菅原一秀
菅原 一秀(すがわら いっしゅう、1962年〈昭和37年〉1月7日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(6期)、経済産業大臣(第24代)、財務副大臣(第3次安倍内閣)、経済産業副大臣(第2次安倍内閣)、厚生労働大臣政務官(第1次安倍内閣)、自由民主党東京都支部連合会会長代行、自由民主党財務金融部会長、東京都議会議員(1期)、練馬区議会議員(2期)等を務めた[1]。2021年に公職選挙法違反容疑を受けて衆議院議員を辞職し[2]、同年、同法違反により公民権停止3年等の有罪判決が確定した[3]。 来歴東京都練馬区豊玉に生まれる(現住所は練馬区豊玉南3丁目[4])。父親は秋田県羽後町の出身者で、都内で建設会社を設立した[5][6]。練馬区立豊玉南小学校、練馬区立豊玉中学校、早稲田実業学校高等部を経て[7]、早稲田大学社会科学部に推薦入学。卒業後は同政治経済学部政治学科に学士入学。地方自治を研究する寄本勝美ゼミと雄弁会に所属[8]。早大卒業後、日商岩井に入社[7]。 1991年、練馬区議会議員選挙に立候補し、初当選。1995年に再選されるが、1997年に辞職。同年の東京都議会議員選挙に立候補し、当選[注釈 1]。 衆院選へ立候補2000年、都議を辞職し、第42回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で東京9区から立候補。民主党前職の吉田公一に敗れ、比例復活も叶わず落選。 2003年、第43回衆議院議員総選挙に再び東京9区から自民党公認で立候補し、前回敗れた吉田を下して当選した。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、東京9区で民主党新人の川島智太郎を破り、再選。当選後、自由民主党副幹事長に就任。第1次安倍内閣では厚生労働大臣政務官に任命された[7]。 2008年自由民主党総裁選挙では、同じ東京都選出で都連会長の石原伸晃の推薦人に名を連ねる[9]。2009年の第45回衆議院議員総選挙では東京9区で民主党新人の木内孝胤に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、3選。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では、東京9区で日本未来の党から立候補した木内らを破り、4選。選挙後に発足した第2次安倍内閣で経済産業副大臣に就任。2013年10月、経済産業副大臣を退任し、党の財務金融部会長に就任。 2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙で5選。同年12月25日、臨時閣議が開かれ、第3次安倍内閣の副大臣・政務官人事が諮られるが、選挙前に不祥事が相次いで報じられた御法川信英は財務副大臣再任を固辞[10][11]。後任として同副大臣(主税、関税、国際局、政策金融を担当[12])に任命された[13]。 2017年の第48回衆議院議員総選挙で6選。 経済産業大臣就任、選挙区民の買収2019年9月11日、第25回参議院議員通常選挙後に発足した第4次安倍第2次改造内閣で経済産業大臣、ロシア経済分野協力担当大臣に就任[14]。同年10月10日、「週刊文春」10月17日号が発売。菅原が地元の有権者にメロンやカニなどを贈ったことや秘書に対する暴力、パワハラなどが報じられた[15]。10月25日、不祥事の影響で経済産業大臣を辞任(後述)。 →詳細は「§ 選挙区民の買収と接待」を参照
