1936年ソビエト連邦憲法
1936年ソビエト連邦憲法は、1936年に制定されたソビエト連邦憲法。1924年に制定された初代憲法を置き換えたものであり、スターリン憲法などとも呼ばれている[1]。 概要1936年憲法は1936年12月5日にソビエト連邦政府によって制定された。1936年憲法は、従来の1924年憲法で保障されていた権利に追加して、制限選挙の撤廃、普通直接選挙の採用、労働権などを追加した。 直接選挙は全ての政府機関に適用された。また労働権の他には、休息、余暇、医療保障、高齢者と病人の看護、居住、教育、文化的援助などを含む、集団的な社会的および経済的な権利が明記された。 この憲法はヨシフ・スターリンを議長とする31名の特別委員によって執筆された。参加者にはアンドレイ・ヴィシンスキー、アンドレイ・ジダーノフ、マクシム・リトヴィノフ、クリメント・ヴォロシーロフ、ヴャチェスラフ・モロトフ、ラーザリ・カガノーヴィチ、ニコライ・ブハーリン、カール・ラデックなどがいた[2]。 ソビエト連邦の4憲法のうち、1936年憲法が最も長く続き、1944年に改定され、1977年憲法で置き換えられた。 体制変更1936年憲法は、従来のソビエト大会(ロシア語: Съезд Советов СССР)と中央執行委員会(ロシア語: Центральный исполнительный комитет СССР)を、最高会議と最高会議幹部会に置き換えた。最高会議は連邦会議(連邦院)と民族会議(民族院)の二院制であった。 共産党の指導的役割当憲法で、共産党の役割が初めて明確に定義された。第126条でソビエト連邦共産党は以下のように規定された。 この条項は、ソビエト連邦の組織における全ての他政党禁止(一党制)の正当化に使用された。 信教の自由憲法第124条は信教の自由を保障したが、その導入は党内で多数の反対にあった。124条の追加によって、ロシア正教会の教徒は閉鎖された教会の再開や、特定職種への就業制限の撤廃を嘆願した。また1937年の選挙では宗教系の候補者を出す試みが行われた[3]。 軍と各共和国の再編成1936年憲法の1944年改定で、連邦内の各社会主義共和国に赤軍の支部がそれぞれ設立された。それらは外交や国防のための共和国レベルの兵站部でもあり、国際法上はデ・ジュリ(法令上)の独立国家として認識される余地を残した。この影響でウクライナ・ソビエト社会主義共和国と白ロシア・ソビエト社会主義共和国は、1945年に国際連合総会に創立メンバーとして参加し、ソビエト連邦とは別の1票を得た[4][5][6]。 脚注
関連項目外部リンク
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