ゲガール・ムサシ
ゲガール・ムサシ(Gegard Mousasi、1985年8月1日 - )は、オランダの男性総合格闘家。イラン・テヘラン州テヘラン出身。北ホラント州アムステルダム在住。コップスジム所属。元Bellator世界ミドル級王者。Bellator世界ミドル級ランキング2位。元Strikeforce世界ライトヘビー級王者。元DREAMライトヘビー級王者。元DREAMミドル級王者。DREAM二階級制覇王者。 概要ボクシングをバックボーンに持ち、パンチとキックのコンビネーション、打撃を得意とするストライカータイプの選手であるが、レッドデビル・インターナショナルに移籍してからは、寝技の技術も向上し、穴の無いオールラウンダーとなった。ムサシという名前に加えて「MMAルールでも立ち技ルールでも戦える」ということもあって、伝説の二刀流剣士・宮本武蔵にならって「拳豪」「若きバガボンド」とも呼ばれている。UFC、Bellator MMA、Strikeforce、PRIDE、DREAMと多くの総合格闘技メジャー団体への参戦経験を持ち、60戦のキャリアを有する。 来歴アルメニア人の両親が亡命したイランのテヘランで生まれるが、イラン・イラク戦争に遭ったため、4歳の時にオランダ・アムステルダム郊外のライデンへと移住した[2]。 両親の薦めで8歳から柔道を2年間学び、15歳の時にボクシングを学び始める。ボクシング世界王者を目指して本格的に取り組み、2001年にはオランダジュニア王者になり、ナショナルチームメンバーに選出されるなど活躍していた。 しかし、オランダではボクシングよりもキックボクシングの方が盛んで環境も整っていたため、キックボクシングに転向。 その後、レスリングをやっていた兄が総合格闘技に転向したのをきっかけに、兄の薦めで総合格闘技に転向。 副業として用心棒の仕事をしながら、2003年に2 Hot 2 Handleでプロデビュー。 2005年12月2日、DEEP初出場となったDEEP 22 IMPACTで栗原強と対戦し、1R開始10秒に顔面への膝蹴りでKO勝ち。 2006年4月11日、DEEP 24 IMPACTで入江大和と対戦し、マウントパンチによるタオル投入でTKO勝ち。 PRIDE2006年6月4日、PRIDE初出場となったPRIDE 武士道 -其の十一-のウェルター級(-83kg)グランプリ1回戦で瀧本誠と対戦。瀧本に腕を極められそうになるも脱出し、バックマウントからのパンチで瀧本の右目を腫れ上がらせ、1Rにドクターストップ勝ち。 2006年8月26日、PRIDE 武士道 -其の十二-の2回戦で郷野聡寛と対戦し、終了間際に腕ひしぎ十字固めで2R一本負け。 2006年11月5日、PRIDE 武士道 -其の十三-のグランプリリザーブマッチでヘクター・ロンバードと対戦し、3-0の判定勝ち。 2006年12月9日、CWFCミドル級王座決定戦でグレゴリー・ブーシェラゲムと対戦し、パウンドで1RTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。 2008年2月1日、Hardcore Championship Fightingでエヴァンゲリスタ・サイボーグと対戦し、パウンドで1RTKO勝ち。 DREAM2008年4月29日、DREAM初参出場となったDREAM.2のミドル級グランプリ1回戦でデニス・カーンと対戦し、三角絞めで1R一本勝ち。 2008年6月15日、DREAM.4の2回戦でユン・ドンシクと対戦し、3-0の判定勝ち。 2008年9月23日、DREAM.6のミドル級グランプリ準決勝でメルヴィン・マヌーフと対戦。1R早々にテイクダウンを奪い、マウントから反転した際に三角絞めへ移行して一本勝ち。 同日、決勝戦でホナウド・ジャカレイと対戦。序盤にテイクダウンを奪われるも、下からの顔面への蹴り上げで1RTKO勝ち。グランプリ優勝を果たし、初代DREAMミドル級王者に認定された。 2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜でキャリア初のキックボクシングルールを行い、K-1 WGP 2003・2004 準優勝でヘビー級選手の武蔵と対戦。