2020年6月25日、東京地検特捜部は菅原を不起訴処分とした[16]。同年11月6日、衆議院厚生労働委員会の筆頭理事に就任[17][18]。 2021年2月24日付で、東京第4検察審査会は菅原の公職選挙法違反容疑を「起訴相当」と議決した[19]。 2021年4月23日、東京地検が菅原を任意で事情聴取し、立件の可否を検討していることが明らかとなった[20]。 同年6月1日、菅原は自民党に離党届を提出し、衆議院議長大島理森宛てに議員辞職願を提出した。記者会見は開かず、「本来であれば直接おわびとご説明をしたいところですが、当局からの処分がなされておらず、さらにコロナ禍であることから、現時点では控えさせていただきます」とのコメントを発表した[21][22]。 国会議員の期末手当は6月1日が基準日のため、菅原には満額の314万2,802円が支給される。6月2日、立憲民主党国対委員長の安住淳は「6月に入ってからの辞職であれば、半年分のボーナス支給を丸々受けられる。納得できない国民がたくさんいると思う」と述べ、自民党国対委員長の森山裕と会談。辞職前に疑惑について説明するべきだとして、菅原の政治倫理審査会への出席を求めた[23]。菅原は同日夜、Facebookを更新し、期末手当を全額返上する意向を表明した[24]。同日、自民党は離党届を受理[25]。同月3日の衆議院本会議で議員辞職が許可された[2]。残余任期が半年を切っているため、公職選挙法の規定により、菅原の辞職に伴う補欠選挙は実施されない。同月8日、東京地検特捜部は、菅原を公職選挙法違反(寄付の禁止)で略式起訴した[26]。同月21日、東京簡易裁判所から「罰金40万円・公民権停止3年」の命令を受けた(同月16日付。略式手続の場合は2週間以内に正式裁判の申し立てができるが、申し立てがなく確定した)。公職選挙法違反の場合は原則5年の公民権停止が適用されるが、菅原が衆議院議員を辞職したことを考慮し、簡裁側が情状を酌量したものとみられる[27][28]。これにより第49回衆議院議員総選挙への立候補資格を失った。同月30日、自身のFacebookを更新し、期末手当全額(税引き後)の211万5986円を東日本大震災義援金に寄付したことを明らかにした[29]。 2024年3月14日発売の「週刊文春」3月21日号は後述の不祥事に関して菅原が有権者だけでなく森喜朗にもメロンを贈っており、森も「俺のところにも随分持ってきた」と発言した音声が残っていると報じた[30]。 2024年衆議院議員選挙同年7月3日、菅原の公民権停止が解除された[31][32]。同年9月9日、高市早苗が自民党総裁選挙へ立候補する意向を表明[33]。推薦人が定まってなかった頃から菅原は何度も電話をかけ、「みんな高市さんを応援している」と伝えた[34][35]。総裁選は同月27日に実施され、高市は決選投票で石破茂に敗れた。 同年10月8日、産経新聞は、菅原が第50回衆議院議員総選挙に向けて新しい東京9区から出馬する意向を固めたと報じた[36]。10月9日、自民党の森山裕幹事長は同日付で菅原の復党を了承したと明らかにした[37]。同日、自民党は衆院選の第1次公認候補として計279人の擁立を発表。非公認は6人追加され、その中に東京9区から出馬予定の今村洋史も含まれた[38][39][40]。森山は報道陣から菅原か今村のいずれかを当選後に追加公認するかどうかを問われ「現実的にはそうなるのではないか」と説明した[41]。同日、日本共産党練馬地区委員会は、立憲民主党現職の山岸一生を自主的に支援することを決定した[42]。10月10日、今村は都内の事務所で記者会見し、無所属で出馬する意向を表明した[41]。それから2日後の12日、今村は立候補を断念する意向を固め、保守候補は菅原に一本化された[43]。 同年10月15日、総選挙が公示され、東京9区からは無所属の菅原、立憲民主党の山岸、日本維新の会新人の元宝塚市議会議員の大河内茂太、みんなでつくる党党首の大津綾香の4人が立候補した[44]。10月17日に日本経済新聞が序盤情勢を発表。「菅原と山岸が激しく競る。