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金子善次郎

金子 善次郎
かねこ ぜんじろう
厚生労働大臣政務官就任に際し公表された肖像写真
生年月日 (1943-09-24) 1943年9月24日(81歳)
出生地 山形県川西町
出身校 一橋大学法学部
前職 自治省職員
所属政党新進党→)
民主党→)
保守新党→)
自由民主党二階G二階派[1]
称号 旭日重光章
法学士
公式サイト 快適日本 善ちゃんの人情派宣言 金子ぜんじろう

選挙区 比例北関東ブロック埼玉1区
当選回数 2回
在任期間 2000年6月 - 2003年10月
2005年9月 - 2009年7月
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金子 善次郎(かねこ ぜんじろう、1943年昭和18年)9月24日 - )は、日本の自治官僚政治家自治省大臣官房審議官を最後に退官後、衆議院議員となり国土交通大臣政務官厚生労働大臣政務官を歴任。旭日重光章受章。

来歴

山形県川西町出身。山形県立米沢興譲館高等学校を経て、1966年一橋大学法学部を卒業(田上穣治ゼミナール)後、自治省(現・総務省)に入省[2]

1968年から外務省に出向し、北米第一課での勤務を経て、在シカゴ日本国総領事館領事を務め、1974年に自治省へ復帰。1976年から静岡県に出向し、静岡県商工企画課長や静岡県工業課長を務め、1982年からは埼玉県に出向し、同年に埼玉県労働部次長、1984年に埼玉県生活福祉部長、1986年には埼玉県企画財政部長へ就任した。1988年に自治省へ再び復帰し、財務調査官(政令指定都市担当)に就任。1989年に財団法人自治体国際化協会事務局長・財団法人国際化推進自治体協議会事務局長、1990年に自治省公務員課長、1991年消防庁総務課長、1992年に消防庁審議官1993年4月に公営企業金融公庫総務部長、同年9月に自治省大臣官房審議官へ就任し、その後退官。

地方公務員共済組合連合会理事を経て、1996年10月の第41回衆議院議員総選挙新進党公認で埼玉5区から出馬するが落選。2000年6月の第42回衆議院議員総選挙において、民主党公認で比例北関東ブロックから出馬し初当選。民主党時代は民社協会に所属[3]

2002年12月、熊谷弘らと共に民主党を離党して保守新党に参加。これに対し、民主党は金子を除籍処分とした[4]

2003年10月の第43回衆議院議員総選挙では保守新党公認で松永光元蔵相の後継者として埼玉1区より出馬するも、民主党の武正公一に大差で敗れ、落選した。同年11月、保守新党の解党により自民党に入党。2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では、自民党大勝の波にも後押しされ武正を追い詰めるも、僅差で敗北。しかし、比例北関東ブロックで復活し、国政に復帰した。同年、自民党国会対策副委員長(経済産業担当)、同党経済産業部会専任部会長に就任。

2007年8月、第1次安倍改造内閣発足に伴う新人事で国土交通大臣政務官災害対策関係施策及び社会資本整備関係施策等担当)に就任。2008年8月、福田康夫改造内閣において厚生労働大臣政務官雇用医療制度の担当)に就任。同年9月に麻生内閣で厚生労働大臣政務官に再任。2009年5月には厚生労働省新型インフルエンザ対策推進本部本部長代理に就任し、2009年新型インフルエンザ問題に対応した[5]。同年8月の第45回衆議院議員総選挙には公明党の推薦を受けて出馬した[6]が比例復活もならず落選した。

2013年第23回参議院議員通常選挙比例区に自民党公認で出馬したが落選する[7]。同年、旭日重光章受章。2014年一般社団法人日本・アジア発展フォーラムを設立し、同代表理事に就任。2015年一般社団法人マイナンバー情報管理士協会理事長[8]。2016年株式会社日中医療福祉支援機構取締役。2017年株式会社ZEN代表取締役社長[9]

人物

所属していた団体・議員連盟

脚注

関連項目

外部リンク

公職
先代
松浪健太
伊藤渉
日本の旗 厚生労働大臣政務官
戸井田徹と共同

2008年 - 2009年
次代
山井和則
足立信也
先代
梶山弘志
吉田六左ェ門
藤野公孝
日本の旗 国土交通大臣政務官
谷公一
山本順三と共同

2007年 - 2008年
次代
谷口和史
西銘恒三郎
岡田直樹
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