初めてのキック・K-1ルールでしかも階級差が20kg近くあるなど[3]、不利な条件での試合だったが、序盤から武蔵を圧倒し、3度のダウンを奪って1R KO勝ち。 2009年、身体の成長に伴う減量苦により、DREAMミドル級王座を返上。ライトヘビー級に転向した。 2009年5月26日、DREAM.9にて無差別級のスーパーハルクトーナメント1回戦でマーク・ハントと対戦し、自身よりも大柄なハントを物ともせず、ストレートアームバーで1R一本勝ち。 2009年8月15日、主戦場のDREAM経由でStrikeforceに初出場。Strikeforce: Carano vs. CyborgのStrikeforce世界ライトヘビー級タイトルマッチで王者レナート・ババルに挑戦し、パウンドで1RKO勝ちを収め王座獲得に成功した[4]。当初は8月1日のAffliction: Trilogyでババルと対戦予定であったが、大会が消滅し[5]、Strikeforceにスライドされる形となった。 2009年8月28日、M-1 Globalで当時チームメイトだったエメリヤーエンコ・ヒョードルとのエキシビションマッチを行った[6]。 2009年10月6日、DREAM.11の準決勝でソクジュと対戦予定であったが、左肩関節腱板損傷により欠場となった[7]。同年11月7日、Strikeforce: Fedor vs. Rogersでソクジュと改めて対戦し、パウンドで2RTKO勝ちを収めた[8]。 2010年4月17日、Strikeforce: NashvilleのStrikeforce世界ライトヘビー級タイトルマッチで挑戦者のキング・モーと対戦。モーのテイクダウンを切ることができず、0-3の5R判定負け。王座の初防衛に失敗し、王座から陥落した[9]。 2010年7月10日、DREAM.15のライトヘビー級王座挑戦者決定戦でジェイク・オブライエンと対戦し、開始31秒にフロントチョークで一本勝ち。オブライエンはライトヘビー級規定の93kgをオーバーし96kgまでしか落とせず、ファイトマネーの10%没収およびイエローカードが提示された状態での試合開始となった[10]。 2010年9月25日、DREAM.16でDREAMライトヘビー級王座決定戦を行い、メルヴィン・マヌーフを倒して勝ち上がった水野竜也と対戦し、裸絞めで1R一本勝ち。ミドル級王座に続いてライトヘビー級王座の獲得に成功し、DREAM2階級制覇を果たした[11]。 2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜でキックボクシング2戦目を行い、K-1ヘビー級王者の京太郎とK-1ルールで対戦。キック2戦目で相手が7kg以上も階級上の選手であったにもかかわらず、K-1ヘビー級王者から2Rに右フックでダウンを奪い、3-0の判定勝ちを収めた[12]。なお、K-1のベルト挑戦について聞かれたが、「K-1のベルトは格闘技のゴールではない。目標でも無い」と答えた。 2011年4月9日、Strikeforce: Diaz vs. Daleyでキース・ジャーディンと対戦し、1-0の判定ドロー[13]。 2011年7月16日、DREAM JAPAN GP FINALのライトヘビー級タイトルマッチで泉浩と対戦。スタンドの打撃で圧倒し、最後はタオル投入によるTKO勝ちを収め王座の初防衛に成功した。 2011年12月17日、Strikeforce: Melendez vs. Masvidalでオヴィンス・サンプルーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[14]。 2012年3月、負傷により膝前十字靭帯の手術を行った[15]。 2013年1月12日、Strikeforceの最終興業となったStrikeforce: Marquardt vs. Saffiedineでマイク・カイルと対戦し、リアネイキドチョークで1R一本勝ち。 UFC2013年、StrikeforceがUFCに統合され、UFCと契約。同年4月6日、UFC on Fuel TV 9でイリル・ラティフィと対戦し、3-0の判定勝ち。