菅原は自民支持層の6割を取り込み、公明への浸透をめざす」と報じた[45]。同日、高市は石神井公園駅前で行われた街頭演説に駆け付け、総裁選のエピソードについて触れ、「私を助けていただいた方。本当にお世話になった。必ず戻ってきてください」と述べた[34][35]。10月18日、自民党は菅原を推薦すると発表した[46]。10月19日、公明党は菅原の推薦を決定した[47]。10月20日、菅原はX(旧ツイッター)を更新し、「東京9区を立憲共産党から奪還すべく死力を尽くす」と述べた[48]。 同年10月27日、総選挙執行。自民公明両党の推薦を受けたものの、山岸に1万600票余りの差を付けられ落選した[49][44]。 人物統一教会との関係
その他
不祥事甲子園に4回出場と詐称2004年1月、選挙広報において「早稲田実業高校卒。硬式野球部で甲子園に4回出場」と記載していたが、実際はバッティングピッチャーでベンチ入りは1回もなく、補欠としてアルプススタンドで3回応援していたことが判明した[69][70][71]。菅原は「選挙公報の単純なチェックミス」と釈明した[69]。 秘書給与ピンハネ疑惑2007年10月25日発売の「週刊新潮」11月7日号は、菅原の秘書給与ピンハネ疑惑を報じた。2006年11月に月給25万円で採用された私設秘書Aは2007年1月、菅原から「公設第一秘書が辞めたので、あとをやらないか」と持ち掛けられた。Aの給料は公設第一秘書になって40万円に跳ね上がったが、菅原はAに、私設秘書のときの給料との差額15万円を党支部へのカンパとして事務所に払い込むよう言った。Aは実質的に強制と認識していたが、菅原は「カンパは本人の意思で、こちらから強制したということは断じてありません」と弁解した[72]。 暴力団関連企業からの献金2009年に暴力団関係企業である後藤解体工業から150万円の献金を受けていた[62]。後藤解体工業は役員に暴力団幹部が就任しているために東京都の暴力団排除条例に該当し、指名停止処分を受けていた。 秘書の酒気帯び運転2011年10月2日、菅原の私設秘書の男性が酒気帯び運転で停車中のタクシーに追突し、タクシーの男性運転手に軽傷を負わせる事故を起こした。菅原は事務所を通じ、「大変お騒がせして申し訳ありません。以後、徹底して指導にあたります」とコメントした[73]。 国会での野次2016年2月29日、衆議院予算委員会で民進党の山尾志桜里議員が「保育園に落ちた日本死ね」と書かれたブログについて質問中、「匿名だよ、匿名」と野次を飛ばした[74]。その後ネット上では「言い訳にしか聞こえない」「論点すり替えてばっかり」などの批判が相次ぎ、国会前では「保育園落ちたの私だ」と書かれたプラカードを持った人々によるデモが行われ、2万7000筆以上を集めたネット署名が塩崎恭久厚生労働大臣に手渡された[75]。 女性蔑視発言2016年3月31日発売の「週刊文春」4月7日号が、菅原の女性蔑視発言と国会に対する虚偽の請暇願いを報じた。菅原は独身時代の2012年の年末頃から27歳の女性と交際。当該女性に対し「女は25歳以下がいい。25歳以上は女じゃない」「子どもを産んだら女じゃない」などと暴言、さらにはモラル・ハラスメントを繰り返していたとされる[74][76][77]。 交際女性とのハワイ旅行と虚偽の請暇願い2016年3月31日発売の「週刊文春」4月7日号は、上記蔑視発言とともに、菅原が国会開会中だった2013年4月27日から5月1日にかけて、交際女性を同伴してハワイ旅行に出かけていたことも報じた。菅原は衆議院議員運営委員会に「政治経済事情視察」として請暇願いを出していたが、旅行期間中はゴルフ三昧だった。女性には「嘘を申請したから大丈夫」と説明していた[77]。 菅原はFacebookに反論記事を公開し、「本人が公衆の前に出てくれば冷静に判明できます」「出てきて下さい。そのA子さん」と呼びかける記事を公開したがのちに削除した。