近藤浩治
近藤 浩治(こんどう こうじ、1961年〈昭和36年〉8月13日 - )は、ゲームミュージックの作曲家。任天堂で企画制作本部上席統括を担当[1]。マリオシリーズやゼルダの伝説シリーズの楽曲で知られる[2]。 来歴愛知県名古屋市出身[3]。5歳ぐらいから高校1年ぐらいまで、名古屋の音楽教室でエレクトーンを習い、ラテン音楽や普通のポップスやジャズなどポピュラー音楽全般の曲を練習していた[3]。一方、中学時代にはディープ・パープルなどのハードロックのコピーバンドを、高校時代にはフュージョンのコピーバンドをやっていた[3]。 進学した大阪芸術大学芸術学部芸術計画学科では、芸術全般について勉強する中で音の勉強にも取り組む[4][3]。大学の研究室には当時高価だったパーソナルコンピュータが1台あり、これを操作して音の出方をいろいろ試し、効果音作りへの興味を深めた[3]。その後、就職活動の際に、近藤は友達から任天堂のサウンド担当者募集の求人を勧められる[3]。当時はゲームサウンドの職業を募集するのは珍しく、任天堂としてもサウンド担当者の募集は初めてだった[3]。当時の近藤はシンセサイザーで曲作りを行う一方で喫茶店のテーブルゲームでマリオのゲームを遊んでいたことから、こういう仕事ができればと考え、任天堂1社のみを受けた[3]。 1984年に任天堂に入社[5]。作曲家デビュー作は『デビルワールド』[6][注 1]。この『デビルワールド』でディレクターを務めていた宮本茂から曲作りの姿勢を評価され、後に同じく宮本が手掛ける『スーパーマリオブラザーズ』で近藤が指名される[6]。 『スーパーマリオサンシャイン』を最後にメインコンポーザーとしての第一線から退き、その後は主にサウンドスタッフの統括など指導的な立場となっている。しかし、本人は2007年のインタビューで「出来ればまたゲーム全体の音楽の作曲をしたい」という趣旨の発言をしている[7]。 2023年、『スーパーマリオブラザーズ』のテーマ曲として用いられている「地上BGM」(Super Mario Bros. theme)が日本人が作曲した曲として初めて、またビデオゲームのサウンドとしても初めてアメリカ議会図書館の全米録音資料登録簿に登録された。近藤は「多くの名曲と一緒にマリオの曲が保存されるのは、とても光栄なことです。ちょっと信じられない気持ちでいます」とコメントしている[8][9]。 人物『スーパーマリオブラザーズ』で最初に作曲したのは「イメージするのが最も簡単だった」という水中の曲で、逆に地上の曲は何度も書き直したという[7]。メインテーマとして「のほほんとした草原を思わせるイメージ」の曲も作っていたが、それを完成したゲームに載せてみるとまったく合わずボツになっている[10]。 後輩の音楽スタッフがスーパーマリオシリーズの楽曲を制作する際、「マリオはかわいい」というイメージを持たれることがあるという。しかし、近藤はそうしたイメージは違うと考えており、後輩スタッフに対して「マリオはかっこいい存在だ」「かっこいい音楽を作ってください」と伝えている[3]。 音楽的に大きな影響を受けたのはジャズサクソフォーン奏者の渡辺貞夫。『スーパーマリオブラザーズ』の地上BGMも渡辺の影響を受けて作ったという[11]。1991年に発売されたすぎやまこういちプロデュースの音楽CD『スーパーマリオワールド』では、渡辺貞夫がスーパーマリオシリーズの楽曲を演奏し、本人との対面も果たしている[3]。 作品太字表記の作品は、メインで担当したタイトル。
受賞
関連書籍
脚注注釈出典
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