当初はアレクサンダー・グスタフソンと対戦予定であったが、グスタフソンが練習中の顔の怪我で一週間前に欠場。代役にグスタフソンのチームメイトであるラティフィが抜擢された。ムサシも試合前から怪我をしていたことを明かし、試合後に膝の手術を受けている。 2014年2月15日、ミドル級復帰初戦となったUFC Fight Night: Machida vs. Mousasiでミドル級ランキング4位のリョート・マチダと対戦し、0-3の5R判定負け。敗れはしたものの、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2014年5月31日、UFC Fight Night: Munoz vs. Mousasiでミドル級ランキング7位のマーク・ムニョスと対戦し、リアネイキドチョークで1R一本勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2014年9月5日、UFC Fight Night: Jacare vs. Mousasiでミドル級ランキング4位のホナウド・ジャカレイと約6年ぶりに再戦し、ギロチンチョークで3R一本負け。リベンジを許した。 2015年1月24日、UFC on FOX 14でミドル級に転向したライトヘビー級ランキング9位のダン・ヘンダーソンとミドル級契約で対戦し、開始1分余りでパウンドでTKO勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2015年5月16日、UFC Fight Night: Edgar vs. Faberでミドル級ランキング12位のコンスタンティノス・フィリッポウと対戦し、3-0の判定勝ち。 2015年5月17日、ブリヂストンとスポンサー契約を結び、ブランドアンバサダーに就任した[16]。 2015年9月27日、UFC Fight Night: Barnett vs. Nelsonでユライア・ホールと対戦。1Rはグラウンドで優勢に試合を進めたが、2R序盤にホールのスピンキックが顔面を直撃し、ぐらついたところに追い討ちの飛び膝蹴りでダウンを奪われ、パウンドで2RTKO負け。キャリア45戦目で初となるTKO負けを喫した。 2016年2月27日、UFC Fight Night: Silva vs. Bispingでミドル級ランキング10位のターレス・レイチと対戦し、3-0の判定勝ち。 2016年7月9日、UFC 200でミドル級ランキング15位のチアゴ・サントスと対戦し、右フックからのパウンドでTKO勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2016年10月8日、UFC 204でミドル級ランキング5位のビクトー・ベウフォートと対戦し、マウントパンチで2RTKO勝ち。 2016年11月19日、UFC Fight Night: Mousasi vs. Hall 2でミドル級ランキング10位のユライア・ホールと再戦し、パウンドで1RTKO勝ちを収め、約1年2か月越しのリベンジを果たした。 2017年4月8日、UFC 210でミドル級ランキング4位の元UFCミドル級王者のクリス・ワイドマンと対戦。2Rにパンチで追い込み、タックルを防いだ後に膝蹴りを当ててワイドマンが崩れ落ちた。しかし、反則である4点ポジションでの膝蹴りと判断されたため中断。その後インスタントリプレイ(ビデオ判定)を確認すると4点ポジションの反則ではなかったため、ムサシのTKO勝ちとなった[17]。 2017年4月、UFCでは元王者を倒して5連勝を収め王座を狙える位置にいたが、「王者が意味の分からない(序列を無視した)試合をやったと思ったら次は階級下の選手と戦う予定となった。本来なら自分はすでにタイトルに挑戦してるはずなんだ。UFCがバカな試合を組んでいるせいでみんな翻弄されている。俺やジャカレイ達何人にも挑戦権があるのに、まだ王者は違う試合の予定が入っていて、自分たちは次の試合をしないといけない。