鹿島郡(かしまぐん)は、茨城県(常陸国)にあった郡。
大化5年(649年)に鹿島神宮の神郡として、下総国海上国造の部内軽野以南の一里と、那賀国造の部内寒目以北の五里を別けて建郡され[1]、平成の大合併まで存続した。
古代
下総国海上国造の後裔を称する他田日奉神護が正倉院文書に遺した「他田日奉部直神護解[2]」には、神護の祖父忍が孝徳期に海上郡少領であったことが書かれており、香島評の立評に同意したことが窺える[3]。大化から天武天皇期にかけて順次設置されたとされる八神郡のひとつであり、鹿島神宮の所在地として重んじられ、養老7年(723年)11月16日には郡司に近親者の連任が許されている[4]。一般に郡を治める郡司に近親者を続けて任命することは禁止されていたが、香島郡(鹿島郡)では神社を代々まつってきた鹿島氏が重視されたものである。
8世紀以降の郡衙(郡家)跡は、鹿島神宮の南約1.5kmに位置する神野向遺跡(かのむかいいせき、鹿嶋市宮中、北緯35度57分19.29秒 東経140度38分1.67秒 / 北緯35.9553583度 東経140.6337972度 / 35.9553583; 140.6337972 (鹿島郡家跡(神野向遺跡)))で発見されている。この場所は『常陸国風土記』において「其の社の南」に郡家があるという記載とも一致する。遺構は8世紀前半から10世紀初め頃までの郡庁内郭・厨家相当施設・正倉院等で構成され、特に正殿周囲に回廊を有する点が注目される。現在、遺跡は国の史跡「鹿島神宮境内」のうちに附(つけたり)として指定されている[5][6][7]。
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
近世以降
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地[8]が存在。幕府領は小川達太郎支配所・安藤伝蔵支配所・大竹左馬太郎支配所・林金五郎支配所が管轄。(127村)
知行
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村数
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村名
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幕府領
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幕府領(小川)
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9村
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荒地村、田谷沼新田、爪木村、深芝村、柳川新田、須田新田、知手村、竪内新田、奥野谷村
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幕府領(安藤)
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8村
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鹿田村、田崎村、造谷村、●○上釜村、沢尻村、○下太田村、○網掛村、上太田村
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幕府領(安藤・大竹)
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1村
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●宮ヶ崎村
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幕府領(小川)・旗本領
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4村
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徳宿村、二重作村、山野上村、沼尾村
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幕府領(林)・旗本領
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1村
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須賀村
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旗本領
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77村
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安房村、玉田村、鳥栖村、秋山村、子生村、勝下新田村、大戸村、駒木根村、飯名村、鉾田村、烟田村、柏熊新田、滝浜村、柏熊村、勝下村、塔ヶ崎村、籾山村、当間村、下富田村、上富田村、大和田村、江川村、中居村、上幡木村、志崎村、武井釜村、大小志崎村、飯島村、上沢村、汲上村、台濁沢村、梶山村、阿玉村、札村、大蔵村、浜津賀村、荒井村、角折村、明石村、田谷村、猿田村、田野辺村、林村、奈良毛村、中村、棚木村、塙村、春秋村、小見村、立原村、武井村、大船津村、下塙村、谷原村、佐田村、鉢形村、粟生村、木滝村、長栖村、平泉村、下幡木村、筒井村、賀村、息栖村、高浜村、石神村、田畑村、木崎村、下津村、小宮作村、矢田部村、東下村、太田新田、日川村、萩原村、芝崎村、溝口村
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藩領
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常陸水戸藩
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6村
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海老沢村、駒場村、○小堤村、○紅葉村、○磯浜村、大貫村
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陸奥守山藩
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7村
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●○成田村、●○神宿村、城之内村、●○神山村、○大竹村、荒野村、○神向寺村
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幕府領・藩領
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旗本領・守山藩
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12村
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白塚村、菅野谷村、青山村、安塚村、青塚村、小山村、清水村、津賀村、平井村、国末村、泉川村、居切村
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その他
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寺社領
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2村
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宮中村、根三田村
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町村制以降の沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の町村が発足[9]。(2町20村)
- 夏海村 ← 成田村(現・鉾田市、東茨城郡大洗町)、上釜村、沢尻村、荒地村(現・鉾田市)、神山村(現・東茨城郡大洗町)
- 大谷村 ← 上太田村、下太田村、造谷村、鹿田村、玉田村、田崎村、子生村(現・鉾田市)
- 沼前村 ← 海老沢村、宮ヶ崎村、城之内村、網掛村、小堤村、駒場村、神宿村(現・東茨城郡茨城町)
- 巴村 ← 上富田村、紅葉村、菅野谷村、大和田村、下富田村、鳥栖村、当間村(現・鉾田市)
- 徳宿村 ← 徳宿村、飯名村、大戸村、駒木根村、秋山村、舟木村(現・鉾田市)
- 諏訪村 ← 籾山村、滝浜村、勝下村、勝下新田村、柏熊新田、安房村、柏熊村(現・鉾田市)
- 鉾田町 ← 鉾田村、塔ヶ崎村(現・鉾田市)
- 新宮村 ← 烟田村、安塚村、白塚村、大竹村(現・鉾田市)
- 上島村 ← 梶山村、汲上村、二重作村、青山村、台濁沢村(現・鉾田市)
- 白鳥村 ← 札村、江川村、中居村、飯島村、上幡木村、上沢村、大蔵村、阿玉村(現・鉾田市)
- 大同村 ← 津賀村、志崎村、大小志崎村、武井村、武井釜村、浜津賀村、和村、棚木村、荒井村、青塚村、角折村(現・鹿嶋市)
- 中野村 ← 中村、荒野村、奈良毛村、林村、小山村(現・鹿嶋市)
- 波野村 ← 神向寺村、清水村、明石村、小宮作村、下津村(現・鹿嶋市)
- 豊郷村 ← 須賀村、田谷村、猿田村、田谷沼新田、田野辺村、沼尾村、山野上村(現・鹿嶋市)
- 豊津村 ← 大船津村、爪木村(現・鹿嶋市)
- 鹿島町 ← 宮中村、根三田村(現・鹿嶋市)
- 高松村 ← 木滝村、佐田村、下塙村、谷原村、長栖村、国末村、粟生村、鉢形村、平井村、泉川村(現・鹿嶋市)
- 中島村 ← 平泉村、息栖村、居切村、深芝村、下幡木村、筒井村、賀村(現・神栖市)
- 軽野村 ← 知手村、木崎村、高浜村、石神村、田畑村、溝口村、芝崎村、萩原村、奥野谷村、日川村(現・神栖市)
- 若松村 ← 柳川新田、須田新田、太田新田(現・神栖市)
- 矢田部村、東下村(それぞれ単独村制。現・神栖市)
- 1896年(明治29年)7月1日 - 郡制を施行。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 1925年(大正14年)1月1日 - 中島村が改称して息栖村となる。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 1928年(昭和3年)1月1日 - 東下村が町制施行・改称して波崎町となる。(3町19村)
- 1954年(昭和29年)9月15日 - 鹿島町・高松村・豊津村・豊郷村・波野村が合併して、改めて鹿島町が発足。(3町15村)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)2月15日 - 若松村が分割し、一部(太田新田の一部)が神栖村に、残部(柳川新田・須田新田および太田新田の残部)が波崎町に編入。(3町4村)
- 1970年(昭和45年)1月1日 - 神栖村が町制施行して神栖町となる。(4町3村)
- 1995年(平成7年)9月1日 - 鹿島町が大野村を編入のうえ改称、即日市制施行して鹿嶋市となり、郡より離脱。(3町2村)
- 2005年(平成17年)
