野洲郡(やすぐん)は、滋賀県(近江国)にあった郡。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 野洲市の全域
- 守山市の大部分(浮気町・勝部町・勝部・梅田町・今宿町・今宿・焔魔堂町・阿村町・伊勢町・二町町・古高町・大門町・横江町・千代町を除く)
- 近江八幡市の一部(江頭町・十王町・小田町・野村町・佐波江町・丸の内町)
2010年(平成22年)の国勢調査に基づく当該区域の面積は138.45k㎡、人口は108,586人。3
歴史
近世以降の沿革
幕末の知行
知行
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村数
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村名
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幕府領
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幕府領
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27村
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杉江新田、山賀新田、赤野井村、赤野井新田、岡村、上永原村、○江頭村[2]、野村、○十王町村、野村新田、末吉新田、井狩新田、野田新田、須原村、須原新田、吉川村、吉川新田、菖蒲新田、喜合新田、小浜新田、今浜村、今浜新田、○木浜村、木浜新田、水保新田、幸津川新田、川崎新田
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旗本領
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24村
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森川原村、大林村、金森村、山賀村、○中村、○笠原村、立入村、○中畑村、○野洲村、山脇村、紺屋町村、○桜生村、入町村、長島村、乙窪村、●木部村、比江村、●五条村、堤村、西河原村、小浜村、服部村、○開発村[3]、立花村
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幕府領・旗本領
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3村
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○冨波沢村、○比留田村、○吉地村
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藩領
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山城淀藩
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8村
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三宅村、十二里村、今市村、北桜村、行合村、久野部村、六条村、井ノ口村
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近江西大路藩
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2村
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妙光寺村、大篠原村
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近江大溝藩
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2村
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小島村、矢島村
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武蔵川越藩
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2村
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○小堤村、五之里村
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丹後宮津藩
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2村
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○守山村、○吉身村
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河内狭山藩
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2村
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欲賀村、辻町村
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近江三上藩
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1村
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○三上村
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近江宮川藩
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1村
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○小南村
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近江山上藩
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1村
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○幸津川村
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上野前橋藩
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1村
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杉江村
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和泉伯太藩
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1村
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○虫生村
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幕府領・藩領
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幕府領・淀藩
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2村
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播磨田村、荒見村
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幕府領・西大路藩
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1村
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○高木村
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幕府領・山上藩
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2村
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野田村、○水保村[4]
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幕府領・旗本領・淀藩
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2村
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小比江村、安治村
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幕府領・旗本領・宮川藩
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2村
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○中北村[4]、○小田村[4]
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旗本領・陸奥仙台藩[5]
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2村
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小篠原村、市三宅村
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旗本領・淀藩・大溝藩
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1村
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川田村
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旗本領・大溝藩
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1村
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新庄村
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旗本領・川越藩
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1村
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○八夫村[4]
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旗本領・川越藩・山上藩・伯太藩
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1村
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○戸田村[4]
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旗本領・三上藩
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1村
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○北村[4]
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旗本領・前橋藩
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1村
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石田村
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その他
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幕府領・施薬院領・中島武四郎給地[6]
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1村
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●○永原村
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幕府領・旗本領・山上藩・施薬院領
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1村
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冨波新町村[7]
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旗本領・川越藩・広幡家領
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1村