いつまで正しいコンテンダー達に王座戦を待たせるつもりなんだ」などと他のコンテンダー達の気持ちも代弁しつつUFCのマッチメイクの不満を語った。さらにUFCの自身のファイトマネーの安さや待遇の悪さなどへの不満を吐露したのち、UFCを離脱した[18]。 Bellator2017年7月10日、Bellatorと契約[19]。2015年頃からすでに日本向けのVTRで「自分とUFCは合わない」などと話していたが、改めて「UFCは工場のようなところ」などと批判した[20]。 2017年10月20日、Bellator 185で元Bellator世界ミドル級王者のアレキサンダー・シュレメンコと対戦。1Rにシュレメンコの左フックを受けて右目が塞がってしまい苦戦を強いられたが、3Rを戦い抜き3-0の判定勝ちを収めた。 2018年5月25日、Bellator 200のBellator世界ミドル級タイトルマッチで王者ハファエル・カルバーリョに挑戦し、パウンドで1RTKO勝ちを収め王座獲得に成功した[21]。 2018年9月29日、Bellator 206のBellator世界ミドル級タイトルマッチで1階級下のBellator世界ウェルター級王者ローリー・マクドナルドの挑戦を受け、2Rにマウントポジションを奪うと、肘打ちとパンチの連打でTKO勝ちを収め、王座の初防衛に成功した。 2019年6月22日、Bellator 223のBellator世界ミドル級タイトルマッチで挑戦者のハファエル・ロバト・ジュニアと対戦し、0-2の5R判定負け。2度目の防衛に失敗し、王座から陥落した。 2019年9月28日、Bellator 228でリョート・マチダと再戦し、僅差で2-1の判定勝ち。約4年半越しのリベンジを果たした。 2020年10月29日、Bellator 250のBellator世界ミドル級王座決定戦でBellator世界ウェルター級王者ドゥグラス・リマと対戦し、3-0の5R判定勝ち。王座再獲得に成功した。 2021年8月13日、Bellator 264のBellator世界ミドル級タイトルマッチでミドル級ランキング1位の挑戦者ジョン・ソルターと対戦し、パウンドで3RTKO勝ち。王座の初防衛に成功した。 2022年2月25日、Bellator 275のBellator世界ミドル級タイトルマッチでミドル級ランキング1位の挑戦者オースティン・ヴァンダーフォードと対戦し、パウンドで1RTKO勝ち。2度目の王座防衛に成功した[22]。 2022年6月24日、Bellator 282のBellator世界ミドル級タイトルマッチでミドル級ランキング1位の挑戦者ジョニー・エブレンと対戦し、0-3の5R判定負け。王座から陥落した。 2023年5月12日、Bellator 296でミドル級ランキング2位のファビアン・エドワーズと対戦し、0-3の5R判定負け。キャリア初の連敗を喫した[23]。 2024年5月23日、あまり利益の上がらないPFL(及びにBellator)が、ムサシと契約しているにもかかわらず(ファイトマネーが高額であることなどから)ムサシを露骨に起用しようとしないため、ムサシがPFLに対して法的処置を取ると話した。ムサシによると何度も出場の話をしたが叶わず、その後PFLと連絡が取れなくなったという。また、PFLの役員(元Bellatorの幹部コーガン)に「君は稼ぎすぎだ」と言われていたことも明かした。ムサシは、「彼らはこちらからの電話にも出ようとしない。俺は軽蔑されているのだろう。奴らは必要のないファイターには試合をさせないんだ。だからもうすぐ法的処置を取ると思う。そもそも選手を戦わせる資金すら無いのに、なんでBellatorを買ったのか理解出来ない。笑えないよ。PFLは最悪の団体だ。今まで戦ってきた団体の中でも最低の団体だ。」とPFLを避難した[24]。 2024年5月24日、そのニュースが出た翌日に、ムサシに対して動きのなかったPFL(及びにBellator)が、ムサシとの契約を解消した。 人物・エピソード
戦績総合格闘技
キックボクシング
獲得タイトル
表彰脚注
関連項目外部リンク
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