- 8月1日 - 神栖町が波崎町を編入のうえ即日市制施行して神栖市となり、郡より離脱。(1町2村)
- 10月11日 - 鉾田町・旭村・大洋村が合併して鉾田市が発足。同日鹿島郡消滅。
変遷表
自治体の変遷
明治22年4月1日
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明治22年 - 昭和29年
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昭和30年
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昭和31年 - 昭和63年
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平成1年 - 現在
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現在
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鉾田町
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鉾田町
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昭和30年3月15日 鉾田町
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鉾田町
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平成17年10月11日 鉾田市
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鉾田市
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巴村
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巴村
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徳宿村
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徳宿村
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新宮村
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新宮村
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行方郡 秋津村
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行方郡 秋津村
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大谷村
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大谷村
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昭和30年3月3日 旭村
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旭村
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夏海村
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夏海村
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諏訪村
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諏訪村
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白鳥村
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白鳥村
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昭和30年3月3日 大洋村
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大洋村
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上島村
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上島村
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鹿島町
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鹿島町
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鹿島町
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鹿島町
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平成7年9月1日 改称市制 鹿嶋市
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鹿嶋市
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高松村
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昭和29年9月15日 鹿島町に編入
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豊津村
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豊郷村
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波野村
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大同村
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大同村
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昭和30年3月3日 大野村
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大野村
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平成7年9月1日 鹿島町に編入
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中野村
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中野村
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中島村
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大正14年1月1日 改称 息栖村
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昭和30年3月1日 神栖村
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神栖村
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昭和45年1月1日 町制
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平成17年8月1日 市制
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神栖市
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軽野村
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軽野村
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若松村
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若松村
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若松村
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昭和31年2月15日 神栖村に編入
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昭和31年2月15日 波崎町に編入
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波崎町
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平成17年8月1日 神栖町に編入
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東下村
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昭和3年1月1日 町制施行 波崎町
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波崎町
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波崎町
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矢田部村
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矢田部村
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昭和30年2月15日 波崎町に編入
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沼前村
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沼前村
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昭和30年2月15日 東茨城郡茨城町の一部
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東茨城郡 茨城町
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東茨城郡 茨城町
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東茨城郡 茨城町
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脚注
参考文献
関連文献