菅原は「誤って消してしまいました」と説明している[77]。 蓮舫に対するデマ2016年6月17日、都知事選を巡る自民党の会合が開かれ、出席した菅原は、立候補が取りざたされていた民進党の蓮舫代表代行について、「五輪に反対で、『日本人に帰化をしたことが悔しくて悲しくて泣いた』と自らのブログに書いている。そのような方を選ぶ都民はいない」と発言した[78]。しかしその発言の事実はなくネットのデマであることがわかり、「蓮舫氏のブログではなく、ネットで流れていた情報だった」と訂正した[74][79]。 他党議員の政治活動用ポスターを破棄公設第二秘書(当時)に命じ、立憲民主党代表の枝野幸男の政治活動用ポスターを夜陰に乗じて破らせた。菅原は「夜、あのポスターを破ってこい。車には菅原一秀と赤文字で書かれてあるが、それは何かで隠せ。車は遠くに止めて、歩いて行け。代わりに俺のポスターを貼ってこい」等と細かく指示。秘書が行ったふりをすると、「まだ枝野のポスターがあるじゃないか」と叱責した。秘書は朝日新聞出版の取材に「枝野さんには本当に申し訳ないです。菅原氏には法を守るという意識はありません」と証言している[80]。 ジャーナリストへの取材妨害→「鈴木エイト § 取材に対する妨害、裁判など」も参照
ジャーナリストの鈴木エイトは、旧統一教会との関係を端緒に、菅原のカレンダー配布・有権者買収といった公選法違反、虚偽通報・虚偽刑事告訴など様々な疑惑を追及、報道してきたが、菅原側からたびたび取材妨害を受けた[54][81][82]。鈴木の菅原への取材は、2017年11月、統一教会系団体「勝共UNITE」による『改憲2020実現大会』に菅原が出席したとされることから始まり、さらに2017年衆院選の際に統一教会信者が菅原陣営の運動員として入り込んでいたという情報もあり、取材を継続した[50][54]。鈴木は、菅原の取材妨害について、「カルト団体と同様の策動と攻撃性」と指摘している[83]。
選挙区民の買収と接待2006 - 2007年、選挙区内の有権者に「カニ、メロン、みかん、筋子、たらこ、イクラ」などを配り[94][95]、2018 - 2019年、選挙区内の有権者33団体と26人に、「祝儀」や「香典」などの名目で現金約53万円、生花約27万円の合計約80万円を提供した[96]。2019年9月の経済産業大臣就任直後の10月、これらの公職選挙法違反(有権者買収)疑惑を報じられた[15][97][94]。10月25日に、国会で説明することなく経済産業大臣を辞任(事実上の更迭)[54][53][98]。2020年6月、東京地検特捜部が不起訴処分とするが、2021年2月に検察審査会が「起訴相当」と議決[99][100]。同年6月2日、自民党を離党し、3日に議員辞職[101][102]。同月8日、略式起訴され、21日、東京簡易裁判所は、公民権停止3年と罰金40万円の略式命令を出した[99][100]。通常は、公民権が5年間停止されるが、簡裁は議員辞職したことなどを考慮して、期間を3年に短縮した[99][100]。
宣伝看板とポスターと幟を駅前に放置前述の鈴木エイトは2024年10月15日、X(旧ツイッター)に「石神井公園駅前、菅原一秀候補が宣伝看板とポスターと幟を放置。本人やスタッフの姿も見当たらない。このまま放置しておくのだろう。とりあえず駅前交番には報せておいたが…」と投稿した[129]。 翌日、鈴木は「昨夜の幟や看板等の放置について今朝、石神井公園駅前で菅原一秀候補に訊くと『選挙妨害!』と主張。『選挙妨害の証拠』とスタッフに私を撮影するよう指示。日テレの取材には喜んで応じ、都合の悪い質問をする私には選挙妨害を主張」と投稿した[130]。 政策・主張憲法
外交・安全保障
ジェンダー
その他
所属団体・議員連盟(議員連盟は議員辞職により全て退会)
選挙歴
関連文献
脚注注釈出典
外部リンク
|