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南桜村
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- 慶応4年
- 明治3年
- 明治4年
- 明治初年 - 今浜新田が今浜村に合併。(96村)
- 明治5年(93村)
- 1月19日(1872年2月27日) - 大津県が改称して滋賀県となる。
- 立花村・戸田村が合併して立田村となる。
- 冨波沢村・冨波新田村が合併して冨波村となる。
- 木浜新田が木浜村に合併。
- 明治7年(1874年)(79村)
- 上永原村・紺屋町村が合併して上屋村となる。
- 杉江新田が杉江村に、山賀新田が山賀村に、野田新田が野田村に、須原新田が須原村に、吉川新田・菖蒲新田・喜合新田が吉川村に、小浜新田が小浜村に、水保新田が水保村に、幸津川新田が幸津川村に、山脇村・桜生村が小篠原村にそれぞれ合併。
- 同年から明治12年の間に末吉新田が野村に合併。
- 明治8年(1875年)(77村)
- 吉川村の一部が分立して菖蒲村となる。
- 野村新田・井狩新田が合併して佐波江村となる。
- 赤野井新田が赤野井村に、川崎新田が洲本村にそれぞれ合併。
- 開発村が改称して洲本村となる。
- 明治11年(1878年) - 吉川村の一部が分立して喜合新田となる。(78村)
- 明治12年(1879年)(77村)
- 5月16日 - 郡区町村編制法の滋賀県での施行により、行政区画としての野洲郡が発足。「栗太野洲郡役所」が栗太郡草津村に設置され、同郡とともに管轄。
- 中畑村・行合村が合併して行畑村となる。
- 明治16年(1883年) - 乙窪村・小比江村の各一部が分立して北比江村となる。(78村)
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(13村)
- 守山村 ← 守山村、吉身村、岡村、立入村(現・守山市)
- 小津村 ← 金森村、三宅村、大林村、欲賀村、森川原村、山賀村、杉江村(現・守山市)
- 玉津村 ← 赤野井村、石田村、十二里村、矢島村(現・守山市)
- 河西村 ← 播磨田村、小島村、川田村[川田・喜多・田中]、中村、笠原村、今市村、荒見村(現・守山市)
- 野洲村 ← 野洲村、市三宅村、行畑村、小篠原村、久野部村、川田村[竹生](現・野洲市)
- 速野村 ← 水保村、今浜村、木浜村、洲本村(現・守山市)
- 中洲村 ← 新庄村、服部村、立田村、幸津川村、小浜村(現・守山市)、吉川村、菖蒲村、喜合新田(現・野洲市)
- 兵主村 ← 五条村、野田村、六条村、安治村、須原村、堤村、井口村(現・野洲市)
- 中里村 ← 西河原村、比江村、小比江村、北比江村、乙窪村、吉地村、比留田村、木部村、八夫村、虫生村(現・野洲市)
- 北里村 ← 江頭村、十王町村、小田村、野村、佐波江村(現・近江八幡市)
- 篠原村 ← 大篠原村、小堤村、入町村、長島村、高木村、小南村(現・野洲市)
- 義王村 ← 永原村、中北村、上屋村、辻町村、冨波村、五之里村、北村(現・野洲市)
- 三上村 ← 三上村、妙光寺村、南桜村、北桜村(現・野洲市)
- 明治27年(1894年)8月22日 - 義王村が改称して祇王村となる。
- 明治31年(1898年)4月1日 - 郡制を施行。郡役所を野洲村に設置。
- 明治37年(1904年)2月11日 - 守山村が町制施行して守山町となる[10]。(1町12村)
- 明治44年(1911年)10月17日 - 野洲村が町制施行して野洲町となる。(2町11村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和16年(1941年)7月10日 - 守山町が栗太郡物部村と合併し、改めて守山町が発足。(2町11村)
- 昭和17年(1942年)5月20日 - 野洲町・三上村が合併し、改めて野洲町が発足。(2町10村)
- 昭和30年(1955年)
- 1月15日 - 守山町・小津村・玉津村・河西村・速野村が合併し、改めて守山町が発足。(2町6村)
- 3月3日 - 北里村が近江八幡市に編入。(2町5村)
- 4月1日(3町1村)
- 兵主村・中里村が合併して中主町が発足。
- 篠原村・祇王村・野洲町が合併し、改めて野洲町が発足。
- 昭和32年(1957年)3月1日 - 中洲村が分割され、一部(吉川・菖蒲・喜合)が中主町に、残部(新庄・服部・立田・幸津川・小浜)が守山町にそれぞれ編入。(3町)
- 昭和45年(1970年)7月1日 - 守山町が市制施行して守山市となり、郡より離脱。(2町)
- 平成16年(2004年)10月1日 - 中主町・野洲町が合併して野洲市が発足。同日野洲郡消滅。
変遷表
自治体の変遷
明治22年4月1日
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明治22年 - 大正15年
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昭和1年 - 昭和29年
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昭和30年 - 昭和64年
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平成1年 - 現在
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現在
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守山村
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明治37年2月11日 町制施行 守山町
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昭和16年7月10日 守山町
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昭和30年1月15日 守山町
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昭和45年7月1日 守山市
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守山市
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守山市
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栗太郡 物部村
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栗太郡 物部村
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小津村
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小津村
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小津村
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玉津村
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玉津村
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玉津村
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河西村
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河西村
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河西村
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速野村
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速野村
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速野村
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中洲村
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中洲村
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中洲村
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昭和32年3月1日 守山町に編入
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昭和32年3月1日 中主町に編入
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中主町
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平成16年10月1日 野洲市
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野洲市
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兵主村
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兵主村
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兵主村
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昭和30年4月1日 中主町
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中里村
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中里村
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中里村
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野洲村
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明治44年10月17日 町制施行 野洲町
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昭和17年5月20日 野洲町
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昭和30年4月1日 野洲町
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三上村
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三上村
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義王村
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明治27年8月22日 改称 祇王村
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祇王村
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篠原村
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篠原村
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篠原村
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北里村
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北里村
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北里村
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昭和30年3月3日 近江八幡市に編入
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近江八幡市
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近江八幡市
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行政
- 栗太・野洲郡長
- 野洲郡長
脚注
- ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
- ^ 江頭村・江頭新田に分かれて記載。
- ^ ○開発西村・○開発東中村に分かれて記載。
- ^ a b c d e f 寺社除地は後に大津県が管轄。
- ^ 「旧高旧領取調帳」の記載は大津県。本項では「角川日本地名大辞典」の記述による。
- ^ 豊臣秀吉の上臈使だった中島の後家領。
- ^ 記載は新町村。
- ^ 狭山藩は明治2年12月26日(1870年1月27日)に廃藩。
- ^ 大溝藩は明治4年6月3日(1871年4月16日)に廃藩。
- ^ 滋賀縣告示第十八號
参考文献
関連項目