という判定がなされた。その際、インターバル中にリングに上がり、「両選手、これはヘビー級挑戦者決定戦の大事な試合です。それなのに手数は少ない、組み付きが多い! このような展開が続くなら両者失格にします!」と発言をした。
2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINALの試合後記者会見で「K-1ルールブックによると、必ず優勢の選手に10ポイントをつけるということが記されているが、魔裟斗 vs. 佐藤嘉洋戦のジャッジで9-8がついている。これはどういう判断か」という質問に対して、角田は「その表記に関しては、指摘があって変更するというのも恐縮ですが、必ず優勢の選手10にするということは、すぐに訂正したいと思います」という“試合後のルール変更の適用”を明言した。この変更について角田は「優勢の選手が常に10というのは、相手にどれだけダメージを与えたのかがわかりづらい」と付け加えた[21]。さらに、この試合から1年後の2009年10月9日に角田が自身のブログにて、この試合で本来は10-9と付けてあったジャッジペーパーを角田が独断で9-8に改竄していたことが明かした。批判が殺到したためその記事は現在では削除されているが、同記事内にて角田は「あれだけきれいなダウンを奪っていながら10対8ではなく10対9がついたら 倒れた魔娑斗が挽回したという客観的判断が出来ない人たち(観客・ファンその他含め)は『何でダウン奪ってるのに10対9なんだよ』と絶対そうなる!これは混乱する!!それこそ魔娑斗を勝たそうとしてるのか!!となってしまう」と考えたと語り、それゆえにジャッジの表現を(1ポイント差なのは変わらないため)10対9から9対8にして分かりやすく修正したと語っている。
2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINALでの武田幸三 vs. アルバート・クラウス戦は武田の現役引退試合でもあった。試合では1ラウンド2分25秒のクラウスのローキックで武田がダウンし、テレビ解説の魔裟斗も「完全にダウンだ」と指摘したが、角田はスリップと判定。その後、武田は1ラウンド終了直前と2ラウンド開始早々にダウンを奪われる。そして2ラウンド1分過ぎにクラウスのパンチで武田は再びダウン。武田は立ち上がってファイティングポーズをとったものの、一瞬白目を剥いたように見え、足元がふらついている状態であったが、角田は試合を続行させた。武田の異常を察知したクラウスは、1ラウンド終了時のインターバル中にセコンドに対して「これ以上、武田の顔面を殴ったら武田が死んでしまうから殴れない」と語っている[22]。さらに、武田が倒れるシーンも見られたがダウンを宣告せず武田に立ち上がるように促がした。テレビ解説の魔裟斗と谷川貞治は何度も「今のはダウンだ!」「もう危険だからレフェリーストップすべき!」と解説した。その後、角田が武田のドクターチェックを要求し、ドクターストップで試合は終了した。2009年kamipro Moveのコラムでは「格闘技は命を落としかねない危険なものだから安全面には細心の注意を払わなければならないし、武田はまともに戦えていなかった。なのに、角田レフェリーがダウンをあえて見逃していたとしたら、これは格闘技への、というよりも人の命への冒涜だ。もし単に“ダウンには見えなかった”というのであれば、それも重大なミスだ。どちらにしても、角田のレフェリングを認めるわけにはいかないし、クラウスvs武田戦を美談などにしてはいけない」と評されている[23]。また、かつてK-1のレフェリーを務めていた猪狩元秀はゴング格闘技2010年1月号のインタビューにて、「1Rに武田がローキックで倒れてなかなか立ち上がれない場面は、競技規則第10条第2項の『ダメージが無くても、選手が倒れて速やかに立ち上がれない場合はダウン』とあるのだからダウンを取るべき。(武田が白目を剥いた場面について)ここでストップすべき。7条2項に『一方の選手が著しく劣勢で、危険な場合はレフェリーストップ』とあり、武田は完全にダメージがあったからレフェリーストップしなければならないのは間違いない。レフェリーは選手に目線を合わせて目を見れば分かるから明らかに角田のレフェリングミス。競技規則に則って判断し、絶対に感情移入してはならない」と語っている。一方で、武田のセコンドの深津はこの件について、白目やローキックでのダウンを否定している。また、深津は武田のオフィシャルブログにて、「角田レフリーは、リング上で厳しく判断して下さいました。」と語り、「武田に対する声への反応、体に対する指示の反応速度、朦朧とする意識の中での戦う意志と動き、相手を見る目、セコンドとのコミュニケーション能力などをギリギリの線で続行させてくれた。」「角田レフリーはインターバル中に、『スリップでの立ち上がりが、今以上に遅い場合は次からはどんな状態でもダウンを取ります。』とセコンドに伝えました。」「白目を剝いた様にも見えた一瞬がありましたが(武田は)元々左目の筋肉は上手く動かせません。パンチを貰って麻痺したように視界を失った眼球のコントロールは出来ません。」「セコンド失格だと言われる事も分かった上で、これ以上危険ならタオルを投げる。と判断して、タオル投入を先延ばしにしました。すると角田レフリーがドクターチェックを受けさせ試合が終わりました。」「私達は、セコンドとして、元競技者として武田幸三の試合での角田レフリーの判断は非常に正しく厳しい判断だったと思います。」「もしローキックでダウンしたのであればあの日の武田のようにスッと立ち上がる事は出来ません。角田レフェリーは本当に細かく厳しく見て裁いて下さいました。それは武田幸三が最後だから。などと言うことで、判断基準を甘くしたり、試合の盛り上がりを意識するような事は一切無く【格闘家】として戦い抜けるのか。それをご自身の長く厳しいリングでの経験を踏まえレフリーとしての経験を踏まえ判断して下さったと思います。」「そして、眼の反応の悪さを察し、ドクターに判断を委ねその指示に従った裁定を下さして下さいました。」「角田レフリーには、心より御礼申し上げます。私たちのセコンドより近くで表情や呼吸を感じながら武田を最後まで格闘家として安全な範疇でに戦わせて下さいまして本当に有難う御座いました。」と語っている[24]。セコンドや武田本人は角田のレフェリングを支持しているが、この試合は選手・セコンド・レフェリー側と試合を見る側の安全性の認識の違いが出ていたため、批判が起こった。
同大会の長島☆自演乙☆雄一郎 vs. シュー・イェン戦では最初のダウン直後のイェンの猛攻をくらって長島がダウンする場面が2度あり、実況アナウンサーとテレビ解説の魔裟斗も「ダウンだ」とコメントしたが、レフェリーの角田はダウンをとらなかった。